テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

■ YouTube Selection (songs & music)


エターナル・サンシャイン

2009-07-06 | ファンタジー
(2004/ミシェル・ゴンドリー監督/ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルステン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウィルキンソン/107分)


 タイトルは知っていたものの、内容については全然予備知識無く観た映画。「allcinema-online」では“ロマンス/コメディ”とジャンル分けされていましたが、コレはSFファンタジーですね。ロボットとか宇宙人とか、怪しげなサングラスの男達とか、そんなものは出てこないので、一見SFらしい様子は無いですが、暫く観ていると主人公が頭に沢山のコードでパソコンに繋がったヘルメットを付けてベッドに横たわるのでソレと分かります。
 彼は何のためにそんな格好をしているのか?
 それは彼が自らの意志で、頭の中の“ある記憶”を消そうとしているからです。この映画の世界では、消したい記憶(思い出ともいって良いですが)を持っている人が、お金を払って記憶の消去を依頼する病院のような民間機関があるというのが前提になっています。

 ジム・キャリー扮するジョエルは気弱な独身男性で、ある日、会社に行くのが嫌になって仮病を装い、通勤列車と反対方向の電車に乗って海辺の駅で降ります。白波がうち寄せる砂浜で偶然見かけた女性(ウィンスレット)とは、その後の帰りの電車でも一緒になり、積極的で風変わりな言動の彼女に惹かれたジョエルは、そのまま彼女と付き合うようになるのですが・・・というような出だし。

 夢と現実、過去と現在が入り交じって、一度で流れを理解するのが困難な作品でもあります。大体の背景は分かるんですが、例えば主人公の夢、つまり彼の頭の中の非現実的な映像の中に過去の思い出も色々と姿を変えて出て来る為、それが現実モードでの時間軸の入れ替え操作と重なって、ストーリーの流れがスムースに入って来ないのです。どうしても2回目が観たくなるし、2度目の方が格段に分かり易いです。

 ジョエルの悩みは恋人と上手くいかなかったからで、その為に彼女の記憶を消そうとしているのです。一方で、消したくない気持ちも残っている。価値観の違いから喧嘩別れして、消してしまおうとした恋人の記憶が、いざその段になると消したくなくなる男の気持ちは分かりますよね。
 ジョエルは睡眠薬を飲んで自宅のベッドに横たわり、予め渡されていた鍵を使って彼の部屋に入ってきた“病院”の担当者は、彼の頭に記憶除去のためのヘルメットを装着し、コードをパソコンに繋ぐ。ソフトはジョエルの脳内の解析図を作成し、彼の消したい記憶の場所を色付きで表示する。表示が完了すれば、後はソフトに任せて自動消去モードに入っていく。

 ベッドに横たわるジョエルの脳内の仮想映像も流れます。それは、彼女との過去の思い出だったり、子供の頃の思い出だったりします。記憶の消去に無意識に抵抗するジョエルの思いを反映した非現実的なものも当然出てきて、それらは想定内の映像だったり、目新しい新鮮な感情を沸き立たせる映像もあります。
 作者の狙いは、彼の恋人に対する切ない感情を描くことにあるのだと思いますが、それ程成功しているとは思いません。非現実的なそれらの映像は、同じような感性を持った観客には理解できても、一般的な感性の観客にも充分な効果をあげ得たかは疑問だからです。
 しかも、この映画にはサブ・ストーリーがあって、ジョエルの記憶除去を行っている病院の複数の担当者に関するドラマも後半に入ってきます。それにはスリルが伴っていて興味は湧くし、終盤のジョエルの話とも繋がっていくんですが、結果としてはジョエルのストーリーを薄めてしまっているようです。結論からいえば、アイディア先行に溺れて、どの人間も描写が浅いままで終わっているということでしょうか。
 ラストの展開(↓“ネタバレ内”)にも、『・・・だから?』と画面に問いかけたくなりましたな。

 不思議な設定の中で、男と女はどんな反応を見せるか、そんなことを描きたかったのでしょうかねぇ。
 病院関係者絡みのサスペンス展開は無しにして、主人公二人の感情の揺れ動きをもっと濃密に描ききって欲しかったですね。


▼(ネタバレ注意)
 ジョエルの消そうとした記憶の恋人は、冒頭の砂浜で一緒になった女性で、要するに元々恋人同士だった二人が又しても出逢ったという次第。
 終盤では、お互いに相手の記憶を消してしまった二人だったと気付くという皮肉な結末で、要するに惹かれる者同士は、やっぱしくっつくんだというありふれた結論になる。しかしながら、この二人は失敗の記憶も消しているのだから、つき合いを再開しても失敗を繰り返すのは目に見えている。

 『・・・だから?』(←十瑠の声)

 ケイト・ウィンスレットの役名はクレメンタイン。
 実はジョエルよりも先に彼女の方が記憶の除去を行っていて、病院に来た彼女に一目惚れしたのがイライジャ・ウッド扮するパトリック。パトリックはジョエルの記憶除去の担当補佐でもあり、ジョエルの彼女に関する思い出の品々を預かって、クレメンタインの情報をこっそり集めている。要するにストーカーです。
 キルステン・ダンスト扮するメアリーは病院の受付で、ジョエルの担当のスタン(ラファロ)と付き合っています。ところが、彼女には、ジョエルの主治医ハワード(ウィルキンソン)との関係もあり、それは一度消された過去となっている。
 終盤でその事に気付いたメアリーはショックを受け、会社も辞めて、ジョエルとクレメンタインにそれぞれの資料を返却する。この展開も『なんだかなー』ですな。
▲(解除)


 2004年のアカデミー賞で、主演女優賞(ウィンスレット)にノミネートされ、脚本賞(チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、ピエール・ビスマス)を受賞したそうです。
 ゴールデン・グローブでも、作品賞(コメディ/ミュージカル)、男優賞(コメディ/ミュージカル)、女優賞(コメディ/ミュージカル)、脚本賞にノミネート。英国アカデミー賞でもオリジナル脚本賞、編集賞(ヴァルディス・オスカードゥティル)を受賞し、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞(デヴィッド・リーン賞)にノミネートされたそうです。

 チャーリー・カウフマンは「マルコヴィッチの穴 (1999)」の脚本で話題となり、2008年には「脳内ニューヨーク (2008)」で初監督にも挑戦とか。なんとなく、関心の対象が首から上に集中しているみたい。(笑)
 「マルコヴィッチの穴」には興味があったんだけど、今回でちょっと後回しになっちゃったかな。

・お薦め度【★★=アイディアは、悪くはないけどネ】 テアトル十瑠
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルフ道に人生訓を見たり ~「バガー・ヴァンスの伝説」再見

2009-05-03 | ファンタジー
 先日、ブログを訪問された方がいつもの倍近くになりまして、何がそんなに受けたんだろうと「gooあしあと」を見ましたらば、原因はNHK-BSで放送された「バガー・ヴァンスの伝説」でした。関連ワードでの検索サイトからの訪問者がべらぼうに多かったのです。そんなに人気のある映画ではないはずですが、何があったんでしょう?

