(1973/ピーター・ボグダノヴィッチ製作・監督/ライアン・オニール、テイタム・オニール、マデリーン・カーン、ジョン・ヒラーマン、P・J・ジョンソン、ランディ・クエイド/103分)
両手をあげて「大好き!」という映画にちょっと遠ざかっているので、70年代、最も映画を観ていた時代に好きだった作品をレンタルしてみた。
71年のモノクロ映画「ラスト・ショー」で話題になったボグダノヴィッチが、大物歌手バーブラ・ストレイザントとライアン・オニールを主役に撮ったコメディ「おかしなおかしな大追跡(1972)」の後、再びライアンと組んで作った作品だ。
「ラスト・ショー」と同じモノクロだが、ペシミスティックな前作と違って今度は人情コメディ。前作より更に時代は古く、恐慌後の1935年、アメリカ中西部を舞台にしている。「スティング」とほぼ同時代ですな。そういえばどちらも73年の作品。そしてどちらも・・・詐欺師の話だった。
新聞の死亡広告を見て、故人が生前に注文していたと嘘をついて聖書を高値で売りつける詐欺師。哀しみに包まれているだろう遺族の心情につけ込むとんでもない野郎で、名前もモーゼ・プレイというからふざけている。この男が知り合いの女性の葬儀に立ち会ったばかりに、彼女が残していった一人娘アディを遠くの親戚の家まで送っていくことになるのが話の発端だ。
アディの母親は、一晩限りだったかも知れない彼氏とドライブ中、男の運転ミスから死んでしまったらしい。
商売柄、9歳の子供連れは御免だと途中の駅で列車に乗せて別れるつもりのモーゼは、アディの母親を死なせてしまった男の兄を脅して200ドルふんだくり、そのお金で車を買い換え、アディの列車の切符を買う。
アディは、モーゼが父親ではないかと疑っているが、モーゼは頑として否定する。それではと、『パパじゃないんなら、さっき稼いだ200ドルを返して!』とアディは言う。200ドルで新車を買ってしまったモーゼは、『返そうにもお金がないのは知ってるだろう』と言う。すかさず、アディはこう切り返す。
『だったら稼いで!』
映画の原題は【 Paper Moon 】だが、原作があってそちらは「アディ・プレイ」。テータム・オニール扮する可愛らしくもこ生意気な女の子の名前がタイトルだ。
実の親子が『パパでしょ?』『い~や、違う!』なんてやりとりをするのがクスクス笑えてしまう。アゴの形も鼻の形もよ~く似てます。これは親子漫才のような会話の面白さがある映画で、セリフの間、カットの間も実によろしい。
モーゼの仕事の要領をすぐにのみ込んだアディは、聖書詐欺の訪問先でモーゼが警官に怪しまれそうになる所を助けたり、お金持ちの未亡人には倍値で売ったりとモーゼ以上に商売上手だったりする。
落語に“時蕎麦”という釣り銭詐欺の話があるが、モーゼには釣り銭+両替詐欺という得意芸もあり、旅の途中で何度か見せる。見よう見まねで覚えたアディが、旅の途中のカーニバルのシーンで単独でいとも簡単にやってしまうのが笑えます。
カーニバルでモーゼは胸の大きな踊り子と知り合い、旅の仲間にする。黒人の少女を侍女としているこの女は、モーゼを金蔓として利用しようとしているだけなんだが、モーゼは気付かない。踊り子に熱を上げるモーゼから女を引き離そうと、アディが本妻モドキの策略を仕掛けるのが中盤の山場。いわばこれも一つのサギになっているのが面白い。
カーニバルの中に張りぼての三日月をバックに写真を撮ってくれる店がある。恋人同士で撮ったり、親子で撮ったり。映画ではアディがモーゼと撮ろうとして断られるが、この時一人で撮った写真がラストシーンで効いてくる。
後半では密造酒に絡む詐欺をはたらくが、コレは最終的には失敗となり、アディを親戚の家へ連れていくきっかけになる。本当は親子かも知れないアディとモーゼ。お涙頂戴にならないラスト・シーンのおかげで忘れられない映画となりました。
当時の年間収入で一位になった大ヒット作品だそうです。
封切り当時、この映画を語るとき淀川さん達はチャップリンの「キッド」を引き合いに出されてました。「キッド」の少年も名演技だったが、テータムも素晴らしかった。一見ポーカーフェイスに見える分、ちょっとした表情の変化が印象深くて目が離せない。特典メニューの撮影秘話では、NGシーンも出てきて、彼女が楽しんで撮影に入っていたことがよく分かる。テータムはこの年のアカデミー賞で助演女優賞を獲得し、9歳で受賞というのは今もってアカデミー史上の最年少記録らしい。主演女優賞でもイイくらいですけどね。
特典メニューといえば、監督へのインタビューでタイトルのことを話していた。
映画に使う1935年当時の音楽を探していたら「♪イッツ オンリー ペーパー・ムーン」という曲があって、それが気に入ったらしい。原作「アディ・プレイ」が10万部を売った本なので、映画会社の方は本のままでいこうとタイトル変更を渋ったが、ボグダノビッチが当時親交のあったオーソン・ウェルズに意見を聞き、その賛同に意を強くしてこのタイトルになったとのことだった。
