とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

加賀藩の厳しい年貢の取り立てに苦しんだ農民の「楽しみ」・・・?「もっそう祭り」

2019年02月16日 | 日記
今朝午前3時起床、輪島市久手川町(ふてがわまち)へ愛車を走らす。

江戸時代に加賀藩の厳しい年貢の取り立てに苦しんだ農民が役人の目を盗んで隠し田をつくり、年に一度お椀に山盛りのご飯をお腹一杯食べたことが始まりとされる「もっそう祭り」みてきました。


輪島着4時40分頃到着したが、会場となる久手川集会場にはすでに報道関係者の車が沢山駐車している。


集会場の広間にはすでに御前が並べられておりました。


厨房にはちょうどご飯が炊きあがったところでした。








「もっそう」とは薄いいたでつくられたの木枠の筒。 この筒に昔は「5合」と言っていましたが、今は約3合ぐらいだそうです。先ずは朱塗りのお椀にご飯を乗せ、
もっそうに詰めた?ご飯を乗せ、木筒をそっと抜くと、お椀の上に高さ15センチのご飯が盛り上がる。仕上げをして盛り付け完了。


倒れないように御前に運ぶ。


一人前の御前が仕上がると、一番先に集落の入り口にあるお堂日本お供えをする。




当役の係が二人、出来立ての御前をお堂へ。


お堂から戻ると時計は6時少し前。集落の「およばれ」する方がお重箱持参?で集会場へ。






8人の客が揃い、ご飯を食べ始める。昔は「無言」でいただいたそうです・・・・?  大きな声では、藩の回し者に見つかる恐れがある?。


しばらくすると、重箱を広げ始める・・・?




食べきれないので家に持ち帰り、家族でいただくのだそうです。

2年前に、一人「完食」された方がいて、時のニュースでは「7年ぶりに完食!」の見出しでした。 




6時半過ぎ、食べきれないおかず、ご飯は重箱に詰め直し、静かに自宅へ帰られました。


久手川町も年々、地区の世帯は減少し、現在は15世帯が持ち回りで当番の家を決め、伝統を守っている戸のことです。
とし坊が初めて訪れた頃は、当役の代表の家が会場でした。輪島塗りのお膳に並べられた大根と人参の酢のものなどといっしょに山盛りになったご飯を夜明け時に豊作を祈りながら味わう奇祭とも言われる行事。
今も静かに執り行われておりますが、帰り際玄関でお話しした古老の方は、「いつまでやれるかなあ~、家で出来んので来年も会館でするでしょう・・・・」「不幸があると、残った者(班員)でせにゃならんから大変です」と話してくれました。

能登にはまだまだこのようなお祭りがあります。とし坊も元気なときに記録として残したやりたいと思いながら家路につきました。昨年は雪で、道路が凍結でヒヤヒヤしながら走りましたが、今年は少し気温が高くのんびり走りました。





















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「松祝い」で豊作祈願、能登... | トップ | 墨の香り漂う国際交流サロン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事