久商68回 くつろぎの部屋

昭和41年3月3日卒業式 諏訪野町校舎から巣立って
58年!我々68回生も喜寿を迎えます。

川上君の原稿

2020-05-03 | 思い出

GWの最中ですが、パソコンの大掃除をやっていたら、川上君の原稿が出てきました。以前ブログにアップしたような気がしますが再度掲載します。

彼が福岡支部会長時代の投稿です。

平成22年11月12日、福岡支部総会を開催、200名の同窓生が集い楽しい時を過ごす事ができ、感謝しております。

そろそろ男女の生徒数が逆転する世代が幹事役を仰せつかる時代だと思うので、女性の参加者数が気になります。久富先生に出席いただき、30年ぶりにお会いしたように思います。

私が在校中の先生の思い出で、この項を埋めたいと思います。

久富先生

一年生の時松島先生(下駄さん)が所用で空いた一時限だけ授業を受けました。教科書を離れ校歌の解釈をしていただきました。

「大鵬雲にはばたけば図南心たれか知る」「大志をいだき世界に大きくはばたく」前半の雄大さ希有の大きさに比べ後半がせこい。と教わりました。

合原先生

一年生の時、商業一般を教わりました。銀行のところで「もらったお札の数え方をしっとるか」誰も正解を答えられませんでした。正解は「一つ手前でやめろ、かぞえ残しがあったら黙ってポケットに入れろ」でした。

石橋登先生

一年生の時、英語の授業が終わって森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」不明箇所の解釈を求めました。「おまえにはまだ早か」と威喝されました。今思うにその時先生はまだ読まれてなかったのではないか、真実はまだお尋ねしていません。

小西先生

3年生の時、弁論部の部長先生でした。宮崎の大宮高校の講堂で九州大会がありました。私は七位で全国大会には行けませんでした。「この採点はおかしいと」憤慨され、翌日宮崎の市内観光に連れていってもらいました。修学旅行に行かなかった私の先生と二人の修学旅行になりました。

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