(1957/ルイ・マル監督/モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー、ジョルジュ・プージュリー、リノ・ヴァンチュラ、ヨリ・ヴェルタン、ジャン=クロード・ブリアリ、シャルル・デネ/92分)
初めて観たのはン十年前の、確か「日曜洋画劇場」。その後も何度か観ているが、久方ぶりの鑑賞であります。
古い映画ファンならどなたもご存じのフランス、ヌーベルバーグの秀才ルイ・マル監督の本格的デビュー作で、時にマル25歳。スピルバーグがサスペンスの傑作「激突!」を作ったのも25歳でしたが、アレに勝るとも劣らない完成度の高さでありました。
大会社の社長夫人フロランス・カララ(モロー)は、夫の会社に勤める技師ジュリアン・タベルニア(ロネ)と恋仲にあり、離れがたい二人は社長を亡き者にしようと計画を立てる。土曜日の夕方、社員が少なくなった頃を見計らい、ジュリアンが社長室に入ってピストルで射殺、自殺に見せかけようというモノだ。ジュリアンは一人の女性社員に居残りを頼み、自分の部屋でもう少し仕事をするが集中したいので誰も入ってこないようにしてくれと言い、自室の外窓を通じて上の社長室のあるフロアーに忍び込む。社長を射殺した後は社長室の内側から鍵をかけ、自身は何事もなかったように最後の社員達と会社を後にする。社長のカララは変わった人物で、黙って退社する事も多かったので社員達も社長は既に居ないものだと思っていた。30分後にはジュリアンはフロランスと逢い、事件が発覚するのは月曜日になるはずだった。
表に出て車を出そうとしたジュリアンは、上階に上がるときに使った金物付のロープをそのままにしていたのに気付き、あわててビルの中に戻る。エレベーターが動きだし、煙草に火を付けようとしたその瞬間エレベーターが止まる。人気の無くなったビルは管理担当者によって電源が落とされ、ジュリアンは地上から数十メートルの高さで閉じこめられたのだ。手動で脱出しようにも、中途半端な位置で止まっているために出られない。『フロランスが待っているのに。』
こうして、フロランスとジュリアンの長い夜が始まる・・・。
フロランスとジュリアンのエピソードが交互に語られるが、そこにもう一つ、ジュリアンの置き忘れた車を盗むバカップルの話も入ってくる。ジュリアンの会社の前にある花屋の娘とプータローの彼氏。この3つの話が平行して描かれ、さてこれからどうなるんだろうという先行き不透明感が緊張を繋ぎながら、鮮やかな幕切れに収束する構成が真に見事な脚本(ロジェ・ニミエ、ルイ・マル共作)でありました。原作はノエル・カレフ。
バカップルの描き方は個人的には違和感があるものの、ゴダールの「勝手にしやがれ」の主人公達に通じるもので、当時のフランスの無軌道な若者達はあんな感じだったんでしょう。プータローに扮したのは、6年前に「禁じられた遊び」でポーレットを優しく見守ったミシェルを演じたジョルジュ・プージュリー。革ジャンの似合うあんちゃんになっていましたが、背がちょっと寸足らずのようで、大成しなかったのはそのせいでしょうか。
モノクロのカメラはお馴染みのアンリ・ドカエ。
ジュリアンを探して夜の街を彷徨うフロランスに被せて流れるトランペットは、即興で演奏されたというマイルス・デイヴィス。あまりにも有名な音楽ですが、何度聴いてもぴったしの雰囲気ですなぁ~♪
▼(ネタバレ注意)
双葉さんには「探偵小説的には、些か問題がある。」と言われていた映画で、他の方からも問題は“ロープの件”とよく言われていました。さて、どういうことでしょう。
一つには、いくら高層ビルの上といっても、あんな街中で外壁をロープでよじ登るのは目立ちすぎて犯罪計画としては如何なものかという点。ジュリアンがロープを忘れて帰ろうとしたのが、あまりに稚拙だという意見も見かけますが、それはそういうミスを彼が犯してしまったのだと考えるしかないですな。
ジュリアンを探して会社の前にフロランスが立ち寄った時に一人の少女がフロランスに声をかけます。筋としては何の絡みもない少女ですが、フロランスと別れた後その子は道路に落ちている件のロープを拾います。フック状の金物が付いたロープが何故勝手に落ちたのか不思議ですが、私は夜になって雨が降ったときに(多分)風も吹いたのだろうと(無理矢理)納得させました。
