盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

母、さくの“49日法要”納骨が天人寺にて

2012-10-08 08:51:16 | 法事
2012年10月7日(日)群馬県伊勢崎市平塚にて町田さく(母)9月1日死去の49日の法要、
納骨「天台宗“天人寺”」町田家(墓地)が親族と隣組のみなさん50名ほどで行われました。






① 49日の法要(実家)








    町田家墓地(2012.10.7)

昨日は、台風の影響かと思われる朝方の小雨もあがり、午前10時半から実家で天台宗の
右島住職さまの法要が行われました。





(アルベルト譽)









<父の法事・記録>

天台宗“天人寺”


 町田六郎、天台宗”天人寺”の町田家の墓地にて納骨が行われました。
会席は、参列者みなさまと深谷市大塚の割烹「楓」でお食事となりました。
在りし日の“母の想い出話し”など語りながらご親戚と参列者の皆様との親睦の絆を深め無事
に終了となりました。





③ 町田家の墓地





      <天台宗・天人寺の本堂>

<父の記録>
平成19年1月28日、町田六郎 享年99歳(没)「至誠院慈眼和敬居士」
の一周忌法要が天人寺の右島住職によりとり行われました。


町田家親族並びに、親戚・隣組40数人の前で、天人寺右島方丈様の読経
が行われました。 ご焼香の後に右島方丈様が一周忌の法要の由来と天台
宗の歴史などお話をしてくださいました。




      天人寺
「心を大切にして生きて行く事の大切さ、、、」などを改めて感じました。





      <お墓にて ご焼香>2008・1・20

天人寺、町田家の墓で親戚並びにご親戚・隣組のご焼香が行われました。





       <赤城山>2008・1・20  

背に、赤城山が美しく聳えるなかで、1人ひとりの焼香が行われました。



■天台宗・天人寺は、利根川べりのお寺で”八甲田山から還ってきた男”の碑が
建てられています。 福島大尉
 八甲田山死の彷徨 ( 新潮文庫 )新田次郎 著 、、、「映画」
 明治35年1月(1902年)の八甲田山で青森第5連隊の雪中行軍210名のうち
199名が凍死する惨事が、、、。しかし、同時に別ルートをたどっていた弘前第31
連隊の37名は全員生還しました。



        <天人寺境内の福島大尉の碑>       

 そのときの指揮官が、「福島大尉で伊勢崎市境平塚出身」です。
映画の中では、高倉健が「福島大尉」として、この指揮官を演じています。




<福島大尉の立看板>
 

 (ご参考)
偶然にも八甲田山の西側、弘前の歩兵第三十一聯隊でも実施計画が進んでいた。
実際、三十一聯隊の方が3年前から計画に着手していた。

行軍指揮官は福島泰蔵大尉。(夏季に八甲田行軍、冬期に岩木山雪中行軍を成功
させている)
人員は大尉の他、将校2名・見習士官7名・見習医官2名・下士官(軍曹・伍長)19名
・看護手2名・兵卒4名の計37人に地元新聞社・東奥日報の従軍記者1名を加えた合
計38名編成。

行軍経路は弘前~小国~切明~銀山~十和田湖(南側に沿って迂回)~宇樽部~中里
~三本木(現・十和田市)~増沢~田代~田茂木野~青森~浪岡~弘前の行程240余
km。
荷物は背嚢に詰め、銃を担ぎ、道中は案内人を付け、民泊を予定していた。(行李隊無。
10泊予定)

 そして、福島大尉率いる弘前歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊は、1月20日5時30分に
弘前の聯隊本部(現・桔梗野)を出発した。
未曾有の豪雪地帯への祈願を込め、聯隊を挙げての盛大な見送りであった。

                                           以上



<満92歳の母・深谷市の楓にて>2008.1.20




(アルベルト譽)






お墓参り(優子の眠る霊園)

2010-03-20 20:21:05 | 法事
お墓参り(優子の眠る上尾霊園)
 2010年3月20日(土曜日)お彼岸のお墓参りができました。
今日はとても気持の良い天気で、優子が眠る上尾霊園に車で妻と一緒に
行ってきました。
            
                                 








 今年一番の暖かい天気の感じで、お墓参りのあとすぐに家路に帰るのは
惜しい感じがしましたので近くの田園風景を水彩画で写生しました。


            
             