*

 好きな映画です。なにしろ、ブログの概要欄に・・・

 “人は誰でもどこかに自分の唯一のスイングを持っている ”
  ~「バガー・ヴァンスの伝説」より

 こう表記しているくらいですからね。
 因みに、ブログ概要欄に特定の映画の魅せられた台詞なり、コピーなりを持ってくるアイディアは、ご贔屓の「豆酢館」さんから頂きました。今はフランスにお住まいの館長は、時々文言を替えられますが、私はもう何ヶ月も、この“バガー・ヴァンス”の台詞を使っています。

 不思議な黒人キャディーが、大事な試合を前にスイングを失ったと気落ちしている、かつての天才プレイヤーの前に現れ、5ドルでキャディーを請け負う。請け負うというか、申し出る。キャディーの言動に最初は戸惑っていたゴルファーも、やがて自らのスイングを再び手に入れ、戦場で大勢の部下の命と共に失った生きる勇気も取り戻す。

 バガー・ヴァンスが何者か分からないのが不満だ、と仰有るブロガーさんもいらっしゃったとか。
 暗闇で球を打っている、かつての天才プレイヤー、ジュナの正面から現れて、『危ないじゃないか』というジュナに『球筋を見てましたから、大丈夫』と、本来ならジュナは怒っていいとこなんですが、そんなシーンでも分かるように、この映画はファンタジーです。バガー・ヴァンスの素性はどうでもいいんです。どうしてもと仰有るんなら、バガー・ヴァンスは、そう、ゴルフの神様であり、ジュナの守護霊ですね。

 色々なシーンで、バガーは含蓄のある言葉を残します。言葉もそうですし、態度にも「ベスト・キッド」のミヤギ先生の様な、俗人を超越した指導者の雰囲気があります。
 ブログの概要に使用した言葉は、映画の狂言廻しでもある少年ハーディーとコースの下見をした時に、18番ホールでバガーが少年に語った言葉の一部です。その他にも含蓄のある言葉もあり、それは上記の紹介記事をご覧下さい。
 ジュナのファンである少年はジュナは勝てるだろうかとバガーに聞き、黒人キャディーは『ジュナが自分のスイングを思い出せば・・』と答える。スイング、グリップとゴルフ用語を使いながら、バガーはハーディーに向かって話をする。それはまるで、人生案内をしているように。だって、この時のバガーの相手は少年だし、少年には戦うべき試合は無いんだから。



 ジュナとB・ジョーンズとW・ヘーゲンのストローク・ゲームは36ホール×二日間、72ホールで争われる。
 初日の前半の18ホールで12打差を付けられ、ジュナも彼を応援する町のみんなも落胆する。やけっぱちになりそうなジュナに、少年は4ホールに一打ずつ縮めればチャンスはあると言う。そして、以前はジュナとも仲良しだった父親が、この試合がジョーンズとヘーゲンの争いになったと思っているのに腹をたてる。
 休憩時間に、少年は父親に腹をたてた事を言い、そんな父親が失業して、今は町の真ん中で掃除夫をしているのが自分は恥ずかしくてしょうがないとも言う。それを聞いたジュナは、破産するのは簡単だ、だが君の父親は財産をなげうって借金や従業員の賃金を支払い、必死で逆境と闘っているじゃないか、と少年を諭す。

 『ゴルフが好きか?』とジュナが少年に聞く。
 『最高だよ。難しいけど楽しいゲームだ。あるのは自分とボールだけ。自分自身との闘いなんだ。自分にペナルティを科す、たった一つのゲームなんだもの』

 くーっ! ガキんちょのくせに、分かってるねぇ。
 少年との会話で冷静になったのか、後半の18ホールでジュナはスイングを少しずつ思い出し、12打差を徐々に縮めていく。後半の最初のティー・ショット前のバガーの言葉にも強い影響を受ける。
 バガーはジョーンズのティー・ショットをよく見るようにジュナに言う。そして、“フィールド”と一体化する自分とボール、スイングの重要性を語る。

 “フィールド”って、人生なんでしょうね。或いは生きていく世界か。
 目標はグリーンのピンなんだけど、そこまで行くのに様々なトラップやハザードが待ち受けている。それらを見通し、対処するにはフィールドをよく見るのが大事。結局、人生も自分自身との闘いということ。自分を誤れば、必ずペナルティーが返ってくる。

 二日目。
 2ラウンド目の残り5ホールでジュナは二人に並ぶ。勢いがついたジュナは一気に抜き去ろうと、ティー・グラウンドでドライバーを握る。バガーはジョーンズを見習ってスプーンを勧めるが、ジュナは構わずドライバーで打つ。ボールは大きく飛距離を稼いだが、バウンドが悪くフェアウェイからバンカーに転がってしまう。ジュナはバンカーからでも2オン出来ると、ココでもキャディーの言葉に耳を貸さず、ロングアイアンを手にしてグリーンを狙う。案の定、土手に掴まり再び砂の中に。結局このホールで再び3打遅れをとってしまう。
 なんとかその後、持ち直すも、17番でティー・ショットが大きくスライスして右の林の中に。数本のクラブを持って林の中に入ったジュナは、ボールが絶望的な位置にあることにショックを受け、周りに誰も居ないことにも気付いて・・・。

 この後のシーンも、バガーの導きが印象的です。
 勝負にこだわるあまり、ショックが隠せないジュナにキャディが言います。
 『ゴルフで大事なのは勝ち負けではない。プレイすることだ』と。

 『人生で大事なのは社会的な成功ではない。己の人生を全うすることだ』
 そんな風にも聞こえませんか?



 ところで、今回の放送、DVDにしようと録画を予約したまでは良いが、30分程経過したところで、BSのチャンネルがMLBを見る時のソレになっているのに気付くというちょんぼをおかしました。
NHKさん、もう一度お願いします
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィールド・オブ・ドリームス

2009-01-30 | ファンタジー
(1989/フィル・アルデン・ロビンソン監督・脚本/ケヴィン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、バート・ランカスター、ギャビー・ホフマン、ティモシー・バスフィールド、フランク・ホエーリー、ドワイヤー・ブラウン/107分)


 以前から再見予定リストのAランクにあった作品。何年ぶりかは忘れましたが、とにかく久しぶりの鑑賞。NHK-BS2での放送でした。

 アイオワの田舎町でトウモロコシを作っているレイ・キンセラ(コスナー)は、ある日の夕方、畑で『それを作れば彼が来る(If you build it, he will come.)』という声を聞く。妻のアニー(マディガン)にも愛娘のカレン(ホフマン)にも何も聞こえなかったが、やがてレイには自分の畑が野球場になっている光景が見えてくる。レイは“それ”が野球場であると悟り、更には、声と同時にある野球選手の姿も脳裏に浮かんでくる。それは亡くなった父親が大好きだったシカゴ・ホワイトソックスの往年のスター選手、“シューレス・ジョー”こと、ジョー・ジャクソンだった。
 借金で始めた農場経営は決して楽ではなかったが、レイはその声を天からの啓示のように感じ、野球場を作りたいとアニーに打ち明け、アニーは夫の気持ちを尊重した。近所の人々のあきれ顔をしり目に、レイは次の日から畑の半分を野球場に変える作業にかかった。貯金をはたいて野球場は出来たものの、一向に変化は起きず、数ヶ月がアッという間に過ぎた。冬を越し、再び緑の季節がやってきたある夜、彼は現れた。
 ジョー・ジャクソン(リオッタ)は、1919年のワールドシリーズで、八百長に関わったとして他の7人のチームメイトと共に球界を追放された選手だった。既に故人であったが、レイの球場に現れた彼は、選手時代の若々しい姿だった。レイは外野を守るジョーにノックをし、その後バッターボックスの彼を相手にピッチングをした。それは夢のような時間だった。次の日には、彼と共に7人の仲間もやってきて、8人とも1919年当時のホワイトソックスのユニホームに身を包んでいた。
 彼らは幽霊か?