それよりは、翌朝になってビルから出てきたジュリアンが、ロープの件を忘れてしまっているのが気になりましたね。
一歩引いてもう少し突っ込んでみますか。
不倫が殺人までいっちゃったのは何故なんでしょう? カララ社は不動産関係の会社のようで、戦争時には武器も扱っていたようだし、社長は政治家ともつるんでいるような感じ。映画はフロランスとジュリアンの強い愛ゆえに犯罪を犯したように描いているけれど、カララ社長に逆らうことは死を意味するくらい恐い存在であったと考えるしかないですな。
それと、結末は二人の有罪を示していますが、あの程度の状況証拠では今の日本じゃ不起訴でしょうね。但し、刑事リノ・ヴァンチュラのセリフの中に“陪審員”というのが出てきたから、フランスでは有罪になるんでしょう。
▲(解除)
リノ・ヴァンチュラと一緒にモーリス・ロネを取り調べる刑事に「私のように美しい娘」のシャルル・デネが扮してました。結構古い人だったんですね。
ジャン=クロード・ブリアリは、バカップルが泊まるモーテルの客の一人でした。
<追記>
一人彷徨うフロランスのシーンにはモノローグを使ったのに、同じくエレベーターの中で独りぼっちのジュリアンのシーンでは使わなかった。記事を読み直しながら思い出しましたが、これは、ジュリアンのシーンで使うとサスペンスが緩むからでしょうな。
初めて観たのはン十年前の、確か「日曜洋画劇場」。その後も何度か観ているが、久方ぶりの鑑賞であります。
古い映画ファンならどなたもご存じのフランス、ヌーベルバーグの秀才ルイ・マル監督の本格的デビュー作で、時にマル25歳。スピルバーグがサスペンスの傑作「激突!」を作ったのも25歳でしたが、アレに勝るとも劣らない完成度の高さでありました。
大会社の社長夫人フロランス・カララ(モロー)は、夫の会社に勤める技師ジュリアン・タベルニア(ロネ)と恋仲にあり、離れがたい二人は社長を亡き者にしようと計画を立てる。土曜日の夕方、社員が少なくなった頃を見計らい、ジュリアンが社長室に入ってピストルで射殺、自殺に見せかけようというモノだ。ジュリアンは一人の女性社員に居残りを頼み、自分の部屋でもう少し仕事をするが集中したいので誰も入ってこないようにしてくれと言い、自室の外窓を通じて上の社長室のあるフロアーに忍び込む。社長を射殺した後は社長室の内側から鍵をかけ、自身は何事もなかったように最後の社員達と会社を後にする。社長のカララは変わった人物で、黙って退社する事も多かったので社員達も社長は既に居ないものだと思っていた。30分後にはジュリアンはフロランスと逢い、事件が発覚するのは月曜日になるはずだった。
表に出て車を出そうとしたジュリアンは、上階に上がるときに使った金物付のロープをそのままにしていたのに気付き、あわててビルの中に戻る。エレベーターが動きだし、煙草に火を付けようとしたその瞬間エレベーターが止まる。人気の無くなったビルは管理担当者によって電源が落とされ、ジュリアンは地上から数十メートルの高さで閉じこめられたのだ。手動で脱出しようにも、中途半端な位置で止まっているために出られない。『フロランスが待っているのに。』
こうして、フロランスとジュリアンの長い夜が始まる・・・。
フロランスとジュリアンのエピソードが交互に語られるが、そこにもう一つ、ジュリアンの置き忘れた車を盗むバカップルの話も入ってくる。ジュリアンの会社の前にある花屋の娘とプータローの彼氏。この3つの話が平行して描かれ、さてこれからどうなるんだろうという先行き不透明感が緊張を繋ぎながら、鮮やかな幕切れに収束する構成が真に見事な脚本(ロジェ・ニミエ、ルイ・マル共作)でありました。原作はノエル・カレフ。
バカップルの描き方は個人的には違和感があるものの、ゴダールの「勝手にしやがれ」の主人公達に通じるもので、当時のフランスの無軌道な若者達はあんな感じだったんでしょう。プータローに扮したのは、6年前に「禁じられた遊び」でポーレットを優しく見守ったミシェルを演じたジョルジュ・プージュリー。革ジャンの似合うあんちゃんになっていましたが、背がちょっと寸足らずのようで、大成しなかったのはそのせいでしょうか。
