こんばんは~。
あさイチ、バイト先で棚を倒して、瓶詰めジャム十数本を廃棄処分にしたゴマで~す
(クビになる前に、速攻で、転職先探したほうがいいかもしれん )
はてさて、先日、ゴマはとある目的で甲府に行ってまいりました。
というのも、例の小説がらみで、ある方にごあいさつにうかがったのでございますです。
めざす場所は、甲府市にある入明寺。
こちらには、武田信玄の次男・信親(号:竜宝、竜芳とも)さんのお墓があるんです。
(屋根は最近できた? 墓石はかなり風雨にさらされた感じです)
(墓前には、このような説明書きがありました)
信親さんは、信玄の正室・三条の方が産んだ男子で、堂々たる嫡流のお血筋でしたが、幼少期に疱瘡にかかって失明してしまい、後継者レースからは脱落。
とはいえ、信玄の信濃侵攻で下した海野幸義の娘との政略結婚で、海野氏の名跡を継ぐことになりました。
(海野って、もしやココ? )
(海野宿。ソバがうまかった )
―― おっと、脱線しちゃたぜ。
永禄8年(1565)、信玄嫡男・武田義信は父に反して廃嫡されますが、信親は盲目。
同母弟の信之はその12年前に11歳で夭折していたので、結局、家督は側室腹の四男・勝頼が継ぐことになったのです。
ところが、その17年後の天正10年(1582)、信長連合軍による武田領侵攻が起き、信親は入明寺にかくまわれますが、勝頼が天目山の戦いに敗れて自死すると、信親も「もはやこれまで」と、この寺内で自害(他殺説もあり)
余談ですが、この『天目山』(地形としては峠らしい)という場所は、武田氏にとって因縁の地のようで、勝頼の敗死からさかのぼること165年の応永24年(1417)、甲斐源氏13代当主で甲斐国守護大名・武田信満が、鎌倉公方と上杉氏の争いにまきこまれてここで自害しています。
(えぇ~、怖っ )
さて、拙作に関係するのは、じつはこの信親さんではなくて、その嫡男・信道と息子の信正のおふたりです。
信道の生母は、信親の正室(穴山梅雪の娘。梅雪は武田一門)なので、正真正銘この方も嫡流となります。
なんなら、勝頼ッチより血統がいいっすね。
当然、織田方の落ち武者狩りで落命してもおかしくないポジションでしたが、当の信長が本能寺の変でアボンしたことで状況はガラリと変わります。
運よく、甲州の新たな主となった徳川家康の庇護を受けられたのです
ところが!
ホッとしたのもつかのま。
家康に見いだされ、財政担当のテクノクラートとして出世していた武田家遺臣・大久保長安(元の名は土屋長安。大久保姓は寄り親の大久保忠隣より拝領)から経済的支援を受けていた信道は、長安死後に起こった『大久保長安事件』に巻きこまれて、伊豆大島への配流という憂き目に。
(なんてこったい! )
しかも、この大久保長安事件というのが、とんでもなくキナ臭く、三度のご飯より陰謀が大好物なゴマでさえ、ドン引くほど凄惨な事件でした。
ことの起こりは、慶長18年4月25日に長安が病死したことからはじまります。
葬儀をおこなおうとしていた一族に、家康から突如待ったがかかり、横領の疑いで、息子7人全員が切腹を命じられました。
7人のうち、最年少の子は当時数え年15歳。しかも、すでに僧籍に入っていました。
これは、罪を逃れるために出家していたわけではなく、このころ男児がいっぱいいる家では天皇家も公家も武家も、分与する財産がない、または家産が散逸するのを防ぐため、何人かは出家させて、万が一後継者に子ができなかったり、跡継ぎができる前に早世してしまったりした場合の、いわば血のストックをしてリスクヘッジする慣行があったのです。
そして、一族が罪を問われて処分を受けたときでも、通常、僧籍に入っている者は、その対象から外されるものですが、この事件では、横領等に関与したとは思えない年少のお坊さんまでも死罪になっています。
さらにアヤシイのが、長安は死の直前、なにかを察知していたのか、藤堂高虎あてに石見銀山・佐渡金山・伊豆銀山等の勘定は慶長14年分まで決算が済んでおり(つまり、上層部のOKが出ている)、慶長15年以後については部下に決算作業依頼中との報告書を出して、「自分は公方さまのものを横領してない!」と訴えたようなのですが、結果はこのとおり。
訴えは握りつぶされてしまったんでしょうか?
(藤堂高虎なら、家康の指示でやりそう!)
長安事件に巻き込まれた武田親子は、長安から資金援助を受けて武田家再興を謀っていた!、と言いがかりをつけられて流罪。
信道は寛永29年、故郷にもどることなく、伊豆大島で亡くなってしまいます。
息子の信正は、寛文3年(1663)、家光の十三回忌に際しての赦免があり、江戸にもどることができました。64歳のときでした。
当時としては相当なご高齢だったにもかかわらず、信正さんは意地で(?)子をもうけ、みごと嫡流の血をつなぎました
その子・信興は高家旗本として、家名再興を果たしたのです。
ゴマ的には、この親子をもっと早い段階で救出したいと考えているのです。
ファンタジーっすから、なんでもできるのさ、エッヘン <(`^´)>
にしても……一族根絶やしにしなきゃいけない秘密がある事件。
かなりヤバイ背景がありそうです。
真相はいったい……???
磯田道史先生あたりが、未知の古文書を発掘して、解明してくれないかなぁ。
今回の旅行は、さすがに伊豆大島までお墓詣りには行けないので、パパ上の信親さんのお墓にもうでて「よろしくお伝えください」とお願いしにうかがったわけです。
(追記)
この旅行では、はじめて甲斐善光寺にも行きました。
宝物殿は、ホントお宝の山ですぞ!
頼朝・実朝像は、亡くなったすぐあとくらいに作られたものだから、たぶんご本人によく似ているはず。
一見の価値あり!
甲斐善光寺。雨で参拝者も少なくて、ゆっくり参拝&お宝拝見できました。
ラッキー