盛夏の季節、天候不順のこの頃

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
第37回上尾市美協展開催

2011年中央大学学員会白門43会新年会

2011-01-31 22:05:23 | 大学
2011年1月25日(火)東京御茶ノ水
中央大学記念会館にて18:00~20:00 

 平成23年中央大学学員会白門43会新年会開催の会議が
 開催されました。






    <新年会>
期日:平成23年2月5日(土)
会場:清水園「大宮ラフォーレ清水園」3階 孔雀の間
   さいたま市大宮区東町2-204 
   電話048-643-1234
16:30 受付開始 17:00開始  19:00閉会
    出席者:100名 (会員80、応援団等20)
 今年の新年会は、埼玉県大宮市開催と言うことでお手伝いさせていただきたく
 久し振りに出席しました。
              

                              



 役員幹事が20名ほど集まり、正野建樹会長の挨拶、原幹事長の議事進行で
 新年会役割分担などスムースに決まりました。

         





 会議終了後、有志が近くのお店に集まりお互いの近況など話しながら会員の
 親睦と新年会の成功を祈念しました。



世良田小26新年会

2011-01-31 21:21:57 | 新年会
2011年1月22日(土) 群馬県太田市の明養軒にて
群馬県新田郡世良田小学校26年入学の新年会が今年も
開かれ出席しました。

         

             





 同窓会は、以前からオリンピック開催年に開催されています。同窓生の
出席者は、先生を含めて80余名でした。

 新年会は、同窓会の年を除き、毎年の1月第4土曜日が新年会となつており、
毎年仲間に会えるのがとても楽しみにしています。


               




 今年は、東京から竹内さん、埼玉から私と小野寺さんが出席して
地元の仲間と旧友を温めることができました。
 20余名の出席者の2割ほどの仲間は、年令のためかどこか体調
が良くないとの事でした。

              






 来年はオリンピックの年、当時の小学校・中学校の先生を交えての同窓会が
盛大に開催されますように祈念いたします。

 改めて、健康に感謝です。

(アルベルト譽)

「2011年県政報告 新春の集い」島田正一氏

2011-01-22 10:18:48 | 行政・市
「2011年県政報告 新春の集い」(埼玉県議会議員)島田正一氏
日時:2011年1月16日 18:00~21:00
会場:東武バンケットホール上尾「フローラの間」

                  
                

島田正一議員の支援支持者等350人以上を前にして
「2011年県政報告 新春の集い」が盛大に開催されました。




上尾駅(東口風景)2011年1月22日 




①湯本後援会長 国会議員 市長 市議会議員 商工会議所会頭等


                


                 


                 
④会風景場、東武バンケットホール上尾 「フローラの間」




                                  




多くのご来賓のご挨拶ご祝辞が行われました。






その後、上尾市の現状と今後の展望など島田正一県議のご挨拶
が力強く行われ支持者の大きな拍手を集めました。

 県政報告会の締めくくりの挨拶は、元、上尾市議会議長の田中守議員
「上尾の発展の為には島田正一議員がどうしても必要であります
などのことばが印象に残っております。





漁場の詩 F4 パステル画  町田譽曽彦

  「上尾市から県政へ」
平成11年県議選、 最初の選挙は大変でした。
無所属での出馬であり、ポスター・政策ビラ・街宣等制約を受け、自民・公明・共産の
3現職との争いであり、18,147票を頂き勝つことができました。

 平成15年の2度目は自民公認での戦いであり、多くの団体の支持・推薦を受け
18,845票で当選。
健康福祉委員長として医療福祉のさらなる向上、総合政策委員長としては5ヶ年計画
の策定に汗を流し、文教副委員長として子供たちの健全育成に取り組むなど、要職を
歴任し、上田県政をバックアップしてまいりました。

県会議員三期目の選挙は平成19年4月に執行されました。
自民党への逆風が強まる中、2万票を越え前回、前々回よりも票を伸ばしての当選で
した。

多くの支持者のお陰と感謝しております。
議会の役職も三期生ではトップを切っての監査委員就任であり、埼玉県を東奔西走忙
しいけれど充実し、勉強になった一年でした。


翌年20年度は第115代埼玉県議会副議長として公務日数181日及びたくさんのイベント
や会議に出席し、移動距離はおよそ15000キロ。
皇太子殿下と共に、四国の松山市で育樹祭にて苗木の手入れを行った事や、沖縄埼玉
の塔では戦争で犠牲になられた方々に哀悼の誠を捧げた事など私の人生の中でも思い
出に残る貴重な体験をした一年でありました。



