OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

夏至

2015-06-22 | 江戸時代



イチジク田楽


二十四節気十番目の夏至―北半球では、一年のうち昼の時間が一番長い日です
これは、旧暦では5月中、太陽暦では6月22日ころになります

今年のお題テキスト『江戸の祭礼と歳事』によると、
この日、関東では餅、関西の農家では蛸を食べる習慣があったようです。

関東の餅は、ウィキペディアによると、もち米ではなく、新小麦で作った焼餅のようです。
これを神に供えたあと、お下がりをいただく風習があったとか。
また、夏至=蛸の習慣は、いまや関西だけでなく、全国的に広がって、関東のスーパーでも『半夏生・タコ』の広告が入ってきますね。
そのほかでは、尾張の一部の地域では、夏至の日にイチジク田楽を食べる風習があったそうで。
―じつは―
ワタクシ…イチジク・アレルギーなんです
江戸時代の尾張に生まれてたら、完全にアウトでしたー






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端午の節句

2015-06-20 | 江戸時代

柏餅





笹団子(関係ないけど、なんか似てるなぁ~って)


菖蒲

今日、旧暦5月5日は端午の節句です。

「端午御祝儀。諸侯御登城。粽(ちまき)献上あり。貴賤、佳節を祝す(家々軒端に菖蒲(しょうぶ)・蓬(よもぎ)をふく。菖蒲酒を飲み、また角黍(ちまき)・柏餅を製す。小児、菖蒲打ちの戯れをなす」(東都歳事記)

ちまきは、文中に「粽」と「角黍」2通りの漢字を当てていますが、なぜなんでしょう?
じつは「柏餅」の「餅」の字も、本当は東都歳事記ではちがう字なのですが、ここでは出てこないので仕方なく「餅」の字にしました

先月25日から売り出されていた端午の節句関連商品、いよいよ出番です
武家はもちろんのこと、町家でも、7歳以下の男子がいる家は外に幟を立て、冑人形を飾ります。
また、「座敷のぼり」といって、紙製の鯉を竹の先につけて幟といっしょに室内に飾る風習が、近世の江戸で流行りはじめたようです

端午の節句につきものの「菖蒲湯」は、江戸時代は6日の行事でした。
このころはほとんどの家に内風呂がなかったので、銭湯で菖蒲湯に入ったんでしょうね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月のトピック(2)

2015-06-13 | 江戸時代

和金


緋鯉



メダカ

前回「初鰹」ネタで終始した4月のトピックですが、今回は…
「○当月より、金魚・ひごひ・麦魚(めだか)等を売り歩く。~(後略)~」
「○この月より蚊幮(かや)売り出づる。~(後略)~」
「○当月の末より、堀留の団扇問屋にて、うちはを製し商ふことおびただし」(東都歳事記)

ま、要するに夏の準備がはじまるのが、今ぐらいの時期なんですね~

え~、さて、「蚊幮(=蚊帳)」ですが、なんと彦根藩の専売品でした
守貞謾稿には、
「近江の富賈の江戸日本橋通一丁目等、その他諸坊に出店を構ふ者あり。専ら近江産の畳表・蚊帳の類を売る店なり」とあるように、近江の蚊帳は蚊帳界のブランドだったみたいですね。

つぎに「堀留の団扇問屋」ですが、堀留町2丁目には団扇問屋が多く、堀留川の河岸は「団扇河岸」ともよばれたようです

この団扇は、下級武士の内職で作られるもののひとつでした(あと有名なのは傘張りですな)。
泰平の世が続き、オサムライサンたちのお給料(家禄)もベースアップしないなか、物価はコメ以外のものが高騰する「米価安の諸色高」で、こういう内職をしないと生活も苦しかったんですねぇ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧暦4月25日