       上尾市藤波風景 水彩画 町田譽曽彦
 そのとき藤波の江川沿いに咲く「菜の花」としばし話しを交わしてきました。
こんな素晴しい景色は、とてもお金では得ることのできない自然の美しさと新鮮な
空気です。
 大自然の姿をいつまでも見ることができるのかと写生しながら思いました。
                                       (アルベルト譽)


父の一周忌 “八甲田山死の彷徨 福島大尉の碑が”

2008-01-20 21:40:28 | 法事
       <上毛三山の一つの赤城山>

      

 父の一周忌法要が群馬県伊勢崎市平塚の天台宗・天人寺で
2008年1月20日、午前11時から行われました。


    


      <天台宗・天人寺の本堂>

平成19年1月28日、町田六郎 享年99歳(没)「至誠院慈眼和敬居士」
の一周忌法要が天人寺の右島住職によりとり行われました。


町田家親族並びに、親戚・隣組40数人の前で、天人寺右島方丈様の読経
が行われました。 ご焼香の後に右島方丈様が一周忌の法要の由来と天台
宗の歴史などお話をしてくださいました。




      天人寺
「心を大切にして生きて行く事の大切さ、、、」などを改めて感じました。





      <お墓にて ご焼香>2008・1・20

天人寺、町田家の墓で親戚並びにご親戚・隣組のご焼香が行われました。





       <赤城山>2008・1・20  

背に、赤城山が美しく聳えるなかで、1人ひとりの焼香が行われました。



■天台宗・天人寺は、利根川べりのお寺で”八甲田山から還ってきた男”の碑が
建てられています。 福島大尉
 八甲田山死の彷徨 ( 新潮文庫 )新田次郎 著 、、、「映画」
 明治35年1月(1902年)の八甲田山で青森第5連隊の雪中行軍210名のうち
199名が凍死する惨事が、、、。しかし、同時に別ルートをたどっていた弘前第31
連隊の37名は全員生還しました。



        <天人寺境内の福島大尉の碑>       

 そのときの指揮官が、「福島大尉で伊勢崎市境平塚出身」です。
映画の中では、高倉健が「福島大尉」として、この指揮官を演じています。




<福島大尉の立看板>
 

 (ご参考)
偶然にも八甲田山の西側、弘前の歩兵第三十一聯隊でも実施計画が進んでいた。
実際、三十一聯隊の方が3年前から計画に着手していた。

行軍指揮官は福島泰蔵大尉。(夏季に八甲田行軍、冬期に岩木山雪中行軍を成功
させている)
人員は大尉の他、将校2名・見習士官7名・見習医官2名・下士官(軍曹・伍長)19名
・看護手2名・兵卒4名の計37人に地元新聞社・東奥日報の従軍記者1名を加えた合
計38名編成。

行軍経路は弘前~小国~切明~銀山~十和田湖(南側に沿って迂回)~宇樽部~中里
~三本木(現・十和田市)~増沢~田代~田茂木野~青森~浪岡~弘前の行程240余
km。
荷物は背嚢に詰め、銃を担ぎ、道中は案内人を付け、民泊を予定していた。(行李隊無。
10泊予定)

 そして、福島大尉率いる弘前歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊は、1月20日5時30分に
弘前の聯隊本部(現・桔梗野)を出発した。
未曾有の豪雪地帯への祈願を込め、聯隊を挙げての盛大な見送りであった。

                                           以上



<満92歳の母・深谷市の楓にて>2008.1.20






      

       割烹 楓での食事2008年1月

深谷市にて普段、お会いできない人たちとお話が出来て新たな気持で生きる活力
となりました。



     



公式サイト油絵町田譽曽彦の世界はこちらから
上尾市美術家協会洋画部サイトはこちらから
群馬県立伊勢崎商業高校広瀬会サイトはこちらから

(アルベルト譽)










父の納骨を終えて、娘を想い出す、、、

2007-03-18 12:21:42 | 法事
 昨日、群馬で父の納骨が天台宗の天人寺で行われました。
2年半前の娘の納骨(優子の会食会)には、父(当時、96歳)が元気に
来てくれましたことを思い、会食会を思い出しました。


自宅に戻り、記念会(優子17歳、没)に作った「文集」を読み返しました。
皆さまの温かい心に支えられて、とても良い記念会だった事を話しまし
た。

その時の“文集”の一部から、、、
<yukoの誕生~ >

 娘、優子は、埼玉県、西上尾第一団地より上尾中央総合病院に移動
して誕生しました。

体重は、2820g ですっきりとした目鼻立ちでとても可愛い赤ちゃんでした。
 生まれた時は、私の仕事で出産のときは立ち会うことが出来ませんでした。 
初めて我が子の顔を見た時は突然「パパになった自信が生れてきた」感じが、、