 2011年 新春 懇談会(上尾市) プレゼントの花


 本年(平成22年)は県議会の議会運営委員長として公平・公正そして円滑な議会運営に
汗を流す覚悟であります。
又、引き続き県議就任以来のモットーであります『上尾から県政へ全力投球』を忘れず活
動してまいります。
                              (埼玉県議)島田正一ホームページより


(アルベルト譽)


阪神・淡路大震災から15年! 町田譽曽彦

2011-01-17 08:01:17 | 暮らし
 阪神・淡路大震災から16年になります。震災から暫くの間は、暗い部屋
では体が震えて、、、 死者 6434人。
 震災の体験を同窓生に講演しました。
<中央大学学員会白門43会、第10回総会町田譽曽彦の講演内容>           
                                                  NO.1

 

神戸ポートターミナル 透明水彩 1997.1.16 まちだよそひこ
                     
演題:「いざと言う時の準備」 阪神・淡路大震災での体験をもとに
講師: 町田譽曽彦 
前半 「いざと言う時の準備」(地震当日からその後について)             NO.2



      






● まず、阪神・淡路大震災の当日について。
       1995年1月17日午前5時46分ごろ地震が発生、、、(灘区烏帽子のマンションにて)

● 私の隣が烏帽子中学校、地震後に校庭は、避難所になりました。
1月17日、震災の夜は満月でした。
 家が全部壊れた家族は「命が助かった」と笑顔で会話、、、体育館は霊安室(遺体置き場)に使われました。





 





● 私が住んでいた灘区の12階建てのマンションの被害状況をお話ししたいと思います。
(冷蔵庫、お風呂、サイドボードなど、、、)冷蔵庫、サイドボードは横転、お風呂の水も地震
の縦揺れで半分ほどに           

●家族のいる埼玉に帰りたくて! 週末は、灘区烏帽子から阪神甲子園駅まで歩いて8時間
余り。
高崎線の上尾駅改札口では、家族兄弟親戚一同が私を見たら万歳! 万歳!

●震災後に神戸で水彩画を始めたキッカケは、美しい神戸を沢山絵に描きたくて
(震災後、新神戸駅前の「ホテル神戸」で町田譽曽彦個展を開催しました。)

●震災後に咲いた恋の花の行方、、、歯医者の受付の女性は今、36才! 







 






後半 「いざという時の準備」項目別                             NO.3
1.大地震が発生したらまず家族への連絡確認がいちばん大切です。
その時、公衆電話ではテレフォンカードは使えませんでした。10円玉なら繋がりました。
神戸から東京・埼玉に電話はかかりましたが、地方からは中々つながらなかったようです。(電話局で操作)
又、自動販売機は使えず、缶ジュースなどは購入できません。震災時には、携帯電話と携帯ラジオが大変便利で役に立ちます。

 
2.新築40年以上の古い家は、屋根瓦の重みに耐え切れず瞬時につぶれて住んでいた人は即死!
地震の縦揺れ横揺れなどの種類にもよりますが、山側より海側の被害が大きかったです。5階建て以上の大きなマンションは2階から3階にかけての被害が非常に大きかったです。安全を求めるのならばその階を、、、













新神戸布引ハーブ園にて 透明水彩 1998.8.23 町田譽曽彦



3.大震災後は、道路が地割れと壊れた家屋が道路にはみ出し自動車の通行は殆ど
無理になります。オートバイと自転車が大変便利で利用されていました。 
鉄道が不通になり街に車が、、、交通渋滞で自動車は動けず。

                                                    NO.4
4.親友と思っていた人が震災時にあまり当てにならず、あまりよく知らない人から救援の
物資と心のサポートが多くありました。
きっと、神戸が震災でそんなに大変な状況とは考えていなかったようです。心の優しさと
思いやりの大切さを強く感じました。とにかく、困っている人に手を差し伸べてあげることを
改めて教えられました。






 





5.大震災の夜のこと避難所の校庭は、家が全部燃えてしまった人や全壊の人達はみな笑顔で
話をしていました。その反面、家が少し壊れたとか家から物を取り出し忘れた人などは気持ちが
沈んでいました。
命が助かったと喜んでいた笑顔の家族がとても印象的でした。
一番大切なものは人の命、、、人は、お金や物を沢山に持つとどうしても財産に執着してしまい
“心の豊かさ”が貧しくなるような気がします。(震災後、特に感じた事は物への欲望と心のバランス
が大切のよう思いました。)

