※
しかし、夏口での三年間は、甘寧にとって、無駄な年月にはならなかった。
黄祖は問題のある人物ではあった。
だが、熟練のつわもので、戦上手であることには変わりがない。
黄祖のあつかう水練になれた兵卒たちをあずけられ、将としてはたらくことになった甘寧は、そこで、はじめて、正規の軍隊における水軍の動かし方、というものを学んだ。
それまで、故郷の臨江にて、海賊まがいのことをしたこともあった。
しかし、本物の水軍は、やはりすべての規模がちがっていた。
気心のしれた子分たちを動かすのと、兵卒たちに号令をかけるのとは、使う能力がちがう。
甘寧は必死に兵法の勉強をし、将とはなんぞやと、おのれの頭で考えつづけた。
そうこうしていくうち、やくざ者の雰囲気は薄れ、かれにはどっしりとした落ち着きが備わり始めた。
当然のことながら、周囲の扱い方も変わってくる。
こうした甘寧の変化を支えるものが、もうひとつあった。
黄祖の部下で、蘇飛《そひ》という人物の存在である。
蘇飛は、黄祖の不足しているところを上手に補佐する、地味ながらも有能な男であった。
その蘇飛は人を見る目を備えていた。
短気ではあるが男気があり、なかなかに見識も高い甘寧を気に入ったようである。
さらに、甘寧が部下たちにたいへん慕われていることや、短いあいだに、どんどんと、水軍を動かすための知識や技術をおのれのものにしていく様子を見て、甘寧をひとかどの人物と認めた。
蘇飛の友情はほんものだった。
かれは何度も、黄祖に、甘寧を厚遇するようにと進言してくれるまでになった。
甘寧のほうも、冷遇されている自分にたいし、なにかと気にかけてくれる蘇飛に感謝した。
益州の劉璋、荊州の劉表、その二人の英雄と言われている男たちが認めてくれなかった自分を、本当に認めてくれる人物がいる、ということだけで、甘寧は嬉しかった。
くわえて、学識では蘇飛のほうが上だったので、甘寧は学問の教えを請うことになった。
こうして次第に親密な関係になっていった二人であったが、一方で、黄祖の甘寧いじめはつづいた。
甘寧をまるきり無視しつづけるのはもちろんのこと、蘇飛の進言にも耳を貸さなかった。
それどころか、甘寧が調練した水軍をうばって、ほかの部下に与えたり、あるいは、臨江からずっと付いてきてくれた子分たちを、金や地位で誘惑して、自分の直接の配下に加えることをはじめた。
そうすることで、甘寧を孤立させたのである。
甘寧は、それでも、しばらくは黙って耐えていた。
なんにせよ、親戚は黄祖に恩義があると言い張っているし、自分も黄祖から禄を与えられている。
それに、夏口で黄祖が頑張っている以上は、これから逃れて孫呉に向かうことは、とうていむずかしかった。
もっと若かったころの甘寧ならば、あとのことは知るものかと、残った手下たちと一緒に夏口を出発したかもしれない。
だが、さまざまに学問をおさめ、武将としてのおのれの身の振る舞い方を真剣に考えるようになってからは、物の考え方が、ずいぶん慎重になっていた。
けんめいに身につけたものが、甘寧の動きを鈍くする重石《おもし》の役目をになってしまったのは、皮肉なものであった。
※
黄祖に甘寧が仕えてからしばらく経って、江東の孫権との戦が起こった。
甘寧は、もともと孫権に仕えたかった。
だから、あまり戦をしたくない。
とはいえ、いまは黄祖に仕えている以上、これに従わねばならなかった。
戦いはいつもの如く熾烈を極めた。
若かった黄祖なら、これを撃退できたかもしれない。
だが、黄祖は老いていた。
戦局はどんどんと、悪くなっていった。
甘寧はどこか呑気なもので、
『やはり、孫権軍はつよい、若いから勢いがある。できればあちらに行きたいな』
などと考えていた。
しかし命のやりとりの現場で、必死に戦っている部下たちを見捨てて降伏するなど、とてもではないが考えられない。
むしろ甘寧は、敗走する部下たちを上手にまとめて、追撃してくる孫権軍と戦った。
孫権軍のなかで、いちばん先頭にたって追いかけてくるのは、凌操《りょうそう》という男であった。
甘寧は知らなかったが、孫権が戦を起こすと、その先鋒は、いつもと言っていいほど、凌操だったのだ。
このときも、凌操は、部下たちといっしょに、勇猛果敢に追いかけてきた。
甘寧はしかし、あわてず騒がず、船の舳先にすっくと立つと、弓をかまえて、凌操めがけて矢をはなった。
みごと、矢は凌操の身体をつらぬいた。
歴戦のつわものであった凌操が死んだことは、追撃していた孫権軍に大きな衝撃をあたえた。
孫権軍は追いかけてくることはせず、黄祖は命拾いをしたのである。
これほど大きな勲功をあげながらも、やはり、黄祖の甘寧に対する扱いは変わらなかった。
このころになると、甘寧もすっかりしょげていた。
運のない親分を見限って、子分たちも次第にいなくなるし、蘇飛のほかは友と呼べる者はないし、それでまた元気がいっそうなくなるので、ますます残った子分たちも離れていくし。
塞ぎこむことが多くなった。
つづく
しかし、夏口での三年間は、甘寧にとって、無駄な年月にはならなかった。
黄祖は問題のある人物ではあった。
だが、熟練のつわもので、戦上手であることには変わりがない。
黄祖のあつかう水練になれた兵卒たちをあずけられ、将としてはたらくことになった甘寧は、そこで、はじめて、正規の軍隊における水軍の動かし方、というものを学んだ。
