盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

平成25年度上尾市文化団体連合会「定期総会 懇親会」

2013-06-01 16:58:54 | インポート
平成25年度上尾市文化団体連合会
「定 期 総 会・懇 親 会」
                       <出席者 48名> (敬称略順不同)
 1 総   会 

・日 時   平成25年5月31日(金)午後 6時 ~ 午後7時05分
・会 場  東武バンケットホール上尾 
・受 付   ・美術家協会   三澤 岳泉、 村上美智子
       ・合唱連盟   小菅 光安、 小熊 哲司

 
          







               
    総合司会・進行      美術家協会  町田 譽曽彦
① 開会のことば     副 会 長   清 水 和 鳳
② 会長あいさつ     会    長   中 村 卓
③ 来 賓 祝 辞
上尾市議会議長                         矢 部 勝 巳 様
上尾市教育委員会教育総務部長               遠 藤 次 朗 様


④ 議 長 選 出     俳句連盟    野 別 忠 孝
⑤ 議    事 
   第1号議案  平成24年度事業報告       書記長   横 堀 鶴 雄
   第2号議案  平成24年度決算報告        会計主任  中 村 眞佐子
                監査報告            監 査   南  卓 志
   第3号議案  平成25年度事業計画(案)の承認 書記長   横 堀 鶴 雄
   第4号議案  平成25年度予算(案)の承認 事務局次長 清 水 和 鳳
   第5号議案  会則の改正                 事務局   大 木 規 誉
   第6号議案  新役員の承認・新役員の紹介      会 長    中 村  卓

   
⑥ 来賓紹介    司 会   美術家協会   町 田 譽曽彦
    上尾市議会 文教経済常任委員会委員長       道 下 文 男 様
    上尾市教育委員会教育総務部生涯学習課長     関  孝 夫 様
  
    ・賛 助 会 員 の 紹 介
     ㈱アサヒコミュニケーションズ   篠 木 樹 文 様
  
⑦ 祝 電 披 露   美術家協会      

⑧ 閉 会 のことば        小 菅 光 安  



 2 文化功労者 授与式 
   司  会                 美術家協会    町 田 譽曽彦

   ・彩の国上尾将棋連合会      古 川 泰 夫 様
   ・上尾市吹奏楽連盟         永 野   靖 様

 3 懇 親 会 

   (出席者60名)
 
・日 時  平成25年 5月 31日(金)
 午後 7時15分 ~ 8時45分
・会 場  東武バンケットホール上尾 《フローラの間》

   ・担当幹事      美術家協会 ・       町 田 譽曽彦
                合唱連盟   ・        小 菅 光 安
 
   ・司   会         合唱連盟        小 菅 光 安 

******************************************************************
◎ 会長あいさつ  会 長         中 村 卓
◎ 来賓あいさつ              
  ・上尾市議会 文教経済常任委員会委員長    道 下 文 男 様           
 
    賛助会員
    ・株式会社 アサヒコミュニケーションズ      篠 木 樹 文 様
◎ 花束贈呈
          ・関口 謙太
          ・深澤 國昭
◎ 乾  杯   茶道連盟        小 川 宗 江
******************************************************************
  ◎ シ  メ
        ・第一のシメ  俳句連盟        野 別 忠 孝
        ・第二のシメ  茶道連盟   
        ・第三のシメ  邦楽邦舞  
   
 ◎ 閉  会             大 木 規 誉  


(アルベルト譽)

阪神・淡路大震災17年「いざとゆう時の準備」

2012-01-17 13:10:36 | インポート
<阪神淡路大地震体験>  
   私が「白門43会総会」での記念講演のメモ
  平成16年7月3日(土)
  中央大学学員会白門43会第10回総会記念講演開催 
  会 場:新宿駅東口マイシティー内 ザ・バンケット
  出席者:60名余  講演講師 :町田譽曽彦 
  演題「いざというときの準備」 どうぞ、ご参考にしてください