6.お風呂の水は栓を抜かないで、夜流さずに翌日まで残すようにすること
です。
震災後に洗濯、掃除、トイレの水などに有効利用できます。又、日頃からポリタンクに水を入れ、
飲み水として準備しておく事も大切です。
洗濯は、川でする人と自宅で給水車の水を使い洗濯そして、その水をトイレの用水として再利用しま
した。
                                                   NO.5
7.地震で壊れてしまうような大切な物は箪笥やサイドボードの上に置かないようにすると良い。又、
家具が倒れないように針金などで固定するのも一考です。そして、安全な寝かた布団の敷き方は、、、
震災から自分の身を守る寝かた布団の敷き方は、背を壁にする。そして、布団の隣に箪笥やサイド
ボードなど倒れる恐れのある物を置かない事です。
頭上に蛍光灯や電球などの障害物が来ないようにする。

8.震災時には、自動車の鍵は特に注意してかけておくことが大切です。とくに貴重品はご注意を、、、
(神戸の震災時には車の盗難が頻繁に起りました。会社の仲間が盗難に遭いました)

9.食器は、“ラーメン”どんぶりと箸があればとりあえず不自由しませんでした。余分の器や普段
使わない物が意外と家に多くあることに気が付きました。






 






10.震災後、冬の寒い中で冷たい弁当、40日間 ! 暖かいご飯と味噌汁が食べたくて、、、会社の
昼食は40日くらい大阪から仕出し弁当とインスタントの味噌汁でした。
ガスコンロとガスボンベ

                                                NO.6 
11.仮設のトイレでの生活、マンションの前の庭が共同仮設トイレとなりました。
(ブルーテントは、震災後の仮設住宅を思い出します。)
昼の仮設トイレは良いですが夜に部屋から行くのは怖く抵抗がありました。
東京でブルーのシートを見ると震災後の仮設住宅と壊れた屋根・避難生活者の姿が目に浮かびます。
上野公園に行くとホームレスのブルーのテントが目に付きます。

12.路上には救援物資の衣類・食器・ジャンバー・セーターなどがむしろの上に、、、
震災時は水や食糧がほんとうに深刻でした。震災後の街の状況を見て○○本部、  ○○組などもテントを
張って物資を無料配布。市民へのボランテア活動参加を積極的にやっていた風景が、、、

13.名古屋から2人の学生さんが夜に自動車で沢山の“むすびをトランク”に入れボランテア活動!
 私が街に水を汲みに行く途中、道路で学生さんが声を、、、
私は“むすび2個”もらい、あとは烏帽子中学の避難所に行く事をお願いしました。

14.余震が続き恐怖感が増幅し夜になると部屋は暗くて、、、今でも、部屋が暗いと震災を思い出し怖くなり
部屋の蛍光灯を全部つけて明るくしてしまいます。
お風呂は1ヶ月で2回“余震が続く暗い部屋での30日間、”水とトイレと連絡手段“郵便物はすべて郵便局
止まりでした。
飲み水は、消防車が街を巡回し1日1回ポリバケツかポリタンクで貰う事が出来ました。
その時も被災者はいつも長い行列を作って飲料水をもらいました。                                          





 





      
郵便物は局止まり。郵便局の職員の数も限られおり又、地震で家は壊れ燃えてなくなっていました。
自宅への郵便物の配達はありませんでした。
家族から送られた菓子パン、ジュース、ぺットボトルなど届きませんでした。

15.私への救援物資は、携帯ラジオ.ガスコンロ(ガスボンベ)・ビタミン等の栄養剤・ミネラルウオーター
・手袋・下着・靴下・靴(底が厚いゴム)・ウエットティシュ・タオルなどと心のこもった手紙でした。

                                                  NO.7
16.救援隊が救助犬をつれて灘区に最初に来たのが地震発生から3日目でした、すでにつぶれた家の
住人は死んでいたかも知れません。、、、
日本政府が海外からのボランテアに対して、受け入れ態勢が出来ておらず。「整備が不十分」だった、、、


17.地震後、2日で灘区のJR六甲道駅付近は家が90%全焼してしまい焼け野原となってしまいました。
「父、この地に眠る!」「母この下に眠る、掘り起こしに注意!」の墓標がいたる所に見られました。










神戸オリエンタルホテルより六甲の山並み




18.六甲の山並みと神戸港の美しさは地震の前と変わらず、しかし地震で壊れた街と自然の美しさが
対照的に脳裏に残りました。 “国に敗れて山河あり”
今から80年ほど前の1923年、関東大震災の時が神戸のような被災状況だったかも知れないと思いました。
灘区六甲道付近は、家が殆ど焼失して焼け野原、、、
墓標があちこちに立ちならんでおりどのように表現したら良いか迷いました。
『この下で父が眠る、、、掘り起こしに注意!』何も無いこと、病気で無いこと、普通の生活が出来る事が一番
幸せと思い感謝しています。          
                                                   NO.8   
19.震災後、神戸では途切れることなく救急車・消防車そして、警察のサイレンが続いていました。
東京でサイレンの音を聞くと神戸の震災をすぐ思い出します。
震災後、ビルや家屋の取り壊しで粉塵が街に、、、外出には、防塵マスクが必要です。                          