それまで、故郷の臨江にて、海賊まがいのことをしたこともあった。
しかし、本物の水軍は、やはりすべての規模がちがっていた。
気心のしれた子分たちを動かすのと、兵卒たちに号令をかけるのとは、使う能力がちがう。
甘寧は必死に兵法の勉強をし、将とはなんぞやと、おのれの頭で考えつづけた。
そうこうしていくうち、やくざ者の雰囲気は薄れ、かれにはどっしりとした落ち着きが備わり始めた。
当然のことながら、周囲の扱い方も変わってくる。
こうした甘寧の変化を支えるものが、もうひとつあった。
黄祖の部下で、蘇飛《そひ》という人物の存在である。
蘇飛は、黄祖の不足しているところを上手に補佐する、地味ながらも有能な男であった。
その蘇飛は人を見る目を備えていた。
短気ではあるが男気があり、なかなかに見識も高い甘寧を気に入ったようである。
さらに、甘寧が部下たちにたいへん慕われていることや、短いあいだに、どんどんと、水軍を動かすための知識や技術をおのれのものにしていく様子を見て、甘寧をひとかどの人物と認めた。
蘇飛の友情はほんものだった。
かれは何度も、黄祖に、甘寧を厚遇するようにと進言してくれるまでになった。
甘寧のほうも、冷遇されている自分にたいし、なにかと気にかけてくれる蘇飛に感謝した。
益州の劉璋、荊州の劉表、その二人の英雄と言われている男たちが認めてくれなかった自分を、本当に認めてくれる人物がいる、ということだけで、甘寧は嬉しかった。
くわえて、学識では蘇飛のほうが上だったので、甘寧は学問の教えを請うことになった。
こうして次第に親密な関係になっていった二人であったが、一方で、黄祖の甘寧いじめはつづいた。
甘寧をまるきり無視しつづけるのはもちろんのこと、蘇飛の進言にも耳を貸さなかった。
それどころか、甘寧が調練した水軍をうばって、ほかの部下に与えたり、あるいは、臨江からずっと付いてきてくれた子分たちを、金や地位で誘惑して、自分の直接の配下に加えることをはじめた。
そうすることで、甘寧を孤立させたのである。
甘寧は、それでも、しばらくは黙って耐えていた。
なんにせよ、親戚は黄祖に恩義があると言い張っているし、自分も黄祖から禄を与えられている。
それに、夏口で黄祖が頑張っている以上は、これから逃れて孫呉に向かうことは、とうていむずかしかった。
もっと若かったころの甘寧ならば、あとのことは知るものかと、残った手下たちと一緒に夏口を出発したかもしれない。
だが、さまざまに学問をおさめ、武将としてのおのれの身の振る舞い方を真剣に考えるようになってからは、物の考え方が、ずいぶん慎重になっていた。
けんめいに身につけたものが、甘寧の動きを鈍くする重石《おもし》の役目をになってしまったのは、皮肉なものであった。
※
黄祖に甘寧が仕えてからしばらく経って、江東の孫権との戦が起こった。
甘寧は、もともと孫権に仕えたかった。
だから、あまり戦をしたくない。
とはいえ、いまは黄祖に仕えている以上、これに従わねばならなかった。
戦いはいつもの如く熾烈を極めた。
若かった黄祖なら、これを撃退できたかもしれない。
だが、黄祖は老いていた。
戦局はどんどんと、悪くなっていった。
甘寧はどこか呑気なもので、
『やはり、孫権軍はつよい、若いから勢いがある。できればあちらに行きたいな』
などと考えていた。
しかし命のやりとりの現場で、必死に戦っている部下たちを見捨てて降伏するなど、とてもではないが考えられない。
むしろ甘寧は、敗走する部下たちを上手にまとめて、追撃してくる孫権軍と戦った。
孫権軍のなかで、いちばん先頭にたって追いかけてくるのは、凌操《りょうそう》という男であった。
甘寧は知らなかったが、孫権が戦を起こすと、その先鋒は、いつもと言っていいほど、凌操だったのだ。
このときも、凌操は、部下たちといっしょに、勇猛果敢に追いかけてきた。
甘寧はしかし、あわてず騒がず、船の舳先にすっくと立つと、弓をかまえて、凌操めがけて矢をはなった。
みごと、矢は凌操の身体をつらぬいた。
歴戦のつわものであった凌操が死んだことは、追撃していた孫権軍に大きな衝撃をあたえた。
孫権軍は追いかけてくることはせず、黄祖は命拾いをしたのである。
これほど大きな勲功をあげながらも、やはり、黄祖の甘寧に対する扱いは変わらなかった。
このころになると、甘寧もすっかりしょげていた。
運のない親分を見限って、子分たちも次第にいなくなるし、蘇飛のほかは友と呼べる者はないし、それでまた元気がいっそうなくなるので、ますます残った子分たちも離れていくし。
塞ぎこむことが多くなった。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
個人サイトのウェブ拍手を押してくださった方、ブログ村に投票してくださった方も、どうもありがとうございました(#^.^#)
とってもうれしいです!
甘寧の物語、今月いっぱいですが、おたのしみください。
そして、来月からは「赤壁編」を更新できそうです。
「飛鏡、天に輝く」とはまたちがった展開での赤壁の物語になりますので、どうぞ出来上がったら読んでみてくださいませ(^^♪
励ましてもらって、ほんとうにありがたいです。がんばって書きまーす!
ではでは、次回もどうぞおたのしみにー(*^▽^*)