はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

おばか企画・白と黒の恍惚 1

2020年05月11日 10時10分38秒 | おばか企画・白と黒の恍惚
ふと目線をあげると、茜色の空に、禍々しくもどこか哀れな蝙蝠が、ぱたぱたとその羽根をけんめいに動かして、闇へと去っていくのが見えた。
夕暮れから宵に向かう、わずかな時間であるが、趙雲は、この曖昧な時間が好きである。
伸びた影が赤い光を受けて、家並みに落ちていく。
闇を跳ね返す勢いの喧騒もあれば、ひたひたと、逃げるようにして急ぐ人の群もある。
光と影とが交差して、人々の顔は、はっきりと見えない。
夜や昼間では見ることのできない町の姿が、そこにあった

将軍職にあって、伴もつけずに歩くのはめずらしいが、趙雲は、仰仰しいのを嫌っており、平時はめったに鎧や鎖帷子も纏わない。
質素な衣を簡素に纏い、玉などの装飾品はいっさい身につけず、ただ、腰に愛用の剣があるだけだ。
人はさまざまで、浮き上がるのを拒んで、無難に派手でも地味でもないところに自分を置いている者もあれば、とびきり派手に(西涼の大将がよい例だ)しているのもいる。
趙雲は地味に浮き上がっている稀なほうである。
もともと、着る物には頓着しない。
袖を通して心地がよければそれでいいし、清潔にすることを心がけていれば、どんなに簡素な衣裳であろうと、口うるさい者の気を引くことはない。

しかし、中には飾っていなければ気の済まない人間もいるようで、まさに代表が、小間物屋からひょろりと姿をあらわした。
手にはなにやら、愛らしい包みにくるまれた、小物を抱えている。
「子龍、いま帰りか」
見慣れた顔をみつけて、悪びれず尋ねてくる孔明に、趙雲は、ああ、と答えた。
孔明のほうは、ちゃんといつもの通り伴をつけているのだが、見知った顔ではなく、偉度の兄弟のようである。
趙雲を見ると、過剰に顔を強ばらせている。
偉度のやつ、俺のことを、みなにどう伝えているのだろう。
「おまえはどこへ行く」
「ちょっと野暮用でね」
ここでいつもならば、一緒に来るか、まあ、かまわぬが、と会話が続くところであるが、たそがれ時の淡い光に浮かび上がる孔明の白い顔は、仕事を終えたばかりだというのに、妙に意気込んでおり、鼻息が荒い。
「金のかかる女をもつというのは、どれだけ苦労するか、やっと判ったよ。『最高級の品でなければ、口を利きたくもありません』と来たものだ」
と、孔明は、実にさらりと言ってのけた。
趙雲は、ほう、とだけ相槌を打って、饒舌な友、上役、そのほかもろもろの孔明の次の言葉を待った。
孔明の口は、しゃべりたくてむずむずしているように見えたからだ。
「が、言わない。言ってしまったら、おそらく内にある熱も共に出て行ってしまいそうだからな。結果はあとで話す」
と、孔明はすますが、ちらりと趙雲を見て、それから、急に、にっ、と笑った。
「いま、いつものお喋りがどうしたのだろう、気になるな、と思わなかったか」
「それなりに」
「それなりに、か。子龍、すまないが長話はできないのでね。わたしはそろそろ行くが、どこへ行くか気にならないか」
「おまえが足を向けている方角は、長星橋の妓楼が集っている区域だな」
「共に来るか? その代わり、現地集合、現地解散。案内人はないが」
「行く理由がない」
「そうかい。では、わたし一人で行くよ。さらば、今日はよい結果がでることを祈ってくれ」
再見、と言いながらも、いつものせかせかした足取りにも磨きがかかり、いまにも走り出しそうな勢いで、孔明は馬車ではなく徒歩で、妓楼のあつまっている地域へと向かっていった。
その後ろを、従者が、てってけと小走りに付いていく。
趙雲は、見慣れたうしろ姿の見慣れぬ様子を見送りながら、またなにか、妙なことをはじめたな、と思っていた。