1.地震が発生したらまず家族と親友への連絡確認が大切です。
2. 築40年以上の古い家は、屋根瓦の重みに耐え切れず瞬時に
  つぶれて即死!
  マンションは2階から3階にかけて被害が非常に大きかったです。
3. 大震災後は、道路が地割れになり自動車の通行は殆ど無理に
  なります。





   神戸の灘区 六甲道附近



4. 震災お見舞いと救援物資等は、日頃のお付き合いのない人から多く届きした。
5. 大震災の夜のこと避難所の校庭は、家が全部燃えてしまった人や全壊の人達は
   みな笑顔で話をしていました。“命が一番”



6. お風呂の水は抜かない夜流さずに、翌日まで残すようにすると良
   いです。
7. 地震で壊れてしまうような大切な物は箪笥やサイドボードの上に
   置かないようにすると良い。また、家具が倒れないように針金などで
   固定するのも一考。
8. 日頃から隣近所の人との会話をしておく事がとても大切です。
   地震の時には色々と助けられる事が多くありました。
9. 震災時には、自動車の鍵は特に注意してかけておくことが大切
   です。



     二次災害での火災で、、




10. 食器は、“ラーメン”どんぶりと箸があればとりあえず不自由しま
   せんでした。



11. 震災後、冬の寒い中で冷たい弁当、40日間 ! 暖かいご飯と
   味噌汁が食べたくて、、、
12. 震災1ヶ月後に社宅に入れました。チャーターバスで芦屋の寮
   から三宮まで60分以上かかり通勤。
13. 仮設のトイレでの生活、マンションの前の庭が共同仮設トイレと
    なりました。
   (ブルーテントは、震災後の仮設住宅を思い出します。)




    家の中に祖母と子供がいます、、、救出作戦





14. 路上には救援物資の衣類・食器・ジャンバー・セーターなどが
   むしろの上に、、、
15. 名古屋から2人の学生さんが夜に自動車で沢山の“むすびを
   トランク”に入れボランテア活動を!



16. 余震が続き恐怖感が増幅し夜になると部屋は暗くて、、、今でも、
   部屋が暗いと震災を思い出し怖くなり部屋の蛍光灯を全部つけて明るく
   、、、お風呂は1ヶ月で2回“余震が続く暗い部屋での30日間、郵便物
   はすべて郵便局止まりでした。 
            




  父、この地に眠る 掘り起こしに注意 墓標と建て看板が、、、





17. 救援の品は水、下着、靴下、食料、携帯ラジオ.ガスコンロ(ガス
   ボンベ)・ビタミンなどと心のこもった手紙が、、、
18. 震災の義捐金を貰うのは一日がかりでした。マンション全壊の
   “罹災証明”を区役所で貰って義捐金を頂きました。
19. 神戸ポートランドは、液状化現象でしばらく地面がフカフカに、、
20. 救援隊が救助犬をつれて灘区に最初に来たのが地震発生から
   3日目でした、すでにつぶれた家の住人は死んでいたかも知れません。



21. 地震後、2日で灘区のJR六甲道駅付近は家が90%全焼して
   しまい焼け野原となてしまいました。「父、この地に眠る!」「母この
  下に眠る、掘り起こしに注意!」の墓標がいたる所に見られました。





  地震で辺りは不気味な風景、しかし六甲の山並みは変わらず




22. 六甲の山並みと神戸港の美しさは地震の前と変わらず、しかし
   地震で壊れた街と自然の美しさが対照的に脳裏に残りました。 
   
   “国に敗れて山河あり”

23. 震災後、神戸では途切れることなく救急車・消防車そして、
   警察のサイレンが続いていました。東京でサイレンの音を聞くと神戸
   の震災をすぐ思い出します。 
         




     黒焦げのビル 今日からどう生きていけば、、、
     何も無し  「食 水 電気 連絡手段も不通、、、」





24. 大地震を想定して、いろんな大切なデータのバックアップの
   再点検が必要です。
25. 震災後、3ヶ月経ってやっと灘区の全壊マンションからライフラ
   イン完備の新神戸駅前のマンンションに移ることが出来ました。とに
   かくライフラインが確保できれば、、、