 『彼の痛みをいやせ』
 新たな天の声が聞こえてくる。彼とは誰か? レイの直感では“彼”はジョーではない。アニーと出かけた町の集会で、60年代に活躍して今は隠遁生活を続けているピューリッツァ賞作家テレンス・マン(ジョーンズ)の本が話題になり、レイはマンが“彼”だと直感する。
 図書館でマンについて調べ出すレイ。マンの小説にはレイの父と同じ名前の主人公が出てくるものがあり、しかも、マンはかつて野球選手になる夢をもっていた。
 貯金もなくなり、畑の面積が減った為に借金の返済にも窮するようになったが、レイはなんとしてもマンに会いたいと思うようになる。1958年以降人目を避けているマンは何年も大好きな野球場に行っていないはず。彼に会って野球を見せてあげたい。それが“声”の意図だとレイは思った。
 マンに会うにはボストンまで行かなければならない。アニーは反対したが、レイと話をする内に二人とも同じ夢を見たことが分かり、アニーはボストン行きに賛成する。
 二人が見た夢とは、ボストン=レッドソックスの本拠地フェンウェイパークで、グリーン・モンスターの見える一塁側のスタンドに座り、マンとレイが一緒に野球を観ている姿だった・・・。

*

 これは喪失の話ですな。そして、なくしたものを取り戻す話。現実には取り戻せないけれど、ファンタジーという形式にすることによって、取り戻している。なくしたモノは色々あるが、一言で言えば“時間”でしょうか。
 最初に観た時には最後のキャッチボールにウルッときましたが、今回は思いがけないシーンでもキューンとしてしまいました。例えば、テレンス・マンがレイと車でアイオワに向かっている所とか、途中でヒッチハイクの若者を拾う所とか。
 野球場が出てくるし、野球選手も出てくるのでスポーツ映画にカテゴライズしている人もいるようですが、テーマとしては特に関係ない。スポーツ嫌いな人にもお勧めできる映画だと思います。
 作劇的には謎解きと予想外の展開、ローンの支払が迫る時限サスペンスと面白い要素が詰まり、中盤にはロード・ムーヴィーも味わえるという、以前より気に入っていた理由が今回ハッキリと分かりました。


▼(ネタバレ注意)
 レイが声に従うことに拘ったのには訳があった。彼曰く、『おやじの二の舞は嫌だ』。

 映画の冒頭でレイ自身のナレーションで生い立ちが語られるが、併せて父親の事も語られる。
 父の名はジョン・キンセラ。1896年、ノースダコタ生まれ。第一次世界大戦から帰った後、父はシカゴに住み、ホワイトソックスのファンになったが八百長問題で大いに失望した。マイナーリーグで野球選手になるもメジャーには届かず、その後ニューヨークに移り38年に結婚する。52年にレイが生まれた3年後には妻に先立たれ、以後男手一つでレイを育てた。子守歌代わりに、ベーブ・ルースやシューレス・ジョーなど野球選手の話を聞かせ、父は息子にメジャーリーガーへの夢を託した。レイは10歳まではつき合ったが、その後父親とはキャッチボールもしなくなった。17歳で家出同然に西海岸の大学に入り、父親との関係も途絶えた。大学で知り合ったアニーと74年に結婚し、同じ年にジョンが死んだ。葬式には間に合ったが、死に目には会えなかった。

 『意味無く年を取った』。レイは父の事をそう言うのである。
 『今の俺と同じ年には老人同然だったろう。夢はあったはずだが、何もしなかったんだ。“声”も聞いたかも知れないのに、聞き流した。自分からは何もしなかったんだ。そんな男にはなりたくない。そうならない為の最後のチャンスなんだ』
 畑で聞こえた声を、レイはそんな風に捉えたのだった。

 ボストンでマンに会うも、最初はけんもほろろに追い返されそうになり、必死の攻防の末、なんとか球場まで出かけ一緒に野球を観ることが出来た。二人で並んで観ていると、今度は電光掲示板に奇妙な言葉を発見する。
 『アーチー・“ムーンライト”・グラハム(ニューヨーク・ジャイアンツ) ミネソタ州 チザム 1922年』

 レイの話を真に受けなかったテレンスにもその言葉が見えていて、作家的興味から一緒にアーチー・グラハムについて調べてくれた。アーチー・グラハムはメジャーでは1イニングにしか出場しなかった選手だった。
 二人はアーチーの故郷、チザムに向かい、野球を止めた後、故郷で医者として生涯を終えた事を知る。ホテルの新聞でテレンスの行方を彼の父親が案じていることを知り、彼が父親へ電話をしている間、レイは外に散歩に出かける。ふと気が付くと、その時街は1972年にタイムスリップしていた。レイはそこで医者となったアーチー・グラハム(ランカスター)に出逢う。
 アーチーは自分を“ムーンライト”と呼ぶレイを診療所に招き、レイに聞かれるまま、メジャーでの経験や叶えたい望みについて語る。アーチーの望みとは・・。

 メジャーに上がって3週間目のシーズン最終戦。大量リードの8回にアーチーの出番はやってきた。ライトの守備。その試合で打席に立つことはなく、結局その1イニングが彼のメジャー経験だった。シーズン終了後には再びマイナー降格が決まり、アーチーはメジャーを諦めて故郷に帰り大学に戻る。元々医者の家系であり、以後チザムから出ることはなかった。

 メジャーでの3週間。自分はそれが最後のチャンスだと思わずに過ごしていた。いつでもメジャーに戻れると思って、頑張り所を見誤った。それが生涯の心残りだった。
 希望は、メジャーの打席に立つこと。青空に向かって思いっきり白球を叩き、三塁に滑り込んでベースを両手で抱えることだと彼は言った。

 ラストシーンで、全ての人々の希望が叶えられる。そして、お膳立てをしてきたレイにも、失った時を取り戻すような出逢いが待っていた。ウルウル
▲(解除)


 W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作。
 映画原題は、【FIELD OF DREAMS】。この世に舞い戻ってきたような選手達にも“夢の球場”であり、レイやマンにとってもそれぞれの願いが叶った“夢の球場”なのでした。

 バート・ランカスターはこの映画の5年後に心臓発作で亡くなっていた。
 エイミー・マディガンはエド・ハリスの奥さん。
 むちゃむちゃ愛らしいギャビー・ホフマンはこの時7歳。身体がちっちゃいのでもっと幼く見えましたが、今もご活躍のようです。我が再見リスト上位の「めぐり逢えたら」のトム・ハンクスの幼い息子のガールフレンド役も彼女でした。うぅー、コレも観たくなった~。

 1989年のアカデミー賞では、作品賞、脚色賞、作曲賞(ジェームズ・ホーナー)にノミネートされたそうです。





・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 テアトル十瑠
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「NOEL ノエル」 ~ もう一つの舞台、病院

2008-12-29 | ファンタジー
 クリスマスのニューヨークを舞台にした群像劇「NOEL ノエル」には、もう一つアンサンブルの舞台としてひとつの病院が登場します。ローズの母親が入院している病院、マイクをしつこく追いかけて終いには突き倒されて心臓発作を起こしたアーティが運び込まれる病院、そして一人暮らしの若者ジュールズが14歳の時に入院していた病院。さて、この病院で彼らはどんな体験をしたのでしょうか。
 以下、未見の方には“ネタバレ注意”です。

*

 患者でない人はお引き取り下さいと言われたジュールズは、街に戻って友達に一人の男を紹介してもらい、その男に自分の腕を折ってもらいます。「ダーティハリー」で“スコルピオン”がハリーを貶めようと自分を殴らせたあの黒人と同じ手合いですな。入院する為にわざわざお金を払ってまで怪我をしようとする孤独な若者。自傷行為を疑った看護婦はジュールズを引き留め、後で精神科医に診させます。医者に語った彼の過去は悲惨なものでした。

 父親が病死した後、母親が再婚した男は乱暴者で、毎日のように妻にも義理の息子にも暴力を振るった。クリスマスの前、母親を庇おうとしたジュールズは男に鼻の骨を折られ、この病院に入院する。看護婦が妖精になってプレゼントを渡してくれたパーティーは、子供の時の最高の楽しい思い出だった。病院は母親に連絡したが彼女は迎えに来なかった。ジュールズは、母は自分を見捨てて男を選んだと思った。