その2年後、新築の上尾市柏座で長男雄一郎が誕生し賑やかな4人家族と
なりました。

     記念会での両親



 私の仕事で家の手伝いができず妻に迷惑をかけてきてしまいました。
いつも仕事と「油絵」を中心に日々を過ごしてしまい心残りを感じる日も多
くありました。


私がアトリエで雄一郎を背負い描いた「小樽の運河」100号油絵が第25回
埼玉県美術展覧会、県展にて「特選」読売新聞社賞を受賞(28才)。
しかし、私の主宰の「柏座洋画研究所」で我が子にも油絵を教えた事や小学
校の授業を休ませ北海道旅行に出かけた事そして、家族で年末年始を利用
して、米西海岸(サンフランシシスコ・ロス)の旅などをした想い出などが沢山
あります。 


 時々、アルバムを見たい気持になりますが平成の時代になってからは旅行
の写真を見たことはありません。



    記念会での記念撮影

長い年月が経ちましたが写真を見る気分にはなれない複雑な心境でした。
この度のセレモニーで、ひとつの区切りができ新たな第一歩が踏み出せれば
と思い、皆様に心から感謝を申し上げます。
                                          

“愛の想い出”文集 町田優子 

1. プロフール 
2. 小、中学時代の友人のエピソードなど
3. 高校時代の友人の言葉や当時の想い出など
4. 油絵を始める “上尾洋画研究所”父の影響を受けて、、、
5. 「国連職員になりたい」、、(中学時代に)
6. ある面では母親より大人だったかも知れません。
7. 娘は、弟思いのこんな面もありました、、、
8. 母としての優子の追憶
9. 母 、長男、お友達、、、
10. 優子を偲ぶ会を開くことが出来て、、、父
11. その他



          記念会の想い出


              感謝とお礼
 
 優子に会えなくなって随分長い年月が経ちました。そして、今回やっと新たに
落着く場所を探す事ができました。



「良かったネ」と言ってくれた人、また「直接、優子さんに会えなくなるのは
チョット淋しい」と言ってくれた人。 そのどちらの言葉も嬉しかったです。



 何故なら、私の中にもその両方の気持ちが有るからです。
そして忙しい中、仕事をやりくりして、仕事を休んでまでも来てくれた友人達、また
皆様から頂いた暖かい愛と思いやりに包まれて心が熱くなりました。



 今も皆様の心の中に優子が存在しているという事を知って、言葉では表現できない
喜びと幸せで一杯です。
                 心から有難うございます。            
                                 母 

 

父の納骨、八甲田山福島大尉の碑がある天人寺で、、、

2007-03-17 19:11:00 | 法事
故、町田六郎の49日の法要が群馬県伊勢崎市平塚の天台宗・天人寺
で午前10時半より行われました。
平成19年1月28日、享年99歳(没)「至誠院慈眼和敬居士」
(福島大尉の碑が天台宗・天人寺に建てられています。)


町田家親族並びに、親戚・隣組など50数人の前で、天人寺の方丈様
(右島住職さま)の読経が行われました、、、 ご焼香
その後、方丈様が49日の法要の由来などのお話をしてくださいました。

      天人寺
「心を大切にして生きて行く事の大切さ、、、」などを改めて感じました。



天人寺裏、町田家の墓で親戚の人たちが見守るなかで納骨が行われました。




背に、赤城山が美しく聳えるなかで、1人ひとりの焼香が行われました。



■天台宗・天人寺は、利根川べりのお寺で”八甲田山から還ってきた男”の碑が
建てられています。
 八甲田山死の彷徨 ( 新潮文庫 )新田次郎 著 、、、「映画」
 明治35年1月(1902年)の八甲田山で青森第5連隊の雪中行軍210名のうち
199名が凍死する惨事が、、、。しかし、同時に別ルートをたどっていた弘前第31
連隊の37名は全員生還しました。


 そのときの指揮官が、「福島大尉で伊勢崎市境平塚出身」です。
映画の中では、高倉健が「福島大尉」として、この指揮官を演じています。



       魚徳での精進落し

 精進落しは、太田市の「魚徳」で行いました。普段、お会いできない人たちとお話
が出来て新たな気持で生きる活力となりました。