(1986/ウディ・アレン監督・脚本・出演/ミア・ファロー(=ハンナ)、ダイアン・ウィースト(=ホリー)、バーバラ・ハーシー(=リー)、マイケル・ケイン(=エリオット)、マックス・フォン・シドー(=フレデリック)、キャリー・フィッシャー(=エイプリル)、モーリン・オサリヴァン、ロイド・ノーラン、ダニエル・スターン、サム・ウォーターストン/107分)
2006年にTV放映された「ギター弾きの恋 (1999)」が面白くて、それまで食わず嫌いだったウディ・アレンが気になる人になった。滑らかな語り口はどんな題材でもいけるだろうと3か月後にはツタヤで「インテリア (1978)」を借りて、これで完全に御贔屓監督になった。以来何作か観てきたけれど、僕の最高の御贔屓監督ウィリアム・ワイラーのようには全ての作品が良いと思わせるまでにはいかず、ときたま何の感慨も残さない作品にもお目にかかる。
「ハンナとその姉妹」は双葉評で☆四つの傑作で、好きな「カイロの紫のバラ (1985)」の翌年の作品なのでかなり期待していたが、その次の年に作られた「ラジオ・デイズ (1987)」のようにその饒舌さが邪魔になった映画だった。女性監督の作品には色々とエピソードを詰め込み過ぎて印象がばらける嫌いがあるが、そんな感じかな。
ニューヨークに住む三姉妹の話。三姉妹と両親が出てくるので「インテリア」みたいだが、今作はあんなシリアスなムードではなく三姉妹と其々の夫や恋人を絡ませたコメディタッチのお話だ。「インテリア」のストーリーの軸は神経質な一家の母親だったのに対して、ここでは姉の夫とややこしい関係になる妹やら、姉の元夫と付き合いだす妹だったりと、男女関係の危うさがテーマになっている。ハラハラしてしまう局面もあるが、まだ「ブルージャスミン」や「女と男の観覧車」のような毒気を放つまでにはいたってない。画面外から登場人物のモノローグが随所に流れてくるのが特徴で、そこにユーモアも生まれている。
三姉妹の両親は共に役者。しかしスターと呼べる程のレベルではなく、長女の言う所によると子供は作っても育てるのには興味のない親だったらしい。親族が集まるパーティーでは仲良くしているが、仲裁を長女に頼むほどの口喧嘩も絶えない夫婦だった。因みに母親役のモーリン・オサリヴァンはミア・ファローの実の母親だ。
ミア・ファロー扮する長女ハンナは女優で三姉妹の中で一番の成功者。夫のエリオットは投資顧問のアナリストで夫婦仲は良いんだが、エリオットはハンナの末の妹のリーの容姿がお気に入りで、映画の冒頭、感謝祭で親戚一同が集まっているパーティーのシーンではリーに寄せる切ない恋心を語るエリオットのモノローグが聞こえてくる。エリオットとリーの関係はこの後発展していき、この映画の最も重要なシークエンスを形成していく。
次女のホリーも女優を目指しているがオーディションには落ちっぱなし。同じく女優志願の友人エイプリルとケータリングの食べ物屋を始める。あるパーティーで知り合った建築家のデヴィッドにデートに誘われるも後にエイプリルに横取りされ、おまけにホリーが落ちたミュージカルのオーディションにエイプリルが受かってしまう。再び一人になった彼女はハンナに脚本家になると宣言する。
三女のリーは仕事も結婚もしてなくて、フレデリックという歳の離れた画家と同棲している。彼は人間嫌いの気難しい男でリーの家族の集まりにも寄り付かないが、感謝祭のパーティーから帰って来た彼女の話を聞いてエリオットは君を狙っているとさらりと言う。リーもエリオットの事が嫌いではないので気にするようになり、その後エリオットとリーの関係は断続的に語られていく。顧客にフレデリックの絵を紹介すると言いながらリーに近づいていったエリオットは、ハンナとの生活が行き詰っており近い内に離婚すると言って強引にリーと逢瀬を重ねるようになっていく。
ウディ・アレンが扮するのはハンナの最初の夫ミッキーで、病気に異常に神経質なテレビ・ディレクターの役。
ある日片方の聴力に疑問を持ったミッキーは医者通いを始め、最後には脳腫瘍の疑い迄もってしまうが、最終的には異常無しと結論が出る。人生の儚さに目覚めたミッキーは哲学書を読み漁り、次には宗教に生きる意味を見出そうとする。
この辺りはアレンお得意のコメディ演技が観られますな。
元々ユダヤ教だったのにキリスト教に改宗、更には仏教にも手を出すが神様は答えてくれない。自殺に失敗した彼は街を彷徨い歩き一軒の映画館に入るのだが・・・。
▼(ネタバレ注意)
ミッキーとハンナの関係についてネタバレ補足しておきましょう。
