








実のところ、粛々と東北コンプリートを進めている。なかなか時間は取れないけど、僕のお小遣いは「プライスレス」なコンプリートに集中され、他には殆どお金を使わなくなった。可能であれば、月に1回の遠征を続けていきたい。コンプリートに拘り過ぎると、未踏の町を廻ることだけが優先され、近くにある「おいしい町」を素通りすることになる。これを寿司屋に例えると、通を気取るために「コハダ」とか光り物、酢の物ばかりを注文し、鮪の中トロとかウニは我慢することに似ている。もちろん中トロやウニばかりが寿司ではない。だがコハダばかりでは物足りないのは必然で、中トロやウニが別格に旨いのも事実である。今回は会津方面に遠征し、会津若松市と喜多方市の旧町村部を廻ってきた。宿泊は会津芦ノ牧温泉(激安プラン)で、会津若松と喜多方の中心部(中トロとウニ)には行かなかった。今回の訪問で、入り組んだ周辺の未踏町村が大分整理され、福島コンプリートの道筋が見えつつある。
さて、まず最初の訪問地は、旧・塩川町(現・喜多方市)である。こんなことを言っては叱られるかもしれないが、一体どれだけの人が「旧・塩川町」の存在を知っているだろうか。簡単にいえば喜多方市と会津若松市の間に挟まれた小さな町である。面積は約46平方kmで、これは東京都練馬区とほぼ同じといえば分かりやすいと思う。行ってみたところ、思いの外に町並みがしっかりとしていて驚いた。もっと何もない場所だと思っていた。阿賀川の水運、そして米沢藩との交易で栄えた町であるらしい。いきなり大将オススメの極上コハダが出てきた。どうも僕は会津のことを軽く見ていたのではないかと今になって考え始めた。会津は山間の孤立した地域というイメージを持っていたが、どうやら違うようだ。町の並びも分かり始めた今、もう一度会津の歴史や文化について学ぼうと思っている。今回は準備不足の上に、舐めた態度でむかったため、あとで「しっぺ返し」を喰らうのだけど、それは後の話。まずはディープな会津を堪能した。
X-T5 / XF23mm F2R WR
こういうお店が昭和40年代くらいまでは
地方に行くと必ずありましたね。
関西では「よろず屋」なんていう言い方を
していたように思います。
応援ぽち
会津地方の街に立寄った折りの画を興味深く拝見し、記事を愉しく拝読しました。有難うございます。
福島県は「浜通り」、「中通り」、「会津」というように、海側から内陸へ縦に切るようにして地域を分けているという感じですよね。「会津」は内陸で、かの会津松平家の知行地であった辺りが殆どで、地域間を結ぶ経路が交わっていたようです。
そうした福島県の会津地方の様子が凄く伝わる画で、見入っていました。「創業明治十年」や、<ピース>の画の煙草店や、「小賣所」というような画が殊に好いと思いました。「23㎜」の画角の感じが好いというようにも思いました。
稚内では、「北方警固」ということで1808年に会津松平家中の武士がやって来たというような経過も在るということで、近年でも地域間の交流が在るようです。
素敵な画に感謝!
そんな町並みを歩くことが何よろ楽しみです。
都市部でも結構残っていますよね。油断すると田舎は真新しい過疎地となり、ディープな昭和は都市部にしか残らなくなりそうで怖いですね。
福島の縦軸と横軸をやっと理解できつつあります、
会津の中も細分化すると横櫛が3本あり、その辺りはあまり分かっていません。
津軽と会津と陸奥。もっと深堀りしたいなと思っております。北海道と会津の関わりも興味深いし、朝廷の陸奥北上ルートも・・・。日本史をもっと勉強しとくべきだったと痛感しますが、こうやって興味を持たなければ、勉強なんかしないですよね。
深淵を探求できそうですね。
奥行がありそうです。
それでも特定の地域はそれがあるのと、無いのとでは結構な違いがあるのではと思っております。
6×6さまの東北写真紀行全集をおまとめになるさいには、ぜひコースにして(すしネタの順番で街を並べて)くださいね🍣✨✨今回の旧・塩川町はコハダだからトップバッターです👍
重厚な商店が多く、豪華な光り物でしたよ。