ウェルズ曰く「“ペーパー・ムーン”。タイトルだけで売れる!」。
特典メニュー、ラズロ・コヴァックス(「イージー・ライダー」「ファイブ・イージー・ピーセス」)のインタビューでは、モノクロフィルムの使い方についてジョン・フォードやオーソン・ウェルズに尋ねたと言っていた。白が綺麗にコントラストされるので、赤いフィルターを使うように薦められたとのこと。近景にも遠景にも焦点が合った映像は、リアルでシャープ。監督に言わせると、モノクロ映像は俳優の表現力を増してくれるらしい。30~40年代の映画みたいだし、恐慌後の寂れた雰囲気も良く出ていた。
監督の解説付のバージョンも見てみたら、長いカットのシーンを多用したのがよくわかった。オニール親子の演技力を映像がバックアップしたんでしょうな。
原作はアメリカ南部が舞台だったが、ボグダノヴィッチと彼の元妻でこの映画のプロダクション・デザイナーでもあるポリー・プラットは“面白い画が撮れる”とフラットな地形が多いカンザス州を選んだらしい。
彼等の思惑通り、バックの地平線がいつまでも目に焼き付いてしまう“ロード・ムービー”でした。
・「ペーパー・ムーン」こぼれ話はコチラ。
・「ペーパー・ムーン」こぼれ話2はコチラ。
両手をあげて「大好き!」という映画にちょっと遠ざかっているので、70年代、最も映画を観ていた時代に好きだった作品をレンタルしてみた。
71年のモノクロ映画「ラスト・ショー」で話題になったボグダノヴィッチが、大物歌手バーブラ・ストレイザントとライアン・オニールを主役に撮ったコメディ「おかしなおかしな大追跡(1972)」の後、再びライアンと組んで作った作品だ。
「ラスト・ショー」と同じモノクロだが、ペシミスティックな前作と違って今度は人情コメディ。前作より更に時代は古く、恐慌後の1935年、アメリカ中西部を舞台にしている。「スティング」とほぼ同時代ですな。そういえばどちらも73年の作品。そしてどちらも・・・詐欺師の話だった。
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新聞の死亡広告を見て、故人が生前に注文していたと嘘をついて聖書を高値で売りつける詐欺師。哀しみに包まれているだろう遺族の心情につけ込むとんでもない野郎で、名前もモーゼ・プレイというからふざけている。この男が知り合いの女性の葬儀に立ち会ったばかりに、彼女が残していった一人娘アディを遠くの親戚の家まで送っていくことになるのが話の発端だ。
アディの母親は、一晩限りだったかも知れない彼氏とドライブ中、男の運転ミスから死んでしまったらしい。
商売柄、9歳の子供連れは御免だと途中の駅で列車に乗せて別れるつもりのモーゼは、アディの母親を死なせてしまった男の兄を脅して200ドルふんだくり、そのお金で車を買い換え、アディの列車の切符を買う。
アディは、モーゼが父親ではないかと疑っているが、モーゼは頑として否定する。それではと、『パパじゃないんなら、さっき稼いだ200ドルを返して!』とアディは言う。200ドルで新車を買ってしまったモーゼは、『返そうにもお金がないのは知ってるだろう』と言う。すかさず、アディはこう切り返す。
『だったら稼いで!』
映画の原題は【 Paper Moon 】だが、原作があってそちらは「アディ・プレイ」。テータム・オニール扮する可愛らしくもこ生意気な女の子の名前がタイトルだ。
実の親子が『パパでしょ?』『い~や、違う!』なんてやりとりをするのがクスクス笑えてしまう。アゴの形も鼻の形もよ~く似てます。これは親子漫才のような会話の面白さがある映画で、セリフの間、カットの間も実によろしい。
モーゼの仕事の要領をすぐにのみ込んだアディは、聖書詐欺の訪問先でモーゼが警官に怪しまれそうになる所を助けたり、お金持ちの未亡人には倍値で売ったりとモーゼ以上に商売上手だったりする。
落語に“時蕎麦”という釣り銭詐欺の話があるが、モーゼには釣り銭+両替詐欺という得意芸もあり、旅の途中で何度か見せる。見よう見まねで覚えたアディが、旅の途中のカーニバルのシーンで単独でいとも簡単にやってしまうのが笑えます。
カーニバルでモーゼは胸の大きな踊り子と知り合い、旅の仲間にする。黒人の少女を侍女としているこの女は、モーゼを金蔓として利用しようとしているだけなんだが、モーゼは気付かない。踊り子に熱を上げるモーゼから女を引き離そうと、アディが本妻モドキの策略を仕掛けるのが中盤の山場。いわばこれも一つのサギになっているのが面白い。
カーニバルの中に張りぼての三日月をバックに写真を撮ってくれる店がある。恋人同士で撮ったり、親子で撮ったり。映画ではアディがモーゼと撮ろうとして断られるが、この時一人で撮った写真がラストシーンで効いてくる。