26. 心の持ち方で人生楽しくも生きられる事を教えてくれました。
    陽当りが悪いマンションでしたが、、、人間は心の持ち方で人生を楽しく
    も生きられる事を震災が教えてくれました。



    これからも震災の体験を風化させずに、語りつぎ生きて行きたいと考え
    ています。
                                 
    (アルベルト譽)

公式サイトはこちらから


伊勢崎商業高校広瀬会サイトはこちらから
                              

日本一“全国優勝”落合真菜さん(伊勢崎商業高等学校)

2010-07-26 19:31:38 | インポート
日本一“全国優勝”落合真菜さん(伊勢崎商業高等学校)
団体は、全国第3位 「第26回全国高等学校簿記コンクール」
去る、平成22年7月18日に東京・御茶ノ水の明治大学で全国高等学校
簿記コンクールが開催された。

             
              


        <平成22年団体メンバー>落合真菜(3年)六本木啓矢(3年)栗原徹(3年)

        <写真は、昨年の全国高等学校簿記コンクール表彰式>

個人では、母校(伊商)の落合真菜さんが優勝、六本木啓矢君と栗原徹君と
参加した団体でも全国3位となった。







<写真は、昨年の全国高等学校簿記コンクール表彰式>


県岐阜商など並みいる強豪を押さえての成績で、伊勢崎商業としても勿論
「群馬県としても快挙」である。


熊谷博先生が伊勢崎商業の簿記部顧問になってから最も上位の成績だ
そうです。
 団体は、伊商簿記部3年生で全国第3位であり、もの凄い事だと思っており
ます。
そして、本気で「全国優勝をねらいます」との、、、 昨年の全国高等学校簿記
コンクール熊谷博先生の言葉が脳裏に残っています。



平成22年度(2010年)
群馬県立伊勢崎商業高等学校<簿記部成績>

7月19日 <第26回全国高等学校簿記コンクール>
 団体   第2等(第3位)
 個人   最優秀賞(優勝) 落合真菜
       優良賞       六本木啓矢
       佳良賞       栗原 徹

7月20日 <全国経理教育協会・関東地方会主催 簿記競技大会>
      (関東予選会)
 団体   優勝
 個人   優勝    落合真菜
       4位    栗原 徹
       5位    六本木啓矢

      *9月5日に行われる全国大会に関東地区代表として出場


7月22日 <第30回全国高等学校IT・簿記選手権大会>
 団体   準優勝
 個人   4位  落合真菜
                                      以上



 (アルベルト譽)

新人乱立 薄れる地域色…伊勢崎市議選

2010-04-23 07:32:01 | インポート
新人乱立 薄れる地域色…伊勢崎市議選
都市型兆しで「地盤なし」目立つ
 25日に投開票される伊勢崎市議選は、32の定数を9上回る41人が立候補し、乱立模様だ。特定の支持基盤を持たない新人も複数立ち、旧市町村の地域代表を選ぶ色彩の濃かった前回の選挙とは異なり、都市型への変化の兆しを見せる。目立った争点のない中、有権者に世代交代の必要性を問う形となっている。(武田潤)
 19日午後5時頃、伊勢崎市連取町の県道交差点で、30歳代前半の新人の男性候補がマイクを握りしめていた。「争点がない選挙だからこそ、市、そして子どもの未来を誰に託すかを考えてほしい」
 この候補者は、地域から推されたのではなく、市の介護福祉を充実させたいと自ら立候補を決意したという。往来する車に向かって「20~30歳代が投票に行かないと、一部の政治家が独占する状況を変えられない」と連呼した。
 旧伊勢崎市最後の2003年の市議選は、定数26に対し29人の立候補にとどまった。合併による在任特例の任期満了で候補者数が膨らんだ06年の前回は、定数34に対し、52人が出馬した。


<伊勢崎東地区の掲示板>

 今回は、旧町村部からも乱立した前回とはうって変わり、現職以外の13人中、旧町村部からの出馬はわずか4人。このうち3人は在任特例の元議員で、新人は1人だけ。残る新人9人は旧市部からの立候補だ。
 新人の中には、民主党公認候補や、特定の地域に支持基盤を持たない候補者など、全市域から広く票を集める選挙戦を展開する陣営もいる。