2015-06-11 | 江戸時代

鐘馗さま

今日(6/11)は旧暦の4月25日。この日は、
「○今日より五月四日まで、冑(かぶと)人形・菖蒲刀(あやめたち)・幟(のぼり)の市立つ。
(場所は三月の雛市に同じく、往還に小屋を構へ、甲冑・上り冑・幟・馬印・菖蒲刀・鑓・長刀・弓箭・鉄炮・偃月刀(せいりゅうとう)そのほか和漢の兵器、鐘馗像・武将・勇士の人形等を售(あきな)ふ~後略~)
 ○男子ある家には、大かた今日より五月六日までのぼりを立つる」(東都歳事記)

三月の雛市の場所というのは、東都歳事記・二月二十五日の記載、
「今日より三月二日迄雛人形同調度の市立」のことで、守貞謾稿にも、
「二月二十五日より三月四五日比迄、江戸十軒店及び尾張町、麹町等、平日他業の家をも雛商人借之、また中店と号して、大路の中央に往来を残し、両側ともに仮店を列す」と書かれているところ
とはいえ、
「大名方、旗本衆ならびに町方の富める家々は前々より調へ、注文御出入にて納む。
 十軒店見世売はこの以下の者の需めに応ず。されば品物も店先に飾り並べて商ふは並製多し。即ち仕入数物なり。もし上物を求めんとならば、前々より注文し、金力を惜しまざるにしかずとなり」(絵本江戸風俗往来)
十軒店あたりの雛人形や五月人形は既製品で、そんなにいいものは置いてなかったみたいですね。
大名や旗本、豪商などはこんなところで買わないで、前もって注文したいい品を買っていたんですなぁ。

そういえば今年の大河ドラマの「桜田門外の変」の回で、雛人形がちょこっと出てきましたが、あれは本当にヒドかったですねっ
35万石の大々名・譜代筆頭井伊家のお雛様が、ちゃっちい文机の上に内裏様・お雛様だけがポツン(緋毛氈も官女・五人囃子・随人・調度類いっさい無し)って、いったいなんなのーーー
彦根35万石、なめてんのかー
担当者出てきて説明してもらおーじゃないかーっ
…くらい時代考証ガン無視でしたね
さすが、大河はじまって以来の「15回目にして早くも視聴率一桁」ドラマや~


家康歯朶具足

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月のトピック(1)

2015-06-09 | 江戸時代

(目に青葉…)

今月の話題では、なんといっても初鰹です
「○初堅魚(東都にこの魚を賞すること、他邦に勝れ、相州より送るところ、味はひ美なり。鄙賤の者も高価を出してこれを求む。首夏の頃より鮮魚を撰びて街に商ふ。その声高くいさぎよし)。
 かまくらはいきて出でけん初がつを   芭蕉
 大勢の中へ一本かつをかな       嵐雪
 人のまことまづあたらしきかつをかな  其角
 目には青葉山ほととぎす初がつを    素堂」(東都歳事記)

江戸っ子の初物―とくに初鰹に対する熱狂ぶりは本当にすごかったようです
他所から来た人の目には相当異様に映ったようで、守貞謾稿には、
「四月の初鰹を賞味すること、最もはなはだし。中昔までは四月初鰹、一尾価金二、三両(※約20~30万円相当)に至る。近年はなはだ劣れりといへども金二、三分。」とあります。
著者・喜田川守貞は大坂で生まれ、二十代後半で江戸に来た人なので、上方では見られない盛りあがりにだったかも。
どうやら初鰹フィーバーのピークは安永~文化・文政ころ、江戸限定の現象らしく、守貞謾稿が起稿された天保ころになると初鰹の値段もずいぶん下がり金二、三分(※5~7万円)、他では一本200~250文(※5000~6000円相当)程度になったと書かれたものもあります
そして、食べ方も昔は今とちょっとちがっていて、ワサビではなくカラシをつけていました。
また、大坂では鰹は10月以降のもので、刺身では食べなかったようですね。
…じゃあ、煮るか焼くか、ですか。
それはそれでなんか味気ない…お刺身もおいしいじゃん…

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする