はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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説教将軍 5

2018年06月27日 17時40分44秒 | 説教将軍
厩に回ったほうが早いのではなかろうか、と偉度に声をかけようとしたとき、前方の偉度が、ぎくりと足を止めた。
「どうした?」
偉度は、やはり背が伸びた様子である。
八尺の孔明よりは低かったけれど、以前は肩のあたりで頭のてっぺんがくるという具合の小柄な少年が、いまや孔明と肩を並べられるほどになっていた。
年相応に結婚をし、子をもうけていたら、こんな気持ちになったのかな、と感慨深く偉度を見る孔明であるが、一方の偉度は、前方にあるものに身を強ばらせる。
「これは、賊に襲われたか?」
見ると、屋敷の玄関からほどちかい廊下に、二人の娘が仲良く折り重なるようにして倒れているのであった。
それが、たまにぴくりと動き、うめき声さえあげている。
「どうした、そなたたち!」
偉度が助け起こすと、娘は、汗のにじんだ顔をして、うっすらと目を開く。
「わ、わたくしが…」
「どうした?
「わたくしが…薬を…もちに参ります」
「いいえ!」
ぐっと、もうひとりの娘が、倒れる娘の腕を渾身の力で掴む。
「なりませぬ。薬をお持ちするのは、わたくしの役目!」
最初の娘は、唸りつつも、隣に倒れる娘に唸るように言った。
「おだまり、新参者のくせに!」
「新参者だろうと古参だろうと関係ない! 古株の癖して、まったく見向きもされないくせに!」
「なんですって!」
孔明には、床に倒れる等身大のナメクジが、なにやらうごめいて争っているようにさえ見えた。
「どういうことだ?」
「軍師、この二人、ひどい熱がございます。どうやら家中のものが、感冒の波に襲われたようでございますな」
「それほどひどい風邪だったかな…」
「人に移された風邪はドンドンひどくなる。軍師から将軍に移された風邪は、家人たちにもっとひどくなって移っていったのでしょう」
こうしてはおられぬ、と偉度は口を布で覆い、後ろで縛った。
「おそらく趙将軍もろくに看病もされないまま、放置されているにちがいない。奥へ進みますよ」
「この娘たちは?」
「しばらく仲良く喧嘩させておきましょう。どちらにしろ、無駄な喧嘩なのですから」

そういって、勝手知ったる人の家。
さらに堂々と中に入っていく偉度の後ろを追いかけながら、以前もこんなことがあったなと、なつかしく思いだしつつ、孔明はたずねる。
「おまえ、ずいぶん子龍の屋敷に詳しいようだな。それに、無駄な喧嘩というのは、どういう意味だ?」
「その明晰な頭脳で考えられたらよろしいでしょう」
「嫌味を言うな。わからぬから聞いておる。偉度、包み隠さず申せ」
「なんです」
「子龍には、実はもう心に決めた女子がいるのではないか?」
ぜんぜん気づかなかったと、さまざまな想像を働かせ、衝撃を受けている孔明に、くるりと偉度はふり返り、言った。
「あなたは莫迦です」
「そうだと思う」
「自覚ナシ、と」
そう言って、偉度はふたたびずんずんと奥に進む。孔明は、わけがわからない。
「待て。莫迦だと認めたのに、なぜ自覚がないと言われねばならぬ」
「軍師、前にも言いましたが、わたくしは莫迦が嫌いです」
「覚えているとも」
「ですから、黙っていてください。お話したくありません」
「……」

そうして険悪な空気をあたりに撒き散らし、屋敷内に充満する悪疫と戦いながら孔明と偉度が奥へと進むと、趙雲の私室に行き当たった。
そこに入るなり、偉度は言う。
「趙将軍は、物置に寝てらっしゃるのか?」
「ちがうよ、ここに来たのは初めてだが、子龍というのは、私物を持たない男なのだ。案内も請わずにきたから怒るかな」
言いつつ、孔明は、あきれるほどに何もない、調度品も、どこからかもらってきたか、拾ってきたのか、趣味もばらばら、座と卓と小棚と文庫だけ、寝台の傍らに、実に立派な鎧と武器の一式のそろえてあるという部屋で、寝台によこたわる趙雲のそばに寄った。
普段ならば、部屋に入る前から、おそらく足音でそれとわかるのが趙雲なのであるが、孔明が寝台の横に立っても、趙雲はぴくりとも動かず、目を開かない。
「重症だな」
その白蝋の顔をのぞきこむ孔明のつぶやきにより、趙雲は呻きながら、ゆっくりと目を覚ました。
「子龍、ずいぶんひどい様子だな。家人もすべて風邪で倒れたらしい。医者には診てもらったのか」
「風邪だから養生しろと、それだけだ」
と、趙雲は、なぜここにいる、といった余計な質問はいっさいせずに、そう答えた。
「熱のほかに、具合のおかしなところはあるか?」
「眩暈がする」
「うむ…食欲もない様子だな」
と、やはり卓の上に冷めたままになっている粥の入った器を見て、孔明は言う。
おそらく、さきほど見た、廊下に倒れていた娘たちのだれかが持ってきたのだろう。
それにしても、だれが看病するかで揉めて、結局目的を果たせないでいる。
これでは家人の意味がない。
だれが雇用に関する権限を持っているのかはしらないが、趙雲はそういうことに頓着しないので、わたしがいわねばならぬだろう、と孔明は思った。
将軍職にある男が、ひとりつくねんと熱にうなされている。
哀れな話ではないか。