 


   <伊勢崎東地区の掲示板>
  





 こうした現象に、地元の票固めに奔走する複数の現職候補は「以前は公明、共産以外にはありえなかった。みんな何かしら地域の後押しを受け、それを前面に出して戦っていたのに」と、変化を実感している。












<ザゼンソウ>



 新人10人が立った背景を、ある現職候補は「合併で特例市になり、市議にもステータス、責任が増してきた」と分析する。一方で、「市議になるのを『就職』と考えている人もいるからだ。慎重に実力を見極めるべき」と冷ややかに見る向きもある。
 新人の1人で、自転車遊説で全域を回る候補者は「特定の組織や団体に偏らない政治を実現するには、自分のような存在が必要」と強調する。ある現職候補は「薄く、広く票を取っても勝てる都市型の選挙になりつつある。小差の勝負になる」と気を引き締める。
 昨年1月の五十嵐清隆市長の誕生後、市議会は「オール与党」とも言われる状況が続いている。第1会派が圧倒的な力を持ち、「活発な議論に欠ける」との批判もある。
 ベテランの現職候補は「旧市部での新人乱立は、現議会への『待った』の表れだと思う」とみる。「世代交代を望むのかどうか、市民への問いかけは十分だろう」と、有権者の判断の行方に注目している。
(2010年4月21日 読売新聞)


元、絵画部同窓会先輩からの便り

2010-04-19 22:07:27 | インポート
2010年04月10日  <元、絵画部先輩 森本利根氏からの便り> 
こんにちは 昨年暮れの元、絵画部の同窓会は、森本利根にとってただ懐かしく、生きてきた甲斐あった嬉しさと、こよなく楽しいひと時でした。
 数十年の凝縮された時空の蓄積が一気に溢れ、展開してそれぞれの思いが交々入り混じって語り尽くせぬもどかしさと友情の温もりをかき抱き薄暮の空の下、去るには惜しい後ろ髪ひかれる思いで帰宅しました。

                              

                  <元、絵画部同窓会風景>2009年12月

 在職1年か2年のお付き合いの方も、10年20年にわたる方も様々でしたが、どなたの目も、みな旧知の温もりを湛えて、それがまたとても嬉しく、皆様から勇気凛凛と生きる希望をいただきました。
 さらにそのおり、皆様全員からカンパをいただきました。
上海から北京事務局経由でたいへん遅くなりましたが、領収書が届きましたので同封いたします。
1元が14円強で計算されています。これは内蒙古の砂漠に植林するために、ポプラの苗木1本RMB5元(約75円)を購入する費用にすべて充てられ、これに関わるその他の経費、労働はすべてボランアで賄うことを昨年4月、私は現地まで出向いて確認して来ました。





 毎年春に東アジアに被害を齎す黄砂。北西部の砂漠を緑化する日中共同事業は、随分前から進められてきたようですが、今では日本の優れた農業技術の貢献もあって、苗木の活着率95%と効率よく、いつか黄河の濁流も有史以来澄む時を迎えることができると、理論的計算はできても、現地に立ってみて日本全土の数倍を緑野にする時間とエネルギーを考えるとき、遥かなる万里の長城を連想せずにはいられませんでした。




 夢かもしれませんが数百年のスパンで測れば、かって万里の長城を築いて、今13億を超える人口は、悲願達成を果たす可能性が無ではないと信じたいものです。
 さて、私事ですがこの10年、私(森本利根)は今、人生の黄金期を生きている。これに増す人生はないという自覚。充実感が横溢しているとでも言いましょうか。