 女性の精神科医はジュールズに母親へもう一度連絡する事を勧めます。母親が迎えに来なかったのは、連れ戻っても再び傷つくであろう息子を思っての事ではなかったのか。継父は死に、今は一人暮らしだという母親。
 『もう一度連絡を取りなさい。たかが電話一本じゃないの』
 ミラクルは起こりませんが、ラストシーンでジュールズは晴れ晴れとした様子で病院を後にしました。

*

 アーティがマイクを追いかける理由は、マイクが亡くなった奥さんの生まれ変わりだからという事でした。しつこく付きまとうアーティを弾みで突き倒してしまったマイクは、倒れて動かなくなったアーティを病院に連れて行きますが、やがてそこにマイクの同僚デニスがやってきて、アーティに関する警察情報をもたらします。

 アーティは数十年前に殺人罪で4年間服役していた。
 冬のある日、アーティが家に帰ると妻が男と居て、浮気を疑ったアーティは男と口論になり階段から突き飛ばした。男は首の骨を折り、運ばれた病院で死亡する。浮気はアーティの誤解だったが、悲惨なことに、外に飛び出した妻は車を130キロで運転して凍った路面のカーブを横滑り、対向車と正面衝突して即死した。

 嫉妬深さをニーナから指摘されていたマイクは、アーティの過去に自分の将来を見、この夜の出来事に因縁めいたものを感じます。前科者に関わるなというデニスに、彼はこう言います。『何かが起こっている。確かめたいから、もうしばらく付き添うことにする』。

 マイクが眠っているアーティに語りかけていると、一人の男がやってきます。ポールはアーティの息子でした。ポールはマイクに言います。『妻の生まれ変わりだと言われませんでしたか?』。
 アーティは妻を死なせたことを悔いていて、あれ以来クリスマスになると誰かを捕まえては“生まれ変わり”の話をするとのこと。母親が亡くなった理由もポールには告げず、息子の愛情は父親へ届いてないと彼は嘆く。
 クリスマスの朝、気が付いたアーティにマイクは言います。
 『あなたを許す。全てを許します』

 心の中ではマイクはこう言っていたに違いありません。『あなたに感謝します。自分の愚かさに気付かせてくれた、あなたに感謝します』

*

 ローズのエピソードはファンタジーです。
 クリスマス・イブの久しぶりのデートも上手くいかず、人生に絶望したローズは夜の埠頭へやって来ます。凍り付いた河に飛び込もうとしたその瞬間、彼女に語りかける声に振り向くと、そこには母親の隣の病室で会った男がいました。見舞客のない寂しい病室で、ただ一度会った患者の友人。男の名前はチャーリー・ボイド。20年間聖職にいたが、今は俗人になったという彼は、『泳げないが、君が飛び込んだら飛び込むつもりだ』と言います。

 話を聞きたいというチャーリーに従い、ローズは彼をアパートに招き入れます。自分の人生にどれほどの価値があるのか分からないと言うローズに、チャーリーは君は他人の人生に充分良い影響を与えていると言います。
 『先程、友人の病室に来たあなたは、見も知らぬ病人に“愛してる”と囁いてくれた。神を信じなくなっていた私も救われた』と。更に『自分の願いは寂しくない死を迎えることだ』と話します。
 二人は静かに暖炉を見つめながら夜をやり過ごし、やがてクリスマスの朝を迎えます。

 『君のお母さんは君に感謝している。でもお母さんの願いは君が幸せになることだ。彼女がそう言ってる』
 そう言うチャーリーに欺瞞を感じたローズは彼を追い出しますが、ベッドに十字架のネックレスを見つけた彼女はチャーリーに渡そうと病院に向かいます。
 件の病室で看護婦を見つけたローズは、面会人のチャーリー・ボイドを知らないかと言います。看護婦は怪訝な顔をしてこう答えます。『チャーリー・ボイドは患者よ』。

 ローズが会ったチャーリーは誰なんでしょう?
 チャーリーをコピーした身体に神様が入り込んだものでしょうか。話の流れではチャーリーの魂も入っているように感じます。良く分かりませんが、とにかくそんなものです。

 ベッドに横たわるチャーリーを見つめながら、夕べ彼が語ったことを思い出したローズは、ネックレスを掌に握らせ、天国へ召される彼を見送るのです。チャーリーの表情にも笑みが浮かんでいました。
 この後、ローズにはもっと嬉しいサプライズも用意されていましたが・・・


コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NOEL ノエル

2008-12-27 | ファンタジー
(2004/チャズ・パルミンテリ監督/スーザン・サランドン、ペネロペ・クルス、ポール・ウォーカー、アラン・アーキン、ロビン・ウィリアムズ、マーカス・トーマス、チャズ・パルミンテリ/96分)


 アメリカ人にはクリスマスというのは特別な日なんだという事が良~く分かる映画です。アメリカ人は“ゴッド・スポット”の発達している人が多いのでしょうか。神様が姿を変えて出てくるという映画がホントに多いです。それが好きな私って一体・・・?
 あっ、“ゴッド・スポット”というのは、<話題が精神的なものや宗教的なものになると、この部分がにわかに反応する>といわれる脳の側頭葉の神経の接合部分の事らしいです(ご贔屓のコチラのブログで知りました)。勿論、反応の程度は個人差があるはずですがね。

*

 「NOEL」とはフランス語でクリスマスの事。「ラブ・アクチュアリー」程の数ではないけれども、複数のドラマが交錯する群像劇です。舞台はクリスマス・イブのニューヨーク。大きく分けると三つの話で、そのうちの二つには本筋と脇筋がある。

 スーザン・サランドン扮する中年のバツイチ女性ローズは、長年の看病の末父親を亡くし、今また重度のアルツハイマー病の母親を抱えている。クリスマス・イブに入院先の母親を訪ねても、ベッドの上の彼女は娘の呼びかけにも反応せず、食べ物を口にしないのでローズもどうして良いか分からない。
 大手出版社で児童書の編集をしていて、同僚の女性に勧められ、ローズに気のある年下の男性とデートをするが、最後の一歩が踏み出せずに再び一人になって、街を彷徨う。

 ニーナ(クルス)とマイク(ウォーカー)は恋人同士。近々結婚の予定だが、ニーナには一つ気がかりなことがある。それはマイクの病的なほどの嫉妬深さだ。イブの夜、マイクの部屋でニーナがゲイの友人とツリーの飾り付けをしていると、帰ってきたマイクはまたもや勘違いをして彼女の友達を傷つけてしまい、怒ったニーナは部屋を飛び出してしまう。

 一人暮らしの若者(トーマス)は14歳の時に入院先の病院で過ごしたクリスマスの夜が忘れられず、救急患者でごった返す病院にやってくるが、クリスマス・パーティは患者と病院関係者でするものなので、あなたは帰りなさいと言われる。

 クリスマス・イブの夜から翌朝にかけての三つの話が、カットバックしながら語られていきます。三つ目の話の若者にはクレジットではジュールズという名前があったはずだけど、台詞では出てきません。前の二つの話より少し軽めの印象で、多分、二つの話のカットバックじゃドラマの流れがきつくなるとの配慮から追加されたエピソードなのでしょう。
 ローズのエピソードには、母親の隣の病室に入っている、見舞客のない孤独な患者とのふれあいが脇筋としてあり、マイクにはレストランで彼に声をかける不思議な年老いたウェイター、アーティ(アーキン)とのエピソードがある。