モノクロのカメラはお馴染みのアンリ・ドカエ。
ジュリアンを探して夜の街を彷徨うフロランスに被せて流れるトランペットは、即興で演奏されたというマイルス・デイヴィス。あまりにも有名な音楽ですが、何度聴いてもぴったしの雰囲気ですなぁ~♪
▼(ネタバレ注意)
双葉さんには「探偵小説的には、些か問題がある。」と言われていた映画で、他の方からも問題は“ロープの件”とよく言われていました。さて、どういうことでしょう。
一つには、いくら高層ビルの上といっても、あんな街中で外壁をロープでよじ登るのは目立ちすぎて犯罪計画としては如何なものかという点。ジュリアンがロープを忘れて帰ろうとしたのが、あまりに稚拙だという意見も見かけますが、それはそういうミスを彼が犯してしまったのだと考えるしかないですな。
ジュリアンを探して会社の前にフロランスが立ち寄った時に一人の少女がフロランスに声をかけます。筋としては何の絡みもない少女ですが、フロランスと別れた後その子は道路に落ちている件のロープを拾います。フック状の金物が付いたロープが何故勝手に落ちたのか不思議ですが、私は夜になって雨が降ったときに(多分)風も吹いたのだろうと(無理矢理)納得させました。
それよりは、翌朝になってビルから出てきたジュリアンが、ロープの件を忘れてしまっているのが気になりましたね。
一歩引いてもう少し突っ込んでみますか。
不倫が殺人までいっちゃったのは何故なんでしょう? カララ社は不動産関係の会社のようで、戦争時には武器も扱っていたようだし、社長は政治家ともつるんでいるような感じ。映画はフロランスとジュリアンの強い愛ゆえに犯罪を犯したように描いているけれど、カララ社長に逆らうことは死を意味するくらい恐い存在であったと考えるしかないですな。
それと、結末は二人の有罪を示していますが、あの程度の状況証拠では今の日本じゃ不起訴でしょうね。但し、刑事リノ・ヴァンチュラのセリフの中に“陪審員”というのが出てきたから、フランスでは有罪になるんでしょう。
▲(解除)
リノ・ヴァンチュラと一緒にモーリス・ロネを取り調べる刑事に「私のように美しい娘」のシャルル・デネが扮してました。結構古い人だったんですね。
ジャン=クロード・ブリアリは、バカップルが泊まるモーテルの客の一人でした。
<追記>
一人彷徨うフロランスのシーンにはモノローグを使ったのに、同じくエレベーターの中で独りぼっちのジュリアンのシーンでは使わなかった。記事を読み直しながら思い出しましたが、これは、ジュリアンのシーンで使うとサスペンスが緩むからでしょうな。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
双葉さんのご指摘を出すまでもなく、明るい時間帯に通りに目立つところから登ったのはミステリー的には致命的。十瑠さんの仰るように、忘れたのは電話にすぐに応じる為に生じた単なるミスでOKですが、その前段は全く常識外。
彼が見上げてロープを忘れたのに気付いたのを観た時に「あれま、あんなところでやっていたの」と拍子抜けしましたよ。
しかし、これは本格ミステリー・サスペンスではないので、映画としては致命的にはなりません。
明日(も)、必ずお寄りしますよ。
「黒衣の花嫁」の最初の殺人もそうですが、ヌーベルバーグの作家達は犯罪の描き方が甘いところがありますね。
この映画でジャンヌ・モローとモーリス・ロネが一緒に登場するシーンは一度もありません。何だかせつないですね。
http://myjo-movie.jugem.jp/?eid=36
明後日の1月23で79歳らしいです。
一緒に登場するのはラストの写真の中だけ、ですね。
まいじょさんのご指摘は素晴らしいと思います。
ヒッチコック的に表現をすれば「恋人同士の二人が会わないロマンスなんて面白いのではないか」という発想だったかもしれませんね。原作については全く知りませんが。
だいぶん違っているということでしょうかネ。
携帯が普及している現代、リメイクするとしたらどんな設定になるのかなあ、なんて考えたりもしました。(難しい!)
そんなちっぽけな拘りは吹き飛ばしていると思います。
音楽も素晴らしい!
どちらも、素晴らしい!
マル作品は未見のモノが多いので、まだまだ楽しみです。