趙雲はというと、うっすらと目を開いたものの、やってきたのが孔明だとわかって安心したのか、また目を閉じて寝入ってしまった。
「しまった、薬を飲ませるのであった」
孔明が呟くと、偉度が杯と、娘たちの持っていた盆から奪った薬を取り出し、孔明に差し出した。
「将軍が眠ってらっしゃるわけですから、仕方がない。軍師、口移しで飲ませて差し上げたらよろしいでしょう」
「ああ、そうか」
と、孔明は水と薬を口に含み、瞑目したままの趙雲の後頭部に手を回すと、しばらくその、熱にやつれた顔を見つめていた。

身じろぎも、呻きもしないその顔を見つめていた。

もう四十に手が届こうというのに、ほとんど老いの気配のない顔をみつめていた。

こうして瞑目していると、ふしぎと性格が読めない顔だな、と思いながら見つめていた。

ただただひたすら見つめていた。

「ちょっと待て」
「あっ、薬! あなたが飲んでしまってどうするのです!」
抗議の声を上げる偉度に、孔明はきびしく振り返る。
「おかしかろう。ここは戦場ではなく、水差しもちゃんとあって、子龍には意識もある。なのに、わざわざ口移しをする意味がどこにある!」
「水差し? なんですか、それは。わたしの知らない物体です」
「嘘をつくな、嘘を! 後ろ手に隠したそれを出せ! まったく、何を考えておるのだ、おまえは。口移しなんぞしてみろ、正気に戻った子龍に、顔の形が変わるほど殴られるぞ」
「軍師に関しては、それはございませぬよ。わたしならば判りませんが」
まったく、とぶつぶつ言いながら、思わず飲み下してしまった苦い薬の粒を舌で始末しつつ、孔明は、もう一服あった風邪薬を、今度は普通に水差しで趙雲に飲ませた。
趙雲は、完全に眠っていたわけではなかった様子で、薬を飲むと、
「苦い」
と力なくつぶやいた。
孔明は寝台の傍らに座を持ってきて、膝をかかえて隣に座りつつ、趙雲の顔を見る。
「昔もこういうことがあったが、あのときよりだいぶひどいな。こういう、元気のない子龍を見るのは好きではない。律儀者め、本当に風邪を持っていくやつがあるか」
「仕方なかろう。季節の変わり目であったし、俺も油断した」
目を瞑ったまま、趙雲は言う。
「おまえとて、完全には治ってないようだな。足音でそうとはわかったが、声だけ聞いていると別人のようだ」
「そうだろう。良くんに声のよいカラス程度には回復したといわれた。声のよいカラスとはどんなものだ?」
「おまえたちは、あいかわらず呑気だな」
「仕事は山積みなのだが、良くんが来てくれたお陰で、滞りはない。今度、正式に挨拶にくる、と言っていたよ」
「俺の方が下位なのだ、俺が行くべきだ」
「あなたのほうが年上なのだから、あなたが訪問を待つべきだ。良くんは、わたしと同じで、あなたのことを兄のように思っているのだよ…おや、偉度がいない」
孔明は座を立つと、趙雲の私室から廊下を見た。
すると、偉度は、風邪の程度のひどくない家人をむりやりたたき起こし、そこかしこで倒れたり蹲ったりしている家人を一箇所にあつめ、寝台を用意してやっているところであった。
あれも、他者への思いやりがでてきたのだな、背も高くなるはずだ、と微笑ましく思いつつ、孔明は趙雲のもとへ戻る。

つづく……


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