後半では密造酒に絡む詐欺をはたらくが、コレは最終的には失敗となり、アディを親戚の家へ連れていくきっかけになる。本当は親子かも知れないアディとモーゼ。お涙頂戴にならないラスト・シーンのおかげで忘れられない映画となりました。
当時の年間収入で一位になった大ヒット作品だそうです。
*
封切り当時、この映画を語るとき淀川さん達はチャップリンの「キッド」を引き合いに出されてました。「キッド」の少年も名演技だったが、テータムも素晴らしかった。一見ポーカーフェイスに見える分、ちょっとした表情の変化が印象深くて目が離せない。特典メニューの撮影秘話では、NGシーンも出てきて、彼女が楽しんで撮影に入っていたことがよく分かる。テータムはこの年のアカデミー賞で助演女優賞を獲得し、9歳で受賞というのは今もってアカデミー史上の最年少記録らしい。主演女優賞でもイイくらいですけどね。
特典メニューといえば、監督へのインタビューでタイトルのことを話していた。
映画に使う1935年当時の音楽を探していたら「♪イッツ オンリー ペーパー・ムーン」という曲があって、それが気に入ったらしい。原作「アディ・プレイ」が10万部を売った本なので、映画会社の方は本のままでいこうとタイトル変更を渋ったが、ボグダノビッチが当時親交のあったオーソン・ウェルズに意見を聞き、その賛同に意を強くしてこのタイトルになったとのことだった。
ウェルズ曰く「“ペーパー・ムーン”。タイトルだけで売れる!」。
特典メニュー、ラズロ・コヴァックス(「イージー・ライダー」「ファイブ・イージー・ピーセス」)のインタビューでは、モノクロフィルムの使い方についてジョン・フォードやオーソン・ウェルズに尋ねたと言っていた。白が綺麗にコントラストされるので、赤いフィルターを使うように薦められたとのこと。近景にも遠景にも焦点が合った映像は、リアルでシャープ。監督に言わせると、モノクロ映像は俳優の表現力を増してくれるらしい。30~40年代の映画みたいだし、恐慌後の寂れた雰囲気も良く出ていた。
監督の解説付のバージョンも見てみたら、長いカットのシーンを多用したのがよくわかった。オニール親子の演技力を映像がバックアップしたんでしょうな。
原作はアメリカ南部が舞台だったが、ボグダノヴィッチと彼の元妻でこの映画のプロダクション・デザイナーでもあるポリー・プラットは“面白い画が撮れる”とフラットな地形が多いカンザス州を選んだらしい。
彼等の思惑通り、バックの地平線がいつまでも目に焼き付いてしまう“ロード・ムービー”でした。
・「ペーパー・ムーン」こぼれ話はコチラ。
・「ペーパー・ムーン」こぼれ話2はコチラ。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
>モノクロフィルムの使い方についてジョン・フォードやオーソン・ウェルズに尋ねた
へえぇ。なんかうらやましくなっちゃいますね。
テイタムについてはそれ程強烈な印象はもってなかったのですが、再見して素晴らしかったのが分かりました。父親と一緒だったという安心感もプラスに作用したんでしょうけどね。
だいぶ前の記事にコメントしちゃってすいません^^;
ペーパー・ムーンは俺が一番好きな映画ですので。最近ブログを開設して記事にしました。俺も古い映画ばかり見てるので、十瑠さんのブログはとても参考になります。すごく映画詳しいんですね^^俺はまだまだ未熟です。
もしよかったら俺のブログも見に来てくださいm(__)m
DVDは買いましたが、特典はまだ見てないんですよ。今度見てみます。^^
TBさせていただきます。では。
タイトル・リストのページを儲けてますから、興味の湧いたモノからどうぞ。
何十年かぶりに観ましたが、実に面白い映画でしたね。
TB記事これからお伺いします。
これからも、ヨロシクです!
あの聖書売りの詐欺は、遺族にちょっとした心の安らぎを売ってるつもりになってますよね、彼。そして、アディはそれも理解しつつ、貧しい人からお金はとらない。
ホント、いいコンビです。
タイトルを歌からもらったという話も面白かったです。タイトルだけで売れる!って判断は間違ってなかった!
あと、こぼれ話のレタスの葉で作った無害なタバコのことも聞けて、ほっとしました。そういうのがあったんですね~。
感想には書き忘れてしまったけれど、モーゼが車の先頭のクルクル回る飾りを、ボロトラックに付け替えるところも好きです。子供っぽくて(笑)
>モーゼが車の先頭のクルクル回る飾りを、ボロトラックに付け替えるところも好きです。
そのシーン覚えてます。アメリカ映画にはよくそそういうシーンがありますよね。「俺たちに明日はない」とか「クイズ・ショウ」とかにもあったような。
車は生活の一部だし、飾りはステイタスでもあったんでしょう。日本人からみるとホント、子供っぽいのに・・・。