 公開時コピーは『すべての人に幸せが降る夜がある。』

 本筋、脇筋、それらが紡ぎ合うように交差しながら、心温まるクリスマスの朝を迎える話です。ファンタジーです。ローズのエピソードには「素晴らしき哉、人生!」へのオマージュもあり、嬉しくなりました♪



 <俳優としてばかりでなく、自ら手掛けた戯曲でも高い評価を受けているチャズ・パルミンテリが満を持して挑んだ映画監督デビュー作。>(allcinema-onlineより)とのこと。今作はデヴィッド・ハバードという人の脚本で、パルミンテリの名前はありませんでした。リズムの良い上手い編集は、スーザン・E・モースとジョセフ・グトウスキーの二人。
 40代の女性を演じたスーザン・サランドンは、この時58歳。40代後半に見えなくもない色気もさることながら、色々な感情を見事に表現できる相変わらず素敵な女優さんでした。
 三つ目の話が少し弱くて、お薦め度は★半分減点したけど、★3.5個は無いので★4つにしました。

ネタバレ記事はコチラ

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十四丁目の奇跡

2007-12-30 | ファンタジー
(1947/ジョージ・シートン監督・脚本/エドマンド・グウェン、モーリン・オハラ、ジョン・ペイン、ナタリー・ウッド、セルマ・リッター/96分)


 リチャード・アッテンボロー主演の94年のリメイクの方もなんとなく気になっていながら観ていませんが、“クリスマスにお薦めの映画”にも挙がっていたコチラの旧作の方をレンタルしてきました。
 監督は70年代のオールスターパニック映画「大空港(1970)」のジョージ・シートン。ていうか、オールド・ファンにはグレース・ケリーが主演オスカーを獲った「喝采(1954)」の方が有名でしょうか。

 サンタクロースが実在した人物がモデルなのは今や周知の事実ですが、これはいわゆる“お伽話のサンタクロース”がニューヨークに現れるというファンタジー・ドラマです。

*

 大手デパート、メイシー百貨店の年末恒例のクリスマス・パレード。雇われサンタが酔っぱらった為に、偶然通りかかった本物のサンタクロース、クリス・クリングル(グウェン)が代役を頼まれるというのが物語の発端だ。
 パレードの後には、店内で子供たちとお話をしたり握手をしたりのサービスもしなくちゃいけない。儲け主義の昨今のデパートの売り方に不満だったクリングルは、メイシーにない玩具を探している親子には別のデパートの情報を教えたりする。そんなやり取りを聞いていた販売責任者はビックリするが、逆にお客の方からはお礼を言われて、尚かつ『お客を大事にするメイシーを、これからは応援するわ』と聞かされて更に驚く。例年より売上が伸びて社長からも特別ボーナスの提案も出てくる始末だった。

 パレードの責任者、メイシー百貨店の人事担当ドリス(オハラ)は子持ちのバツイチ。“白馬に乗った王子様”なんかを夢見てもらったら困ると、娘にはお伽話を聞かせない現実主義者で、娘スーザン(ウッド)もその通りに育っている。
 ドリス親子と同じアパートの向かいに住んでいる弁護士フレッド(ペイン)はドリスが好きで、忙しいドリスの代わりにスーザンをメイシーに連れていきクリスと会わせる。外国の言葉も起用に操るクリスを見て、彼を本物のサンタと信じそうになるスーザンを心配したドリスは、クリスに「サンタは実在しない」と説明するようにと頼む。ところが、クリスは応じない。あわててクリスの経歴書を調べたドリスは、その内容から彼を妄想狂の老人だと判断し解雇しようとする。
 丁度その頃、社長からの呼び出しがあり、クリスのおかげで売上が伸びたという報告もあり、販売責任者と話して、危険さえなければこのまま彼を雇用しようということになるのだが・・・。

*

 ドリス役はモーリン・オハラ。ジョン・フォード映画のジョン・ウェインとの共演でお馴染みの彼女が都会の子持ちのOLに扮して、フォード作品とは全然違う印象を見せています。そして、その可愛い娘役が少女時代のナタリー・ウッド。僕ら古い映画ファンには記念品にしたいような映画でありますな。

 ドリスは念のために社内の精神科医にクリスの精神鑑定をお願いするが、そのヤブ医者は入院を勧める。ある事をきっかけにクリスはヤブ医者を殴り、それはクリスを強制収容するか否かの裁判に発展する。
 この中盤は、ヤブ医者との対立がメインとなっていてファンタジー色が薄れ、物語も少し弛んでくる。

 クリスの弁護人はフレッド。クリスの精神鑑定がテーマだった裁判も、やがて「サンタクロースは実在するか」が争点となってしまう。このエピソードでは、簡単に引き受けてしまった最高裁判事と彼に助言する後援者のやり取りが面白かった。
 『サンタクロースなんて居ない、なんて言ったら大変なことになるぞ!』

 裁判は判事も一安心の決着を見、ラストはファンタジーに相応しい、そしてラブコメ的にも粋なハッピーエンドでした。


 1947年のアカデミー賞では、作品賞にノミネートされ、助演男優賞(グウェン)、脚色賞(シートン)、原案賞(ヴァレンタイン・デイヴィス)を受賞。ゴールデン・グローブ賞でも、助演男優賞、脚本賞を受賞した。

・お薦め度【★★★=クリスマスには、一度は見ましょう】 テアトル十瑠
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カイロの紫のバラ

2007-03-21 | ファンタジー
(1985/ウディ・アレン監督・脚本/ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、エド・ハーマン、ダイアン・ウィースト/82分)


 ウディ・アレンお得意のレトロな時代のお話。

 不況が続く30年代。無職のくせに遊んでばっかりの大男を亭主を持つシシリア(ファロー)は映画が大好き。今週から始まる「カイロの紫のバラ【原題:THE PURPLE ROSE OF CAIRO 】」には、ご贔屓の男優ギル・シェファード(ダニエルズ)も出演していて、アフリカやニューヨークを舞台にしたロマンチックな話らしい。
 シシリアの仕事は町のレストランのウェイトレス。姉に紹介されて一緒に働いているが、いつも映画のことばかり考えていて注文を間違えたり食器を落としたり。店主にはいつも怒られている。
 今日も今日とて、レストランの帰りに余所の家の洗濯物を預かって家に向かっていると、遊んでいる亭主につかまり小銭を取り上げられる。シシリアが映画に誘っても、『よく飽きもせず何時間も座っていられるな』と相手にしてくれないので、今夜は独りで「カイロ・・」を見に行くことにする。
 あまりの面白さに翌日も姉を誘って見に行くが、家に帰ると亭主は女を連れ込んでいて、怒ったシシリアは荷物をまとめて家出をする。夜の町は人通りも少なく、世間の風は冷たそうだ。一晩も保たずに、亭主の予言通りすごすごと帰ってくる彼女であった。
 翌日、接客中に又してもお皿を落としたシシリアに、ついに堪忍袋が爆発した店主はクビを言い渡す。泣き泣き家路につくシシリア。彼女の心を癒してくれるのは映画だけ。赤く眼を腫らしながらその日も「カイロ・・・」を見る。早く帰ると仕事を失ったのが亭主にばれるので、シシリアは何度も見る。
 と、その日3回目を見ていると、ギル演じる冒険家トム・バクスターが突然スクリーンの向こうからシシリアに向かって話しかけてくる。
 『この映画が好きなんだね。もう、5回も見ている』
 『・・ 私?』と問い返すシシリア。
 『そうだよ』スクリーンから抜け出すトム。それを見て失神するご婦人。
 『君と話がしたい』トムはシシリアにそう語りかけるのだった・・・。

 一昨年に見た「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ(2004)」では、しんちゃん達が映画の中に取り込まれちゃうけど、コチラはスクリーンの中の登場人物が『何回も同じことをやっているのに飽きちゃった』と、現実世界に飛び出してくる話。ファンタジーですな。

