日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

違う宗派を体感すること。

2017-08-26 17:28:48 | 日記
先日、親戚が亡くなり、この地域ではうちが近しい親族なため親兄弟の代表として臨席した。
行ってびっくりしたが、Sという宗派だった。なるべく体験したくないものだったけど親戚だから仕方がない。
宗派のせいか、単に気を遣ったのか、訃報をとにかく親戚に知らせようとしないため実家が怒っていた。何はともあれ、亡くなるということは生まれるより重要なのに・・。

もう、退職もしたため参列者に会社関係はおらず、近親者だけ来られていたようだ。
奥さん方の兄弟がこっちにいるため、私たちは知らない人ばかり。
しかも読経は参列者も行なう方式で、式の間中読経に囲まれ、宗派の異なる私たちは困惑極まりなかった。
私たちの宗派はご導師さまが読経され、その間は銘々が故人に思いを馳せる形なんだが、今回は数珠を持った手を黙って膝に置いておく… ということはできなさそうだった。
宗派違うからお経も知らないし読経もできないし困ったなーと思い、まあ、無難なポーズを取ることに決定。胸の前で数珠を持った手を合わせ、読経に合わせて声は出し、同じように抑揚をつける。
言葉は出ないが音が出ていれば無音よりはいいだろう。黙って座っていると故人を悼んでいないような錯覚をする。

今回ひとつ分かったこと。
自分の実家にいた頃に、隣の男性がこの宗派の熱心な信仰者だった。
若いのに、毎日30分以上読経する。 疲れて帰宅した日もある、のんびりしたい休日もある。長く続くお経。薄い壁を通し続く・・。とーーーーっても迷惑だった。
何度かは壁を殴ったこともある。毎日、毎日、毎日、、、、、続く。反逆も効果がないから読経が始まると深夜でも車を出し出かけてその場を離れることもあった。

この宗派は、CMで、ていのいいメッセージを発信したりするが、こんな毎日、隣人を不快にする宗教なんて釈然としない。
嫌悪感や恨みしか持っていなかったが、今回読経に参加したら少し意味が分かったことがある。同じ宗派の仲間が亡くなると近いものが読経しに来るようだ。
今回の親戚の葬儀に際し、集まった信者はそらで読経できていた。・・ということは、毎日の練習が功を奏すんじゃないんだろうか?
それならあの毎日があるとは思う。でも、宗派違うから迷惑(ー"ー)

親戚が亡くなったのは悲しかった。
もう会えないんだなあ・・。

御冥福をお祈りします・・ 🙏
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