盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

人生

2007-01-30 06:50:13 | 個展・グループ展
去る、1月28日98歳の誕生日を迎えた父がこの世を去った。故、町田六郎は明治42年生まれ、群馬の世良田平塚にずーと住み、皆々様のご厚情を賜ってまいりました。
終戦後の食糧難の時代に、6人の子供を母と祖母中心にして一緒に育ててくれました。
当時は、貧乏な生活で世良田小学校・中学校の教科書などは兄の本を貰い授業をうけました。
(すでに改訂版)兄の教科書を読んだときなどクラスの者から笑われ恥ずかしい思いをした記憶が何度もありました。朝の家の仕事をしてから学校へ、、、(ほとんど、遅刻)
小学校・中学校通信簿は、いつも5段階評価(1・2・3のどれか)でした。しかし、不思議に体育と図画工作だけは5の評価でした。

<第20回記念>町田譽曽彦油絵展  東京・三越にて(2000年5月)

学生服もまたしかり、本家と新宅が判らぬような「敷きしがあたり」ぼろぼろな学生服でした。(若い人には理解されません)
今、思うと父は想像もつかぬ大変だったと思います。「到底まねの出来ない凄い事をやって子供を育ててくれた」のだと思います。

しかし、いつもニコニコ笑って家族や近所の人に接してたのが印象に残っています。
そして、特に「礼儀・挨拶」は、馬鹿がつくほど几帳面でした。

きっと、そんなところが6人の子供達に伝わりいまでも続いているのだと思います。
「戦後の貧しい家庭生活の中で貴重なことを子供に教えくれたのだと思うと感謝の気持で涙がでてきます。

いつまでも生きててくれ「オヤジ」と叫んでみたくなるときもあるかも知れません。
父は、昨年10月末ごろから体調を崩して「鶴谷病院」お世話になり28日に息を引き取り永遠の別れとなりました。


鶴谷病院の看護をしてくださいましたナースの方は「明治生まれの人は、心臓が強く昭和生まれの人よりも長生きしているとか、、、」

あと一歩、100歳、まで生きてほしかったと思いますが、これも天命でございましょう。
親爺は頑固なところがあり、皆さまにご迷惑をおかけしたことも多かったかと思われますが、改めて生前賜りました皆さまからのご厚誼に深く感謝を申し上げます。
どうぞ、今後とも宜しくご指導を賜りますようお願いいたします。