なんでも、3月4、5日は奉公人が交替する日だったらしいです。
東都歳事記によりますと、
「奉公人出替り(今日僕(しもべ)婢(しもおんな)、旧主を辞して新主に仕ふ。
江戸奉公人出代りのこと、以前は二月二日なりしが、明暦三年丁酉[1657年]正月十八日の大火によりて、その年三月五日に出代りすべきよし、公より御沙汰あり。それより改まりて三月五日になれりとぞ」
そもそも「出替り・出代り」とはなんぞや?といいますと、
早い話、女中・下僕などの雇用期限がきて奉公人が入れ替わることで、季語的には「春」だそうです(by広辞苑)
期間は1年または半年で、前者を一年季、後者を半季の奉公というとか。
そういえば、現代でも春は新卒者の入社シーズンですな。
今の大学4年生の就活は先月から解禁になったようですが、今年は好況のため、若干イイ感じなんだとか。
と、そこで気になることが。
江戸時代の雇用ってどうなっていたんでしょう?
…で、調べてみました。
①オサムライさんたちの場合
武士といってもいろいろあって、まず「士分」と「軽輩」にわかれる。
上級武士…旗本・各大名の譜代の家臣など。基本、世襲・終身。
下級武士…軽輩(徒士・足軽・槍持、六尺、草履取り、中間など)
御家人(幕臣)などは職種上軽輩にあたりますが、基本終身雇用または年季奉公。
各藩もだいたい似たような感じ。
ただ、槍持、六尺、草履取り、中間などの分野はだんだん出替奉公にシフト。
有名なのは大名行列の人数合わせのためにエキストラとして雇うケース
(バイト)
②農家の場合
村方奉公人という。一年季、または繁忙期に雇う臨時雇い。
③職人の場合
年季奉公が多い。一人前になるまでの徒弟奉公が主流。
④商家の場合
商人として雇う者と、家事・雑用係の者で雇用形態がちがう。
商売スタッフ…年季奉公。丁稚(でっち)として子どものころ採用し育てる。
その後、手代、支配人などを経て、のれん分けなど独立の道も。
きっちり職制が決まっている。
家事スタッフ…主として出替奉公
ちなみに、③④は町方奉公人とよばれました。
江戸時代は士農工商の区分が厳しく…なイメージがありますが、じつは案外そうでもなくて、士分以外の者が武家にお勤めすると、「準武士」な待遇になり、帯刀も許されたりします。
江戸の労働者などには年季などの一般奉公人のほかに、地方からの出稼人もありました。
主として、近郊の武蔵・下総・相模などの農民が農閑期に江戸へ出て、肉体労働に従事するケースです。
そのほかにも信濃(長野)越後(新潟)などの豪雪地帯からくる人も少なくなかったようで、この人たちは故郷の農作業が終わった10月ころから3月ころまで江戸で働き、農作業がはじまるころに帰っていくので、冬場、南に移動して越冬するムクドリにたとえられていました。
“雪降れば椋鳥(ムクドリ)江戸へ喰いに出る”(し、失礼な!)