 同時に何の信仰も、力もないのに、こんなに周囲からチヤホヤされて楽しい、いい人生、こんな生きがいに満ち足りた毎日がいつまでも恵まれるはずがないという不安も少しあります。
原因は年齢と老化です。アト3年で90歳。
 ポンコツも仕方ありませんが、アリセプトという薬で辛うじて脳の崩壊を支え、この20年来止むことのない耳鳴り、両足の筋肉痛、痛風、就中、心臓は7年まえ上海の人民医院で収容されて以来3種の薬漬けで、おしなべて現代医学の恩恵で一見、健康そうに生きています。まさに自転車そのもので、走っている間は安定です。
 ビジネスショウで版画に好奇心をそそられてのめりこみ、上海美術館で日中合同展に参加したことから次々と出会いが重なって、ひょんなことから上海の学校で講師をするハメとなり、そのころ中国の師範学校の版画教科書に私の作品が数点掲載され、各地の学校から招かれるようになりました。76歳の時でした。
 





  爾来10年余、学生の真剣なまなざしに励まされ、求められるまま意欲的に働き、80歳までとメドを付けていたのが、それからがさらに多忙になり、昨年は10年目で上海大学を最後に終わりとしましたが、それまでの南京や北京TVなどの紹介で、11月に青島大学で講演を依頼されたことから、私の個展まで企画され、青島日本人学校、日本人会会長や総領事までから青島での美術、日本語、英語の指導者斡旋を頼まれました。
 





  <元、絵画部同窓会風景>2009年12月




  むげに断り切れずに、先日来思いついたのが、まだ若い絵画部のみなさんのことでした。
仕事のスタートはボランテアですが、試しに働いてみようかとお考えの方がおられましたら、私にタッチしてください。
当面の私のスケジュールは下記です。
   




  4月27日(火)大阪南港から貨客船 新鑑真号で上海行き 29日朝上海港着5月01日(土)魯迅記念館で開催の万博記念版画展に参加数日後、青島に移動しマンションを借りて7月まで滞在、夏休み帰国9月はじめ青島行き11月末帰国(3カ月の訪問または観光ビザで行く)以上この数年間に、元絵画部の方が何人か上海の拙宅にお見えになりましたが、仕事までは話が進みませんでした。
 そこで提案です。試しに私達がいる間に青島へ遊びに来てみませんか。5月から借りることになっているマンションは2階の部屋で、150平方米、リビングも広く、床暖房3部屋、バストイレも二つあり、専用で使えます。
 個人でも、ご夫婦でもOKです。拙宅に滞在する限り、宿泊と食事は無償で提供します。そして、何か仕事をしてみるかと気持ちが動いたら紹介します、はじめはボランテアで。
 次第に目の前の世界が開けて世界観が変わり、到る処青山ありと、人生のさらなる輝きを自覚する日が必ず来るでしょう。
それは生きがいとなって実生活の形態に新たな展開と希望が膨らんでくる。これが好奇心と少しの勇気でスターした私の経験です。 
 私の中国での生活は年内で切り上げと決めました。が、これまでの豊かな人脈と、年金が使いきれずに余ってしまう居心地の良い世界は、やはり捨てがたく、来年からは2週間を限度に随時、体力があれば気ままに遊びで出かけることにしました。
 
 それにしても、日本語しかできない私によくぞこれまでの幸運が齎されたものだと、溢れる感謝の気持ちを、今だに神も仏も信仰なるものを持てない私は、この10年でひとのためにちょっと手を貸すと自然はその何倍もの恩賞をくれることを学びました。どこかのだれかにこの喜びを伝え、分かちたく、先ず絵画部の皆様にお誘いする次第です。
気楽にどうぞ。
暮れにパソコンも買いました。メールとやらも少しはなんとか・・・。25日頃までに、よろしく。
Email:tone-ahokusai@tbz.t-com.ne.jp     M.T    2010.04.10

★当時の講師は、国画会の松田正平先生でした。私は(町田譽曽彦)4年ほど石膏デッサン、
人体・静物の油絵などの指導アドバイスを受けました。千葉の松田先生のアトリエにも遊びに
行くなどしました。
 とても、ユーモアがあり「絵の心」の指導受け、その後の楽しい絵を描くことができました。
高崎カルチャーセンター www.culture.gr.jp/takasaki/
(アルベルト譽)