(1972/フランソワ・トリュフォー監督・共同脚本/ベルナデット・ラフォン、アンドレ・デュソリエ、シャルル・デネ、ギイ・マルシャン、フィリップ・レオタール、クロード・ブラッスール/98分)
※ 後半にネタバレ有りです。
トリュフォーが「恋のエチュード(1971)」と「アメリカの夜(1973)」の間に作った作品。
いわゆるピカレスク小説の女性版のような話をコメディ・タッチで作った映画で、犯罪学を研究する社会学者のレポート対象に選ばれた収監中の女性犯罪者が、彼のインタビューに答える格好で自分の半生を語るというナラタージュ形式の作品となっている。トリュフォーお得意のスタイルだが、ドタバタコメディの画作りにも才能があることが証明されたようです。
女囚へのインタビューは数回行われ、彼女の話がメイン・ストーリー。その間に学者が私設秘書にレポートをタイプさせるシーンが挿入され、徐々に進展する秘書と彼との関係が、終盤の皮肉な結末に続くという面白い構成になっている。
冒頭の女囚の少女時代のエピソードで、乱暴な父親にお尻を蹴られた彼女がフワリと宙を飛ぶシーンがあり、このファンタジーのようなショットには、『この映画は、眉間にシワ寄せて観てはいけませんよ。』との作者の声が込められているようでした。
女囚カミーユに扮したのは「あこがれ」で悪童達のあこがれのお姉さんだった“ベルナデット”・ラフォン。14年後の彼女は際どい下ネタトークを連発、ヌードも辞さない怪演で、お見事と言うべし♪
結果的にカミーユに翻弄されてしまう社会学者スタニスラフにアンドレ・デュソリエ。黒縁メガネに七三に分けたヘアースタイルがウディ・アレンを思い起こさせ(デュソリエの方がかなりハンサム)、推測ですが、アレンのコメディは斯くあろうと思いましたな。
鑑別所を抜け出したカミーユにヒッチハイクされたのが運の尽きの男性に、「恋のエチュード」にも出ていたフィリップ・レオタール。前作の渋くて誠実な男から、飲んべえで助平でマザコンのダメ男への変身が可笑しかったです。
レオタールとの腐れ縁は長く続いて、その間に、セックスの時にはインディ500のエンジン音を集めたレコードをかけるという性癖のラウンジ歌手、交通事故の弁護にやってきながら実はカミーユの身体が目的の悪徳弁護士(実はカミーユ以上の悪人だった)、カミーユに童貞を奪われる害虫駆除業を営む30男(デネ)などが絡んでくる。
カミーユが収監されているのは、ある男に対する殺害容疑があるからだが、終盤、スタニスラフがその容疑を晴らすのに躍起となる部分は畳みかけるような展開で特に面白い。社会学者にとってカミーユはファム・ファタールといっていいのでしょう。最初は『アハハ』と笑って観ていましたが、終盤のどんでん返しには(想定内ですが)苦い味もしてきました。
ラスト。
刑務所の中庭からカメラがパンして、街並みを屋根の高さで捉える。ペーソス溢れるシャンソン(「♪待ちましょう」というタイトルらしい)が流れる中、とあるアパートのバルコニーにカメラが移ると其処にはタイピングをしているあの秘書の姿が・・・。
ルネ・クレールへのオマージュと見ましたが、如何でしょうか?
