昨日、群馬で父の納骨が天台宗の天人寺で行われました。
2年半前の娘の納骨(優子の会食会)には、父(当時、96歳)が元気に
来てくれましたことを思い、会食会を思い出しました。
自宅に戻り、記念会(優子17歳、没)に作った「文集」を読み返しました。
皆さまの温かい心に支えられて、とても良い記念会だった事を話しまし
た。
その時の“文集”の一部から、、、
<yukoの誕生~ >
娘、優子は、埼玉県、西上尾第一団地より上尾中央総合病院に移動
して誕生しました。
体重は、2820g ですっきりとした目鼻立ちでとても可愛い赤ちゃんでした。
生まれた時は、私の仕事で出産のときは立ち会うことが出来ませんでした。
初めて我が子の顔を見た時は突然「パパになった自信が生れてきた」感じが、、
その2年後、新築の上尾市柏座で長男雄一郎が誕生し賑やかな4人家族と
なりました。
記念会での両親
私の仕事で家の手伝いができず妻に迷惑をかけてきてしまいました。
いつも仕事と「油絵」を中心に日々を過ごしてしまい心残りを感じる日も多
くありました。
私がアトリエで雄一郎を背負い描いた「小樽の運河」100号油絵が第25回
埼玉県美術展覧会、県展にて「特選」読売新聞社賞を受賞(28才)。
しかし、私の主宰の「柏座洋画研究所」で我が子にも油絵を教えた事や小学
校の授業を休ませ北海道旅行に出かけた事そして、家族で年末年始を利用
して、米西海岸(サンフランシシスコ・ロス)の旅などをした想い出などが沢山
あります。
時々、アルバムを見たい気持になりますが平成の時代になってからは旅行
の写真を見たことはありません。
記念会での記念撮影
長い年月が経ちましたが写真を見る気分にはなれない複雑な心境でした。
この度のセレモニーで、ひとつの区切りができ新たな第一歩が踏み出せれば
と思い、皆様に心から感謝を申し上げます。
“愛の想い出”文集 町田優子
1. プロフール
2. 小、中学時代の友人のエピソードなど
3. 高校時代の友人の言葉や当時の想い出など
4. 油絵を始める “上尾洋画研究所”父の影響を受けて、、、
5. 「国連職員になりたい」、、(中学時代に)
6. ある面では母親より大人だったかも知れません。
7. 娘は、弟思いのこんな面もありました、、、
8. 母としての優子の追憶
9. 母 、長男、お友達、、、
10. 優子を偲ぶ会を開くことが出来て、、、父
11. その他
記念会の想い出
感謝とお礼
優子に会えなくなって随分長い年月が経ちました。そして、今回やっと新たに
落着く場所を探す事ができました。
「良かったネ」と言ってくれた人、また「直接、優子さんに会えなくなるのは
チョット淋しい」と言ってくれた人。 そのどちらの言葉も嬉しかったです。
何故なら、私の中にもその両方の気持ちが有るからです。
そして忙しい中、仕事をやりくりして、仕事を休んでまでも来てくれた友人達、また
皆様から頂いた暖かい愛と思いやりに包まれて心が熱くなりました。
今も皆様の心の中に優子が存在しているという事を知って、言葉では表現できない
喜びと幸せで一杯です。
心から有難うございます。
母
2年半前の娘の納骨(優子の会食会)には、父(当時、96歳)が元気に
来てくれましたことを思い、会食会を思い出しました。
自宅に戻り、記念会(優子17歳、没)に作った「文集」を読み返しました。
皆さまの温かい心に支えられて、とても良い記念会だった事を話しまし
た。
その時の“文集”の一部から、、、
<yukoの誕生~ >
娘、優子は、埼玉県、西上尾第一団地より上尾中央総合病院に移動
して誕生しました。
体重は、2820g ですっきりとした目鼻立ちでとても可愛い赤ちゃんでした。
生まれた時は、私の仕事で出産のときは立ち会うことが出来ませんでした。
初めて我が子の顔を見た時は突然「パパになった自信が生れてきた」感じが、、
その2年後、新築の上尾市柏座で長男雄一郎が誕生し賑やかな4人家族と
なりました。
記念会での両親
私の仕事で家の手伝いができず妻に迷惑をかけてきてしまいました。
いつも仕事と「油絵」を中心に日々を過ごしてしまい心残りを感じる日も多
くありました。
私がアトリエで雄一郎を背負い描いた「小樽の運河」100号油絵が第25回
埼玉県美術展覧会、県展にて「特選」読売新聞社賞を受賞(28才)。
しかし、私の主宰の「柏座洋画研究所」で我が子にも油絵を教えた事や小学
校の授業を休ませ北海道旅行に出かけた事そして、家族で年末年始を利用
して、米西海岸(サンフランシシスコ・ロス)の旅などをした想い出などが沢山
あります。
時々、アルバムを見たい気持になりますが平成の時代になってからは旅行
の写真を見たことはありません。
記念会での記念撮影
長い年月が経ちましたが写真を見る気分にはなれない複雑な心境でした。
この度のセレモニーで、ひとつの区切りができ新たな第一歩が踏み出せれば
と思い、皆様に心から感謝を申し上げます。
“愛の想い出”文集 町田優子
1. プロフール
2. 小、中学時代の友人のエピソードなど
3. 高校時代の友人の言葉や当時の想い出など
4. 油絵を始める “上尾洋画研究所”父の影響を受けて、、、
5. 「国連職員になりたい」、、(中学時代に)
6. ある面では母親より大人だったかも知れません。
7. 娘は、弟思いのこんな面もありました、、、
8. 母としての優子の追憶
9. 母 、長男、お友達、、、
10. 優子を偲ぶ会を開くことが出来て、、、父
11. その他
記念会の想い出
感謝とお礼
優子に会えなくなって随分長い年月が経ちました。そして、今回やっと新たに
落着く場所を探す事ができました。
「良かったネ」と言ってくれた人、また「直接、優子さんに会えなくなるのは
チョット淋しい」と言ってくれた人。 そのどちらの言葉も嬉しかったです。
何故なら、私の中にもその両方の気持ちが有るからです。
そして忙しい中、仕事をやりくりして、仕事を休んでまでも来てくれた友人達、また
皆様から頂いた暖かい愛と思いやりに包まれて心が熱くなりました。
今も皆様の心の中に優子が存在しているという事を知って、言葉では表現できない
喜びと幸せで一杯です。
心から有難うございます。
母