新婚時代、子供が出来ないので病院に行くとミッキーの方に問題が有り子供は出来ないと言われる。どうしても子供が欲しいハンナはミッキーの友人夫婦から精子を貰い体外受精で双子を産む。二人で考えた方法だったが、子供の事で次第に二人の間に隙間風が吹くようになったのが離婚の原因だった。ミッキーは子供達を認知しているし誕生日にはプレゼントを持ってくるんだが、養育費は払っていないらしい。
大喧嘩をして別れた訳ではないので、その後も二人は友達関係を続けている。ハンナは妹のホリーをミッキーに紹介するが、当時薬物に溺れていた彼女とはうまくいかなかった。
数年後にホリーが脚本を書いた後、二人は街で再会する。
ミッキーが観た映画はマルクス兄弟のコメディだった。人生の意味を考え続けて行きついた先はそれには答えは無い事、神がいようがいまいが映画の様に人生は楽しめる事だった。再会したホリーとミッキーは結婚をする。
エリオットとリーの関係は最終的には誰にもバレずに収束する。いつまでも離婚をしない彼に業を煮やしたリーがフレデリックとの関係も清算し、大学に通い始め、新しいボーイフレンドを見つけるのだ。
エリオットも自分が思っている以上にハンナを愛していることに気付く。
終盤で一番面白いエピソードは、ある年の感謝祭でホリーが書いた脚本をハンナに見せるシーン。読んだハンナはそこに出てくる夫婦が自分達であるし、夫婦しか知らない事が書かれていると怒るのだ。
『なんでこんなことをあなたが知ってるの?』
勿論、寝物語でエリオットがリーに聞かせ、それをリーがホリーに喋ったのだ。
ハンナはエリオットに『ホリーかリーに相談したの?!』と問い詰める。
ここは不倫がバレてしまうかとハラハラするシーンでした。
オープニングも感謝祭のパーティーのシーンだったが、ラストシーンも感謝祭の夜だった。
リーは人妻となり、エリオットはハンナと幸せな夫婦に戻っている。
少し遅れてきたホリーを再びパーティーに参加するようになったミッキーが迎えキスをする。
ホリーが言う。
『妊娠したわ』
幸せな驚きが二人を包み、再び熱いキスを交わすのでした。
▲(解除)
お薦め度は★三つ半。ミッキーのエピソードが全体のアクセントにはなっていても、特別な相乗効果は生まれてない事がマイナスに感じました。ベルイマン的なテーマをアレン流に語ったんでしょうが、映画で救われるというのは今となっては平凡なオチでしょうか。
封切り当時に観たとしたら★一つ分は増えたでしょうけどネ。
2006年にTV放映された「ギター弾きの恋 (1999)」が面白くて、それまで食わず嫌いだったウディ・アレンが気になる人になった。滑らかな語り口はどんな題材でもいけるだろうと3か月後にはツタヤで「インテリア (1978)」を借りて、これで完全に御贔屓監督になった。以来何作か観てきたけれど、僕の最高の御贔屓監督ウィリアム・ワイラーのようには全ての作品が良いと思わせるまでにはいかず、ときたま何の感慨も残さない作品にもお目にかかる。
「ハンナとその姉妹」は双葉評で☆四つの傑作で、好きな「カイロの紫のバラ (1985)」の翌年の作品なのでかなり期待していたが、その次の年に作られた「ラジオ・デイズ (1987)」のようにその饒舌さが邪魔になった映画だった。女性監督の作品には色々とエピソードを詰め込み過ぎて印象がばらける嫌いがあるが、そんな感じかな。
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ニューヨークに住む三姉妹の話。三姉妹と両親が出てくるので「インテリア」みたいだが、今作はあんなシリアスなムードではなく三姉妹と其々の夫や恋人を絡ませたコメディタッチのお話だ。「インテリア」のストーリーの軸は神経質な一家の母親だったのに対して、ここでは姉の夫とややこしい関係になる妹やら、姉の元夫と付き合いだす妹だったりと、男女関係の危うさがテーマになっている。ハラハラしてしまう局面もあるが、まだ「ブルージャスミン」や「女と男の観覧車」のような毒気を放つまでにはいたってない。画面外から登場人物のモノローグが随所に流れてくるのが特徴で、そこにユーモアも生まれている。
三姉妹の両親は共に役者。しかしスターと呼べる程のレベルではなく、長女の言う所によると子供は作っても育てるのには興味のない親だったらしい。親族が集まるパーティーでは仲良くしているが、仲裁を長女に頼むほどの口喧嘩も絶えない夫婦だった。因みに母親役のモーリン・オサリヴァンはミア・ファローの実の母親だ。
ミア・ファロー扮する長女ハンナは女優で三姉妹の中で一番の成功者。夫のエリオットは投資顧問のアナリストで夫婦仲は良いんだが、エリオットはハンナの末の妹のリーの容姿がお気に入りで、映画の冒頭、感謝祭で親戚一同が集まっているパーティーのシーンではリーに寄せる切ない恋心を語るエリオットのモノローグが聞こえてくる。エリオットとリーの関係はこの後発展していき、この映画の最も重要なシークエンスを形成していく。