20.大地震を想定して、いろんな大切なデータのバックアップの再点検が必要です。













21.震災後、3ヶ月経ってやっと灘区の全壊マンションからライフライン完備の新神戸駅前マンションに
移ることが出来ました。
とにかく、ライフラインが確保できればどこでも良いと思って自分で探しました。
しかし、その部屋は窓が少なくその上に北西向きの窓で太陽光線は殆ど入らずマンションでした。
お釈迦様か遺体の霊安室によい環境でしたが、、、










 アジ   透明水彩  町田誉曽彦






22.心の持ち方で人生楽しくも生きられる事を教えてくれました。
陽当りが悪いマンションでしたが、すぐ前が新幹線の新神戸駅で交通の便がすごく良く又、近くに神戸
北野異人館があり写生するにはとても良い所でした。
しかし、その事よりも「水、電気ガス、風呂」などが確保できればと満足しました。
自分で納得して入居し東京に戻るまでの約3年間住んでしまいました。












世の中は表と裏があり、人間は長所と短所があるものです。窓が「西と北向きのマンション」で環境が
悪かったですが“不満はなく感謝の気持ちで毎日を”暮らして来ました。上をみたら切りがなしです。

人の欲は果てしないものです。
人間は心の持ち方で人生を楽しくも生きられる事を震災が教えてくれました。
これからも震災の体験を風化させずに、語りつぎ生きて行きたいと考えています。
                                                 







新神戸ポートターミナル(北公園にて)水彩 1997.10.19 まちだよそひこ







まちだよそひこ メール: yosohiko@jade.plala.or.jp  
アート町田譽曽彦の世界HP http://pub.ne.jp/yosohiko/


①町田譽曽彦の世界公式サイトはこちらから



②群馬県立伊勢崎商業首都圏同窓会広瀬会サイトはこちらから



③Le Rond-Point  「ル・ロンポワン」東京・広尾 (フランス料理の
お店)サイトはこちらから







                        

                        <北野異人館 油絵 F15 町田 譽曽彦>
                           



(アルベルト譽)












平成23年上尾市美術家協会新年会

2011-01-15 22:32:25 | 上尾市美術家協会
 2011年1月14日(金曜日)  18:00~20:00
 会場:東武バンケットホール上尾 「フローラの間」にて


 上尾市美術家協会(日本画 洋画 立体造形 工芸 書 写真)の新年会が
 多くのご来賓の先生方ご臨席賜り、6部門の会員多数のご参集の頂き盛大
 に行われました。(計76名)


                       総合司会  事務局長 林部 徳司
                         書 記  平野民子  田辺弥生
                         会 計  池田正美  益子早苗


1  開会のことば    上尾市美術家協会副会長     町田 譽曽彦

2  主催者挨拶     上尾市美術家協会会長      赤熊 玉蓉

                
                

              <赤熊玉蓉会長>

3  ご来賓ご挨拶     上尾市副市長           後藤 文男 様

                  



                  

                    <後藤文男副市長>


                上尾市市議会議議長       中村 清治 様

               






<中村 清治議長> 



                上尾市教育委員会教育長    岡野 栄二 様






 <岡野 栄二教育長>


                埼玉県議会議員(代表)     石渡  豊  様













  <石渡 豊 先生> 





4  ご来賓紹介



上尾市商工会議所  会頭                 小谷  仁  様

衆議院議員大島 敦様(ご夫人)               大島 直子 様

埼玉県議会議員                        島田 正一 様

     〃                             畠山  稔 様

上尾市議会文教経済常任委員長              鴨田 幸子 様

埼玉中央青年会議所副理事長                永嶋 正史 様

上尾市教育委員会教育総務部部長             宮永 義則 様

     〃     教育総務部次長             清水 文子 様

〃     生涯学習課課長 赤石 光資 様

上尾市美術家協会顧問                    佐野 源次 様

5  記念撮影

6  乾 杯
   上尾市商工会議所 会頭                  小谷  仁 様



                  






7  アトラクション
   和太鼓演奏「彩の国玄潮太鼓連」のみなさん  代表  尾川 寿海 様



                   








8  懇談
   会食 、歓談

9  閉会のことば      上尾市美術家協会副会長   川上生三郎 様

                                           以上