軍師将軍・諸葛孔明の主簿である胡偉度が、だいたいの見当をつけて河原に行くと、果たして、そこにはすっかり存在に慣れた莫迦ぼっちゃん二人と、いつであったか、与えられた官職が気に入らないとごねにごね、趙雲の説得(?)によって、任地へ向かった馬謖がいた。
馬謖は、莫迦ぼっちゃん二人、要するに費文偉と董休昭と、ほぼ同年代である。
偉度ともそうであるが、荊州の名家の出自ということを鼻に掛けており、付き合うのも豪族の子弟ばかりで、貧乏な二人や、口げんかならばトントンだが、実力行使では絶対に勝てない偉度とは、まったく付き合いがなかった。
馬謖の兄の白まゆげ、こと馬良は、孔明とは襄陽時代からの親友なのである。
弟がえり好みをして、つまらぬ(とは白まゆげ自らの言葉である。偉度の言葉ではない)刹那主義者ばかりのなかで、賢いと、やんやと担ぎ上げられているのを見て、これを不安に思い、孔明に相談した。
孔明は、馬謖の賢さは得難いものであるが、たしかに人を身分や収入で切り分けるところがあると見て、短期間、偉度に監督をまかせた。
孔明も、偉度と馬謖が犬猿の仲なのは知っていたから、顔の広い偉度に、馬謖の友を見つけるよう命じたのである。
偉度としては、この鼻持ちならない、見てくればかり奇抜で、味がまったくない果実のような若者を、さっさとどこかに押し付けてしまいたかったので、あれやこれやと人を紹介したのであるが、あちらこちらから受取拒否物として返却されてしまい、仕方なく文偉と休昭に押し付けたのであった。
河原で、仲良く釣りでもやっているのかな。さすが友だち(男ばっかり)百人の文偉、と偉度が感心していると、そうではなく、文偉は気難しい顔をして腕を組み、馬謖は、川の流れをじっと見つめて動かない。
休昭はというと、独りだけ立って、なにやら心地よさそうに口をパクパク動かしている。
川音に紛れて聞こえないが、歌を唄っているらしい。
こういうときこそ耳栓だったのに、しまった、忘れてしまったぞ、と偉度は慎重に近づくと、果たして、休昭はひとりだけ楽しそうに唄を歌っていた。

「恋するニワトリ by谷山浩子」

「おまえはいくつだ。なんで『みんなのうた』なんだよ」
不意に現われた偉度の姿を見て、気持ちよく、二人の観客と川のせせらぎとマイナスイオンに囲まれて唄っていた休昭は、顔をしかめた。
「この唄は二番からがいいのだ。♪ひとりでたまごをうみました♪まで歌わせてくれればよいものを」
「ニワトリ禁止。いますぐ禁止。おい文偉、なんだって歩く鬱発信装置・休昭に唄わせた」
すると、文偉はここ数日のあいだになにがあったというのか、暗い顔を上げて答えない。
どうやら意識がすっかり向こう側に行きつつあるらしい。
「いまのわたしの魂は『まっくら森』にある」
「『みんなのうた』から離れろ。特に谷山浩子関係!」
「『みんなのうた』を舐めてはならぬ。名曲が目白押しだぞ」
休昭の声を受けて、文偉もぼそりとだが、つぶやく
「大貫妙子の『メトロポリタン美術館』、最後がさりげなくホラーな展開を見せるところが好きだったな。あれは、♪大好きな 絵の中に 閉じ込められた♪ あと、どうなったのだろう。子供心に、アメリカには恐ろしい美術館があるものだと思ったものだが」
「それを言うなら『コロは屋根の上』のほうが気になる。コロは結局、曲中の『ぼく』の家に戻ってきたのだろうか」
「大貫妙子も禁止! だいたい『恋するニワトリ』を聞いていて、なぜそこまで落ち込める!」
「休昭が唄うと、冬ソナも真っ青のかなしーい恋の歌に聞こえてきて、どっぷりハマれるのさ」
「それで『まっくら森』状態か。『山口さんちのツトム君』にしておけばよいものを」
「休昭が唄うなら、それとて幼くして引き離される二人の悲恋に聞こえるだろう」
「じゃあ、『コンピューターおばあちゃん』でいけ」
「……あのな、偉度、おまえ、ずいぶんな役目を、わたしたちに押し付けてくれたものだな。もうこうするしか、あそこにいる天邪鬼を黙らせる手段がなかったのだ! 束の間の静寂だったな。見ろ、もうじき復活するぞ」
文偉のことばに偉度が振り返れば、たしかに、川面に向かって蹲っていた馬謖の方が、ぴくりぴくりといやな震えを見せている。
いかん、と偉度は思ったが、馬謖の爆発のほうが早かった。
ぐわっと顔を開いて、力の限り怒鳴りつけてくる。
偉度は本物の虎を前にしても怖じない自信があったが、莫迦ぼっちゃんズがまったく怯まずにいるのは意外に見えた。
馬謖とともに過ごした数日で、すっかりわがままな性格に免疫ができたらしい。
よいことだ。

つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/31)


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