次女のホリーも女優を目指しているがオーディションには落ちっぱなし。同じく女優志願の友人エイプリルとケータリングの食べ物屋を始める。あるパーティーで知り合った建築家のデヴィッドにデートに誘われるも後にエイプリルに横取りされ、おまけにホリーが落ちたミュージカルのオーディションにエイプリルが受かってしまう。再び一人になった彼女はハンナに脚本家になると宣言する。
三女のリーは仕事も結婚もしてなくて、フレデリックという歳の離れた画家と同棲している。彼は人間嫌いの気難しい男でリーの家族の集まりにも寄り付かないが、感謝祭のパーティーから帰って来た彼女の話を聞いてエリオットは君を狙っているとさらりと言う。リーもエリオットの事が嫌いではないので気にするようになり、その後エリオットとリーの関係は断続的に語られていく。顧客にフレデリックの絵を紹介すると言いながらリーに近づいていったエリオットは、ハンナとの生活が行き詰っており近い内に離婚すると言って強引にリーと逢瀬を重ねるようになっていく。
ウディ・アレンが扮するのはハンナの最初の夫ミッキーで、病気に異常に神経質なテレビ・ディレクターの役。
ある日片方の聴力に疑問を持ったミッキーは医者通いを始め、最後には脳腫瘍の疑い迄もってしまうが、最終的には異常無しと結論が出る。人生の儚さに目覚めたミッキーは哲学書を読み漁り、次には宗教に生きる意味を見出そうとする。
この辺りはアレンお得意のコメディ演技が観られますな。
元々ユダヤ教だったのにキリスト教に改宗、更には仏教にも手を出すが神様は答えてくれない。自殺に失敗した彼は街を彷徨い歩き一軒の映画館に入るのだが・・・。
▼(ネタバレ注意)
ミッキーとハンナの関係についてネタバレ補足しておきましょう。
新婚時代、子供が出来ないので病院に行くとミッキーの方に問題が有り子供は出来ないと言われる。どうしても子供が欲しいハンナはミッキーの友人夫婦から精子を貰い体外受精で双子を産む。二人で考えた方法だったが、子供の事で次第に二人の間に隙間風が吹くようになったのが離婚の原因だった。ミッキーは子供達を認知しているし誕生日にはプレゼントを持ってくるんだが、養育費は払っていないらしい。
大喧嘩をして別れた訳ではないので、その後も二人は友達関係を続けている。ハンナは妹のホリーをミッキーに紹介するが、当時薬物に溺れていた彼女とはうまくいかなかった。
数年後にホリーが脚本を書いた後、二人は街で再会する。
ミッキーが観た映画はマルクス兄弟のコメディだった。人生の意味を考え続けて行きついた先はそれには答えは無い事、神がいようがいまいが映画の様に人生は楽しめる事だった。再会したホリーとミッキーは結婚をする。
エリオットとリーの関係は最終的には誰にもバレずに収束する。いつまでも離婚をしない彼に業を煮やしたリーがフレデリックとの関係も清算し、大学に通い始め、新しいボーイフレンドを見つけるのだ。
エリオットも自分が思っている以上にハンナを愛していることに気付く。
終盤で一番面白いエピソードは、ある年の感謝祭でホリーが書いた脚本をハンナに見せるシーン。読んだハンナはそこに出てくる夫婦が自分達であるし、夫婦しか知らない事が書かれていると怒るのだ。
『なんでこんなことをあなたが知ってるの?』
勿論、寝物語でエリオットがリーに聞かせ、それをリーがホリーに喋ったのだ。
ハンナはエリオットに『ホリーかリーに相談したの?!』と問い詰める。
ここは不倫がバレてしまうかとハラハラするシーンでした。
オープニングも感謝祭のパーティーのシーンだったが、ラストシーンも感謝祭の夜だった。
リーは人妻となり、エリオットはハンナと幸せな夫婦に戻っている。
少し遅れてきたホリーを再びパーティーに参加するようになったミッキーが迎えキスをする。
ホリーが言う。
『妊娠したわ』
幸せな驚きが二人を包み、再び熱いキスを交わすのでした。
▲(解除)
お薦め度は★三つ半。ミッキーのエピソードが全体のアクセントにはなっていても、特別な相乗効果は生まれてない事がマイナスに感じました。ベルイマン的なテーマをアレン流に語ったんでしょうが、映画で救われるというのは今となっては平凡なオチでしょうか。
封切り当時に観たとしたら★一つ分は増えたでしょうけどネ。
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】
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