尚、「私のように美しい娘」とは、釈放されたカミーユが歌手となりステージで唄う歌のタイトルです。
※ 後半にネタバレ有りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/97/0f3480a92de60918fc35d6f5bb59f5b2.jpg)
いわゆるピカレスク小説の女性版のような話をコメディ・タッチで作った映画で、犯罪学を研究する社会学者のレポート対象に選ばれた収監中の女性犯罪者が、彼のインタビューに答える格好で自分の半生を語るというナラタージュ形式の作品となっている。トリュフォーお得意のスタイルだが、ドタバタコメディの画作りにも才能があることが証明されたようです。
女囚へのインタビューは数回行われ、彼女の話がメイン・ストーリー。その間に学者が私設秘書にレポートをタイプさせるシーンが挿入され、徐々に進展する秘書と彼との関係が、終盤の皮肉な結末に続くという面白い構成になっている。
冒頭の女囚の少女時代のエピソードで、乱暴な父親にお尻を蹴られた彼女がフワリと宙を飛ぶシーンがあり、このファンタジーのようなショットには、『この映画は、眉間にシワ寄せて観てはいけませんよ。』との作者の声が込められているようでした。
女囚カミーユに扮したのは「あこがれ」で悪童達のあこがれのお姉さんだった“ベルナデット”・ラフォン。14年後の彼女は際どい下ネタトークを連発、ヌードも辞さない怪演で、お見事と言うべし♪
結果的にカミーユに翻弄されてしまう社会学者スタニスラフにアンドレ・デュソリエ。黒縁メガネに七三に分けたヘアースタイルがウディ・アレンを思い起こさせ(デュソリエの方がかなりハンサム)、推測ですが、アレンのコメディは斯くあろうと思いましたな。
鑑別所を抜け出したカミーユにヒッチハイクされたのが運の尽きの男性に、「恋のエチュード」にも出ていたフィリップ・レオタール。前作の渋くて誠実な男から、飲んべえで助平でマザコンのダメ男への変身が可笑しかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/84/3f27b40c628dc3eadab43f3ee2b230b8.jpg)
カミーユが収監されているのは、ある男に対する殺害容疑があるからだが、終盤、スタニスラフがその容疑を晴らすのに躍起となる部分は畳みかけるような展開で特に面白い。社会学者にとってカミーユはファム・ファタールといっていいのでしょう。最初は『アハハ』と笑って観ていましたが、終盤のどんでん返しには(想定内ですが)苦い味もしてきました。
ラスト。
刑務所の中庭からカメラがパンして、街並みを屋根の高さで捉える。ペーソス溢れるシャンソン(「♪待ちましょう」というタイトルらしい)が流れる中、とあるアパートのバルコニーにカメラが移ると其処にはタイピングをしているあの秘書の姿が・・・。
ルネ・クレールへのオマージュと見ましたが、如何でしょうか?
尚、「私のように美しい娘」とは、釈放されたカミーユが歌手となりステージで唄う歌のタイトルです。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
彼は映画を実際に作ることにより、自身にデュヴィヴィエのような古典的要素があったことに気付いていったように思いますね。
アレンは最近の作品の中でトリュフォーの名前を出しましたが、1972年当時トリュフォーが意識するほどアレンは一流ではなかったでしょう。ただ、本作はアレン喜劇の軽妙さに一脈通ずる作品でもあるかもしれません。アレンはもっと台詞で展開しますけどね。
アレンが尊敬している作家はイングマル・ベルイマンです。
ヴィスコンティも見てない名作が一杯の作家ですので、またまたDVD用意しなくっちゃ!
コメ&TBありがとうございました。
小さなカミーユが蹴飛ばされてふわりと浮き上がるシーンは忘れてたんですが、久しぶりの再見で「これよ、これ!」とウキウキしちゃいました。
このかる~い感じがいいんですよね。
「あこがれ」も「恋のエチュード」もかなり前に観たけれど、カミーユと夫役の人がそれらに出ていたのは知りませんでした。とくにレオタールさんの渋くて誠実な役どころはぜひいつか確認したいです。
想像できない!(笑)
ラストは男性にはちょっと苦いものがあるようですね。わたしは待ち続ける秘書の方に気持ちが行って、キュンとしました。
これからも時々見返したい作品です♪
コメ&TBバックありがとうございます。
>待ち続ける秘書の方に気持ちが行って、キュンとしました。
流れるシャンソンのタイトルが「待ちましょう」って、どこまで洒落てるんでしょうかねぇ。
パリの屋根を遠くから眺めるショットに、「巴里の屋根の下」を思い出しました。