先日、都内某所を歩いていたら、
『大学 箱根予選会 位通過 おめでとう』的張り紙を見かけました。
(それは「安政遠足」 じゃなくて、こっち )
ふんふん、そーいえば先月やってたよね、立川で~
いつも博物館でお世話になっている明治大学さまは残念ながら13位で本選出場のがしたんだよね~
個人的に(ゆるキャラの國ピョンが)好きな國學院は出場権取ったんだよね~
と、しみじみ感慨にひたっていると、脳裏にあの曲が流れたりするわけです。
『喜びの飛行』
あ゛ー、いつ聞いてもイイっ
とくに、スタート直後の東京駅周辺、20人のランナーが左側からの日光に浮かびあがってる絵面は最高
っ
ぷはー、脊髄を武者ぶるい的なゾクゾクが駆け抜けていくぜ~
幕府軍も鳥羽伏見の前にコレ聞いたらバリバリいけたのになーっ
(ムチャクチャ言うな…… )
……ああ、なのに、今じゃオープニングテーマは久石某さんのになっちまって……つまらん
やっぱ、あの絵面には「喜びの飛行」が合うんじゃ~
(このネタ、江戸とまったく関係ないじゃん )
てなことで、一昨日狂喜乱舞した江戸始図および吹上御庭図ですが、例の『植木御門』『獅子口御門』という聞きなれない門名に、丸一日懊悩するハメになったのでございます
っっきしょー! 始図なんか見に行くんじゃなかったー!
――と後悔してもあとの祭り。
気になってほかのものが手につきましぇん
ま、とりあえず、いつものようにネットでちゃちゃっと検索。
ほうほう、こんな地図が出てきたぞ~
(小平市立図書館HPさまより拝借)
で、問題の植木御門は、この地図の⑫。小平市地図でもちゃんと『植木門』となっています。
(ふんふん、本当にあったんやね )
そーいえば、植木門のすぐ外は『植溜』って書いてあったっけ。
ということは、おもに植木職人さんが出入りする門で、植木門か?
でも、もうひとつの……獅子口御門ちゅーのが見当たらないんすけど
位置的に該当するのは、⑭の『新門』
おいおい、関連性がまったくわからんぞー
(獅子口御門を検索したら、上位6番目に自分のブログが出てきた……もはやお手上げですわい )
それに『新門』って、中雀門(御書院門)の横っちょにある門の名前じゃなかったんかいっ
あ゛ー、ワケわからん
そして、ここで、また新たな問題がーっ
この図の⑳、この図では『鷹門』ってなってるけど、一昨日見た絵図では『御長屋門』って書いてあったのにぃ
(落ち着け、落ち着くんだ、ゴマ)
……たしか、御長屋門のすぐ横には『御鷹番』って書いてある建物が数棟あったはず。
だったら、この門が御鷹門と呼ばれていても不思議ではないかもしれん
よし、ちょっと強引だが、精神の安定のため、ここは御鷹番関係者が住む長屋(=官舎)に造られた門=『ちょっと長ったらしいから、御鷹or御長屋好きな方で呼んでね門』ちゅーことなんだ、きっと
うんうん、そーだ、そーだ、そーにちがいない
……いや、ちがう。
『御長屋門』というのは、門の名ではなく、大名屋敷にもみられる「長屋の間に造られる門の形態名」だっ
ってことは、ここは長屋門形式で造られた『御鷹門』という名の門と解釈すべきかもしれない
******
この謎は判明しだい、また記事にします
っっきしょー! 始図なんか見に行くんじゃなかったー!
――と後悔してもあとの祭り。
気になってほかのものが手につきましぇん
ま、とりあえず、いつものようにネットでちゃちゃっと検索。
ほうほう、こんな地図が出てきたぞ~
(小平市立図書館HPさまより拝借)
で、問題の植木御門は、この地図の⑫。小平市地図でもちゃんと『植木門』となっています。
(ふんふん、本当にあったんやね )
そーいえば、植木門のすぐ外は『植溜』って書いてあったっけ。
ということは、おもに植木職人さんが出入りする門で、植木門か?
でも、もうひとつの……獅子口御門ちゅーのが見当たらないんすけど
位置的に該当するのは、⑭の『新門』
おいおい、関連性がまったくわからんぞー
(獅子口御門を検索したら、上位6番目に自分のブログが出てきた……もはやお手上げですわい )
それに『新門』って、中雀門(御書院門)の横っちょにある門の名前じゃなかったんかいっ
あ゛ー、ワケわからん
そして、ここで、また新たな問題がーっ
この図の⑳、この図では『鷹門』ってなってるけど、一昨日見た絵図では『御長屋門』って書いてあったのにぃ
(落ち着け、落ち着くんだ、ゴマ)
……たしか、御長屋門のすぐ横には『御鷹番』って書いてある建物が数棟あったはず。
だったら、この門が御鷹門と呼ばれていても不思議ではないかもしれん
よし、ちょっと強引だが、精神の安定のため、ここは御鷹番関係者が住む長屋(=官舎)に造られた門=『ちょっと長ったらしいから、御鷹or御長屋好きな方で呼んでね門』ちゅーことなんだ、きっと
うんうん、そーだ、そーだ、そーにちがいない
……いや、ちがう。
『御長屋門』というのは、門の名ではなく、大名屋敷にもみられる「長屋の間に造られる門の形態名」だっ
ってことは、ここは長屋門形式で造られた『御鷹門』という名の門と解釈すべきかもしれない
******
この謎は判明しだい、また記事にします
てなことで、行ってきました、江戸始図展
やっぱ、行ってよかったよ~
いや、だってね、江戸城についてはそこそこ把握してると思ってたけど、昨日見てみたら、知らないことばっかだったよー
まずは、大手門前の大下馬付近に注目。
あそこは、大名行列のお供が殿さまが返ってくるまでの待機場所で、トイレが敷設された簡易休憩所くらいしかない広場だと思ってたら、幕初ころは門の前までビッチリ大名屋敷が建ってたんやね
それどころか、大手門内の、今は百人番所があるエリアにも、大名屋敷が建ってたっぽいよ!
まぁ、でも個人的には、保科肥後守の屋敷と吉良さんちはお隣同士という発見が発狂ポイントですけどね
さらに、桜田門近くにある『松平伊豆守 64』ちゅーのは誰のことじゃい問題。
知恵伊豆さんは慶長ころはまだ家光の小姓で十代。
それに後で大名になったとはいえ、最終的には10万石未満だったはず。
64万となると、家康の子の誰かか
うっひょ、調べねばーっ
あとの見どころは、『吹上御庭之図』ですな
こちらは明暦の大火後の絵図なんですが、ゴマ的には謎につつまれている吹上御庭の詳細に狂喜乱舞でございます
だってさー、『植木御門』とか、『獅子口御門』とか、いまだかつて聞いたことなかったもん(門)っ
テキストにも、そんなこと一切書いてなかったもん(門)っ
それに地図の読めないアザラシには、紅葉山と吹上の位置関係もイマイチわからなかったんだもん(門)っ
それに、キッチリした御門以外にもあっちゃこっちゃに『矢来門』つーのがあったみたいで、思ってた以上に吹上御庭のセキュリティは厳重っぽかったというのも、大きな発見でございましたっ
……ほれほれ、なんか興味わいてきたじゃろ~
会期は11/19まで。
急いで見に行かないと、終わっちゃいますぞ~