はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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番外編 甘寧の物語 その3

2024年02月24日 10時06分16秒 | 番外編・甘寧の物語
南陽は、蜀の地から見れば、ずいぶんと太陽の明るい土地であった。
過ごしやすいこともあったが、劉表の治世がうまくいっていることもあり、甘寧がその才覚を見せる場面はおとずれなかった。
州境でもめ事があっても、甘寧の出番はない。
なぜこうも不遇なのか。
甘寧は、しばらくもんもんと過ごした。
子分たちは、
『親分は主君に恵まれないお方だ』
と、同情した。
かれらにしても、田舎者あつかいされるのは我慢がならなかった。
さらには、劉表が復興させようとしていた儒教中心の古めかしい気風に、肌があわなかったのである。


そうしているあいだ、天下は動いた。
偽帝は横死《おうし》し、その親戚である袁紹も、官渡の戦いにおいて曹操にまさかの敗北を喫した。
遺された袁紹の息子たちは、曹操という強敵をまえに互いに食い合いをはじめる愚かさ。


甘寧は、乱暴もので、短気であったが、愚かではない。
荊州での日々があまりに暇なので、あちこちの情報をあつめていた。
そして、するどく、荊州に訪れるだろう運命を見抜いていた。


『曹操という野郎は、歳の割りにずいぶんと元気な野郎だ。
貪欲に、天下統一を狙っているらしい。
いまは袁紹の残党を叩き潰すのに精一杯だが、これが終わって、余力が生まれたら、まちがいなく南にやってくるだろう』
ここまでの分析は、荊州の、おおかたの知識人と同じである。
だが、ここからが、甘寧の、益州での暮らしの知識が役に立った。


『たしかに馬超は、羌族の連中を仲間に引き入れているから、馬の扱いが巧みだ。
だが強いは強いが、内紛が多く、知恵にも欠けていると聞いた。
それに、そもそも拠点にしている土地が痩せている。
北を一気に平らげるにしても、苦労して手に入れる必要があるところかというと、疑問だな。
そうさ、天下のすべてを手に入れるには、あそこはおまけみたいなところだ。
兵卒どもの力試しをする場所にしても、遠すぎる。
つぎに益州だが、あそこは、あれだけ険阻なのだ。
山越えをして成都に入ろうとするだけで、どれだけ大事業になることか。
劉璋そのものはたいしたことないが、そこへたどり着くまでが苦労が多すぎる。
やはりこれも、つぎに狙う土地には向いていない。
となると、つぎは、やはり荊州のほかにない。
荊州を一気に併呑し、その勢いで江東を手に入れ、返す刀で益州を狙う。
劉璋のこった、荊州も曹操のものになったと知ったら、縮み上がって、降伏することだってありうるだろう。
荊州はまちがいなくつぎの戦場になるぞ。
劉表は最前線の新野に食客の劉豫洲(劉備)を置いて曹操に備えてはいるが、いかんせん、軍勢の数がすくない。
あれっぱっかで、なにが出来る』


子分たちのなかには、新野の劉備の評判を聞いて、
「劉備の部下たちは荒くれ者が多いときいております。それに劉備は人を使うことが巧みだという話ですぜ。
親分の気性とも合いそうだし、それに新野は目と鼻の先。
劉表には見切りをつけて、劉備に鞍替えというのはどうです」
と、勧めるものもいた。
だが、甘寧はいまひとつ乗り気になれない。
というのも、劉備の義兄弟が問題なのだった。
「口うるさい舅が二人もいるんだぜ。強面の野郎ふたりにぺこぺこ頭下げなくちゃいけないなんて、窮屈すぎるだろう。
だいたい、劉豫洲も年だしなあ。五十を超そうとしている男が、これから再起して一国の主になるのは無理だろう」
反論すると、子分たちも、それはそうか、と納得した。


そんななかで、甘寧の耳に入ってきたのが、江東に勢力を築いていた、孫権の話であった。
『たしか孫将軍というのは、兄貴の跡を継いで、まだ二十歳を越えたばかりだったはず。
義兄とやらの周公瑾が後押ししているというが、聞いたかぎりじゃ、孫権と周瑜、どちらの評判もすこぶるよい。
劉表や劉備のおっさんとちがって、若い、というところがいいな。
俺みたいな新入りも、仲間に入れてもらえるかもしれない』


思い立ったら即実行。
甘寧はさっそく手下に、南陽を去る旨を伝えると、江東の孫権の居城を目指して移動をすることにした。
甘寧の人徳を示しているが、巴郡を出たとき八百人であった手下は、倍以上の数に増えていた。


が、ここで、またも甘寧は足止めを喰らう。
江夏太守の黄祖の存在である。


南陽の親戚は、甘寧の熱心な説得にしたがって、ともに江東を目指すことになった。
しかし、これがよくなかった。
親戚は、旅の途中で、
「じつは、以前に黄祖どのに世話になったことがある。
夏口に本拠をかまえているかれをまったく無視して、江東に向かうことはできない」
と言い出したのだ。
こうなると、南陽で生活の面倒をみてもらったという恩義のある甘寧は、よわい。
紆余曲折あり、黄祖の家臣として、しばらく夏口に住むことになった。


黄祖という人物は、もともと夏口周辺を仕切る、有力な豪族のひとりであった。
荊州の州牧である劉表とは同盟関係にあり、ともに孫家、袁術と幾度となく矛を交えてきた。
ただの豪族ではない。
水上での戦に巧みで、孫堅、孫策、孫権と、それぞれ家長が変わった孫家を相手に、これを退けることに成功していた。
それだけではない。
孫堅を討ち取ったのは黄祖なのだ。
現当主の孫権からしてみれば、黄祖は、父の孫堅を殺した、にくい仇である。


さらには、黄祖が守っている土地が問題だ。
夏口は、揚州と荊州をつなぐ重要な土地だった。
交易で豊かであり、戦略的にも、ここを押さえられるか否かで、その後の局面が変わるほどの土地なのだ。
だからこそ、孫堅と劉表の争いのさいに、いつもこの夏口を含む江夏の土地は、戦場となった。


甘寧としては、親戚の顔をたてるため、しぶしぶ黄祖に仕えていた。
もちろん、長くいるつもりはなかった。
というのも、黄祖は、老齢ということもあるのか、たいへんに気むずかしかった。
若いころの柔軟さをうしなっていて、家臣のことばを聞こうとしない人物でもあった。
どころか、意見をする者を、つよく憎み、あげくに殺してしまうことさえあったくらいだ。
甘寧は運がわるいことに、その率直さが憎まれ、黄祖のもとでも、また、冷遇された。
甘寧は、夏口で、またも芽が出ぬまま、三年もの月日を過ごすことになる。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます(^^♪
甘寧の物語も三回目。
以前に発表したものより、だいぶ読みやすくなったのではと自負しておりますが、いかがでしょう?
続編も鋭意制作中でございますv
今後の展開をおたのしみに!

ではでは、次回もお会いしましょう(*^▽^*)


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