 トムはシシリアに惚れたと言い、何処かへ行こうと彼女の手を取る。二人は映画館を飛び出して今は閉園している遊園地へ行く。そして、トムが居なくなったスクリーンではストーリーが進まず、場面はその時のままで、他の出演者は困り果てる、てな具合。映画館の客は話が進まないので怒り出し、スクリーンの登場人物は観客席にやって来た館主にトムを探してくれと頼む。

 スクリーンの向こう側もこっち側も真面目にしゃべっているので面白いんだが、“何でもあり状態”の実写版のファンタジーは一歩間違うと白けてしまう。「バガー・ヴァンスの伝説」の謎のキャディのように、ファンタジックな登場人物は準主役レベルに止めて置いた方がいいような気がするなぁ。「ゴースト/ニューヨークの幻(1990)」、「天国から来たチャンピオン(1978)」の主人公も超自然的な存在だったけど、アレは現実の拡大版みたいなもんで、トムのような架空の人物とは違う。トムがシシリアの相手役という重要な立場なのでちょっと引きながら見ておりました。そして、シシリアのドジさ加減は許すとしても、仕事中にぺちゃくちゃお喋りして、真摯に働く姿勢が見えないので彼女にもそれ程同情心が湧かない。そういうのを合わせて★が一つ飛んでいきました。

 オールドファッションなBGM(音楽:ディック・ハイマン)は心地よく、アカデミー賞にノミネートされ、NY批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞を獲ったアレンの脚本は相変わらず構成が巧い。シシリアがもう少ししっかりしていれば、あんなほろ苦い終わり方ではなく、ハッピー・エンドを予感させてくれたんでしょうけどねぇ。

▼(ネタバレ注意)
 トム・バクスターは他の映画館でも台詞を忘れるなどのトラブルを起こしていて、作った映画会社の幹部も頭を抱える。演じたギルにも、『何とかしないと、君のキャリアにも傷が付くし、今後にもマイナスだ』と圧力がかかる。仕方なくギルはシシリアの住む町にトムを探しにやって来て、偶然シシリアと出逢い、彼女がトムの居所を知っていることを知る。
 元々ギルのファンだったシシリア。彼女と話をしている間にギルもシシリアに惹かれ、シシリアの事をフィアンセとまで呼ぶようになったトムと三角関係になってしまう。
 さて、シシリアはどっちの男性を選ぶのか?

 お伽話らしいエピソードを。
 レストランでシシリアと食事をするトム。しかし、現実世界ではトムが持っていたお札は偽物であり、文無しの二人は店を逃げ出す。店の前に留めてあった車に乗り込む二人。ハンドルを掴むトム。『アレッ、動かないネ?』『(コチラでは)キーが無いとダメなのよ!』
 その後、もう一度トムがシシリアを食事を誘うシーンがある。『だけど、あなたもお金が無いでしょ』というシシリアの手を引いて彼が向かったのが、映画館の中。今度はシシリアがスクリーンの中に入って行き、映画の中のレストランで食事をする。シャンパンのつもりで飲んだらジンジャエールだったというのは、トムのお札の裏返しで笑える。
 シシリアと遊園地で甘~いキスをするトム。その頃の映画ではこういうシーンでは画面が暗くなって終わるのが普通。
 『アレッ? フェイドアウトしないね?』
 『あたしのハートがフェイドアウトしたわ』

 さて、映画の中だけの架空の人物、詩人で冒険家のトム・バクスターは何故自分の意志を持ったのでしょうか? ギルの神憑り的な演技力のなせる技とか、いい加減に演じたからとか、そんな事でもない。結局、最後までその辺りについては問いかけもされません。
 夢は夢で終わるのが真っ当、と言わんばかりの苦いラストはトムの背景が空疎なままだったからでしょうか。おかげで作品自体にも“小品”のイメージがついてしまいました。

 ラストシーン。悲しい気持ちで映画館の椅子に座るシシリア。既に「カイロ・・・」は終了し、彼女が見つめるスクリーンでは次の映画が流れていた。フレッド・アスティア&ジンジャー・ロジャース主演の「トップ・ハット(1935)」。流れてくる歌はオープニングのタイトルバックと同じく、アスティアの「♪Cheek to Cheek」。ここでは華麗なダンス・シーンと共に流れてくる。
 ♪Heaven, I'm in Heaven・・・

 暗く途方に暮れていたシシリアの頬が少しずつ赤らみ、瞳が輝いてくる。それは、自分でも気付かない間に、まるで映画の魔法にかかったように・・・。ミア・ファローの名演技。
▲(解除)

・お薦め度【★★★★=ファンタジーと断ってから、友達にも薦めて】 テアトル十瑠
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天使のくれた時間

2007-01-22 | ファンタジー
(2000/ブレット・ラトナー監督/ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ、ドン・チードル、ジェレミー・ピヴェン、ソウル・ルビネック、ジョセフ・ソマー、ジェイク・ミルコヴィッチ、ライアン・ミルコヴィッチ、リサ・ソーンヒル、ハーヴ・プレスネル、メアリー・ベス・ハート/125分)


 1987年、NY。恋人同士の若い二人。男はロンドンの銀行が主催する企業研修に旅立とうとするが、女はある予感におそわれて行かないでと言う。
 『飛行機事故を心配しているのかい?』。男は『100年経っても帰ってくるから、君も立派な大学で法律を学んでいてくれ』と搭乗口に向かう。
 それから13年。男はニューヨークの大きな投資会社の社長になっていた。彼女とはロンドンに旅だったまま別れ、今は億ションの高層階に住み、女にも不自由はしないという優雅な独身生活を送っている。
 クリスマス・イブの夜、たまたま居合わせたコンビニで強盗に遭遇、男は強盗にお金を渡し努力して仕事に就くようにと説教をする。
 『お前は俺を救おうとしているのか?』
 『人は誰でも救いを求めているものさ。私には不要だけどね』。ソレを聞いた強盗は『これから起こる事は、自分が招いた事だからな』と不思議な事を囁き去って行く。
 いつもの大きなベッドで眠りにつく男。次の日の朝、目が覚めると傍らには13年前に別れたあの女性が居た・・・。

*

 「素晴らしき哉、人生!」と発想は同じ。天使(or神様)が主人公にタラレバ人生を見せる事によって、実人生の認識を改めさせるという話だ。但し、「素晴らしき・・」が終盤の切り札的な扱いとしているのに対し、コチラはタラレバの世界で主人公が体験することを描くのが主眼となっている。

 男の名はジャック。演じるのはニコラス・ケイジ。この人、顔は似てるけどアンディ・ガルシアの方が二枚目だし、額は広いし、脱いだら(筋肉は)凄いことになってるし、初めて写真で見たときは主役を張るような役者じゃないように思ったんですが、フィルムの中で見てみると人間くさい表情に味がある俳優です。

 恋人の名はケイト。コチラは「ジュラシック・パークⅢ(2001)」のティア・レオーニ。実はビデオのジャケット写真でメグ・ライアンによく似た可愛らしい女優だなぁと思っていて、ティアだと分かって少しガッカリしました。しかし、このケイトは「JPⅢ」のヒステリックなお母さんとは違って、ジャケット通りの可愛らしい女性でありました。

 さて、タラレバの世界はどういうことになっているかというと、ジャックとケイトはNYの郊外に住んでいる夫婦で、男の子の赤ん坊と幼稚園に行っているアニーという女の子が居る。大会社の社長ではないが、小さな会社を取り仕切り、沢山の友人もいる普通の男性だ。つまり、13年前にケイトと別れずに結婚していたらという世界なのだ。但し、コチラの世界でもジャックの中身は前夜までの社長のジャック。つまり、ジャック自身にはケイトと結婚後の13年間の記憶がないという不思議な空間になっている。
 ちょっと、SFチックで興味深い本(脚本:デヴィッド・ダイアモンド&デヴィッド・ウェイスマン)であります。誰でも『あの時こうしていたら・・』と思うことはありますよね。それをスリリングに、ファンタジックに描くとこうなるという映画です。

 突然違う人生のレールに乗っけられたジャックは一時パニックに陥るわけですが、タラレバの周りの人々はジャックが少し変だぞくらいにしか思わない。ただ一人、アニーちゃんだけはパパの異変に気付き、エイリアンがお父さんに化けたと思っている。この女の子がとっても可愛くて素敵! “エイリアン”が自分たちに危害を加える気が無いのを確認した後は、“地球の事”を何かと教えたりする。この子とジャックとの関係が彼の変貌ぶりを象徴的に表しております。13年間連れ添った亭主の異変に気付かない奥さんというのもオカシナ話ですが、ま、その方が都合がいいし、ファンタジーですから堅いことは言わないことにしましょう。

 社長だったジャックは、周りの人に感づかれないようにタラレバ世界のジャックの13年間を確認していく。その過程で、結婚することを選んだジャックとケイトの人生を知ることによって、また庶民として、家庭人として生活していく内に、パーフェクトだと思っていた社長の人生では味わえなかったものを感じるようになる。【原題:THE FAMILY MAN

▼(ネタバレ注意)
 家庭人ジャックの13年間を要約すると、ロンドンの研修を一日で切り上げて帰って来た彼はケイトと結婚、NYの証券会社に勤める。会社ではトップセールスのご褒美にその年の新人賞まで取るが、自動車修理工場を経営しているケイトの父親が心臓の病気を患ったために証券会社を辞め、義父の会社を手伝うようになった、という具合だ。

 子供のお守りも初めての経験だったし、リッチマンだったジャックからすれば面白みのない日常生活に組み込まれた格好だ。しかし、13年ぶりに逢ったケイトが昔と変わらずに美しいのに気付いたりして、ジャックもタラレバ世界を前向きに考えるようになった頃、元の世界の上司、投資会社の会長に出会う。ケイトを今よりも幸せにしようと会長に自分を売り込み、役員として迎え入れられるようになる。可愛い子供たちと美しい妻をそのまま伴って、NYでの豪華な生活に入れるわけだ。スーパーの値札を気にすることなく買い物が出来、子供は私立の名門学校に通わすことが出来る。
 ところがケイトの反応はジャックの思惑とは違った。子供への環境を考えてNYから郊外に引っ越したのに、何故? 静かなこの家で老後もあなたと過ごしたかったのに・・。
 その後の『それでもアナタと一緒に居たいからついて行くわ』というケイトの言葉に作者の想いが詰まっているようです。

 一見教訓的な話に見えますが、それよりは奇妙でロマンチックな空間をジャックと一緒に体験する面白さの方が勝っております。教訓的な話にするのならタイムマシンに乗せて社長として年をとっていった場合にどんな老後が待っているかという話でも良かったわけです。しかし、それだとどなたかの映画サイトのコメントにもありましたが、独身貴族で過ごすのも一つの人生じゃないかなんて事にもなりかねませんものね。

 元の世界に戻ってきたジャックは、前夜のクリスマス・イヴにかかってきたケイトからの電話を思い出し、彼女のアパートを探す。コチラでも13年ぶりに会ったケイトは美しかった。ジャックと別れた後、法律事務所に勤めた彼女はパリ支店に赴任する直前で、引っ越し準備の真っ最中だった。前日の電話は、13年前から預かっていたジャックの荷物を返す為の電話だった。そして、彼女も独身だったがその夜に機上の人となる予定だったので、ゆっくりと話す時間はとれなかった。彼女も一人で頑張って高給取りになっていたのだ。今更ジャックに引き留めることなど出来るはずもない。

 この後、ジャックは社長の座を投げ捨てて空港にケイトを探しに行きます。それは13年前の二人の立場が逆転した格好で、一緒に居たいという必死のジャックの想いが通じることになります。
 ラストシーン。空港ロビーの片隅でコーヒーカップを前に話しをしている二人。会話の内容は聞こえません。ガラスの向こうには白い雪が降っているクリスマスの夜でした。
▲(解除)

*

 監督のブレット・ラトナーは2006年の大ヒット作「X-MEN:ファイナル ディシジョン」が最新作品とのこと。ストーリーを面白く魅せる技は確かなモノを持っているようで、名前は覚えておいて宜しいようです。

 親しみやすい音楽はロックバンド出身のダニー・エルフマンという人。80年代の後半から映画音楽を手がけるようになっていて、フィルモ・グラフィーを見るとティム・バートンやガス・ヴァン・サントと組むことが多いようです。なんと、ブリジット・フォンダの旦那さんだそうです。





・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて、その人が好きなら】 テアトル十瑠
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クジラの島の少女

2006-07-22 | ファンタジー
(2002/ニキ・カーロ監督・脚本/ケイシャ・キャッスル=ヒューズ、ラウィリ・パラテーン、ヴィッキー・ホートン、クリフ・カーティス、グラント・ロア/102分)


 過疎化と伝統が失われていく村の現状を憂いたマオリの族長と、伝統を受け継ごうとするも女性であるが故に思いが受け入れられない孫娘との葛藤を描いたニュージーランド映画。
 主演の少女が史上最年少の主演オスカー候補になったと話題になった作品だ。

 豊かな自然が残っている為、「ラスト・サムライ」や「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地にもなったニュージーランドだが、そのニュージーランドの映画を観るのは多分初めてだ。
 ジェーン・カンピオンの「ピアノ・レッスン(1993)」もニュージーランドが舞台であったものの、製作はオーストラリア。但し、どちらも島国ならではの“海”の風景が印象深い。

 原題は【Whale Rider】。“クジラ乗り”ですな。
 ニュージーランドに初めて来たマオリの偉大なる祖先はクジラの背に乗ってやってきた、という古い言い伝えがあるらしい。

*

 マオリの当地の族長コロ。その息子ポロラニに初めての子供が出来るが、妻は出産後に死亡。生まれた双子の一人(男の子)もすぐに死んでしまう。残された赤ん坊は女の子。代々受け継いできた長の跡継ぎの事のみに関心があるコロに愛想をつかしたポロラニは子供を残して村を出て行く。
 ここまでがプロローグ。
 その12年後。少女となったその時の赤ん坊が主人公で、この映画での語り手となっている。名前はパイケア。マオリに伝わる“偉大なる祖先”と同じ名だ。

 伝統に縛られる父と自由を求める息子の葛藤。家督制度、男尊女卑。そんな古い因習をかたくなに守ろうとする老人コロももう一人の主人公。コロの憂いも映画はしっかりと描いてはいるものの、日本の一般人である私には切実さがそれ程伝わってこないというのが正直なところです。

 村を出ていったポロラニに替わってパイケアは祖父母に育てられ、コロにも懐いているしコロも可愛がっている。ヨーロッパでアーティストになったポロラニだが、毎年パイケアの学校の大きな行事には参加しに来ており、今年も約束通りやってきた。
 ポロラニに新しい恋人が出来たことが分かり、またしてもコロと一悶着有る。『お前が望むなら、一緒に来ないか?』というポロラニの言葉に、一度は父親と一緒に村を出ようとするパイケアだったが、途中で思いとどまる。
 パイケアと別れた後、族長として新しい指導者の育成に専念しようと覚悟していたコロは、その後戻ってきたパイケアを冷たく扱うようになる。

 中盤、学校の学習発表会でコロに自分の気持ちを伝えようとパイケアがスピーチをするが、愛するおじいちゃんはアクシデントで来れない。涙をこぼしながらのスピーチが哀しい熱演で、これでケイシャちゃんのオスカーノミネートが決まったのでしょう。
 さて、コロに起きたアクシデントとは・・・。

 美しく自然を切り取ったカメラはレオン・ナービーという人。水中カメラによるクジラの撮影も出てきます。
 ゆったりとした演出で、後半は神がかり的なムードも出てくるので、コロの憂いに理解が示せない人はファンタジーとして観た方が楽しめるかも知れません。


▼(ネタバレ注意)
 学習発表会に向かおうとしたコロは浜辺に打ち上げられた沢山のクジラを発見する。
 マオリにとってはクジラは神聖な動物なのでしょう。発表会が終わってクジラに気が付いた人々も総出でクジラを助けようとする。パイケアも何とかしようとするが、ここでもコロは『クジラに触るな。』と邪険に扱う。
 人々の賢明の作業にも関わらず、クジラは動こうとしない。

 徹夜の介護で疲れ果てた村の人々が家路に着こうとした頃、パイケアのお祖母ちゃんがパイケアが居ないことに気付く。そして、さっきまで浜辺に転がっていたクジラ達が海に向かって泳ぎだしたのにも気付く。
 沖に向かって進んで行くクジラたち。ひときわ大きなクジラの、その背には・・・。
▲(解除)


 マオリ族の内部の話に終始するのでマオリの紹介映画のようにも見えます。ただ、老若男女、村にいる人は誰も仕事をしていないようで、時々現れる大人達も遊び人風だし、どうして生活しているのか気になりました。ニュージーランドの先住民マオリは、オーストラリアのアボリジニとは違って優遇されているようですが。
 コロはポロラニに対して、『村の惨状を見過ごすのか・・・』みたいなことを言っていたけど、“惨状”とは何を意味するのでしょうか? 精神的な風土の崩壊を言っているのでしょうか?

 主演のケイシャちゃんは1990年生まれ。撮影時は12歳。アカデミー賞にノミネートされた時は13歳でした。「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールスに似たお顔立ちです。「スター・ウォーズ エピソード3(2005)」にも出ているそうですが、そういえばコレ未見でした。お楽しみが一つ増えましたです。

 監督のニキ・カーロは、カンピオンと同じく女性で、通常の人間ドラマを描きながら、全体として神話的なムードも出せているのは立派。この後シャリーズ・セロン主演の「スタンドアップ(2005)」を撮っている。コチラは実話が元になっているので、さて如何なもんでしょうか? こちらも女性ならでは視点が気になる映画です。





・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】 テアトル十瑠
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バガー・ヴァンスの伝説

2005-08-28 | ファンタジー
(2000/ロバート・レッドフォード監督・共同製作/ウィル・スミス、マット・デイモン、シャーリーズ・セロン、J・マイケル・モンクリーフ、ジャック・レモン)


 ゴルフの映画というのは珍しい。これ以前に観たのは、ロン・シェルトンの「ティン・カップ(1996)」(主演:ケヴィン・コスナー)くらいしか覚えていない。

 ロバート・レッドフォードの「モンタナの風に抱かれて(1998)」に続く監督第6作

 落ちぶれたかつての天才ゴルファーが、神秘的なキャディーに助けられて、昔の恋人の企画した著名なゴルファー達との試合に挑戦するという話。アメリカの大恐慌時代の話だ。
 “バガー・ヴァンス”というのは、その神がかり的な助言を与える黒人キャディーの名。演じるのはウィル・スミス。忽然と現れ、『スイングを失った』ゴルファーにキャディを申し出る。主役のゴルファーに憧れる少年ハーディー(モンクリーフ=この作品の語り手の少年時代)と一緒に、試合前夜のコースの下見をするシーンでの会話は、スポーツを神聖視するアメリカらしく、人生案内的で印象深い。

 レッドフォードらしい個々の人間の心理描写がしっかりと描かれていて、今回はファンタジーの要素が過去の作品群より強い。観賞後にポジティブな気分になれる作品である。

 “著名なゴルファー達”というのは、球聖ボビー・ジョーンズウォルター・ヘーゲン。どちらも実在したゴルファーで、演じたのが、ジョエル・グレッチブルース・マックギル。ヘーゲンは知らないが、B・ジョーンズは、あのマスターズが行われるアトランタ、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのコースも設計した、ゴルフ界の偉人ですな。

 主役の天才ゴルファー、ラナルフ・ジュナ役はM・デイモン。
 16歳でジョージア・オープンに優勝したジュナは、サバーナの町の誇り。第一次世界大戦に意気揚々と参加するも、大勢の部下を死なせた事にショックを受け、故郷にもひっそりと帰ってくる。
 酒浸りで無気力状態のジョナは無精髭があってそれらしかったが、試合に参加した時のデイモンは、髭無しの顔がえらく若く感じて、“復活”というよりも“新人の挑戦”という雰囲気だった。
 デイモンはゴルフクラブを握るのもこの時が初めてらしく、プロのコーチに習ってグリップから覚えていったらしい。スイングの美しい前出の二人と違って、彼のティー・ショットは素人目にもいまいちであった。

 ジュナの恋人アデール役はS・セロン。「サイダーハウス・ルール(1999)」の翌年なのに、少女のようだった前作と違って随分と大人びて見えた。「華麗なるギャツビー」を彷彿とさせる衣装の数々。ファッションは分からないけど、シャーリーはどれも美しくて見とれてしまいそうだった。

 W・スミスは「インデペンデンス・デイ(1996)」と「メン・イン・ブラック(1997)」くらいしか観てない。神秘的なイメージは全然なくて、どんなモノやらと思っていたが、いつも穏やかな表情で静かにしゃべる“バガー・ヴァンス”の不思議なキャラクターが作れていた。
 『父親が会社のオーナーだったこともあり比較的裕福な家庭に育つ。その大らかな性格から“プリンス”の愛称で呼ばれていた。』とのことだから、適役だったのかも知れない。

 <前述した“バガー・ヴァンス”の(少年への)言葉>
 『グリップが正しければ、人生の把握(グリップ)も正しい。ゴルフのリズムは人生のリズムだ。』
 『自分のスイングを見つければ勝てる。人は誰でも、どこかに、自分のスイングを持ってる。もって生まれたもので、教えたり学んだり出来ないスイングだ。大切にしないと、それは身体のどこかに埋もれてしまい、見失ってしまう。あとに残るのは後悔だけ。スイングの形さえ忘れる。』
 『自分のスイングを忘れるな。人は誰でもどこかに唯一のスイングを持っている。宇宙の一部になるまで打ち続けろ。持って生まれたものだ。』

 老人になったハーディーを演じたのがジャック・レモン。これが遺作になったとのことである。映画の中でゴルフも出来てたのに・・・やっぱり、寂しいなぁ。

2009年の再見記事はコチラ

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ YouTube Selection (予告編)


■ Information&Addition

※gooさんからの告知です:<「トラックバック機能」について、ご利用者数の減少およびスパム利用が多いことから、送受信ともに2017年11月27日(月)にて機能の提供を終了させていただきます>[2017.11.12]
*
●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
*
◆【管理人について】  HNの十瑠(ジュール)は、あるサイトに登録したペンネーム「鈴木十瑠」の名前部分をとったもの。由来は少年時代に沢山の愛読書を提供してくれたフランスの作家「ジュール・ヴェルヌ」を捩ったものです。
◆【著作権について】  当ブログにおける私の著作権の範囲はテキスト部分についてのみで、また他サイト等からの引用については原則< >で囲んでおります。
*
テアトル十瑠★ バナー作りました。リンク用に御使用下さい。時々色が変わります。(2009.02.15)