輝ちゃんつれづれに 

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日航機事故から33年

2018年08月12日 03時04分41秒 | ことば

あの事故から33年

全国定時制通信制高校軟式庭球大会が終わり疲れ切って甲州街道を運転している時だった。事故が起きたのは午後6時56分だという。新宿近辺だった。場所が上野村と聞いてびっくり。なぜびっくり?当時、東電学園の軟式庭球部の練習を見ていた。春合宿で生徒の故郷(全寮制)のことを聞いていた。一番近くて一番遠いのは1年生の井本だよという。それはどこなんだと聞いたら、「上野村」と答えた。何県?「群馬県」。そんな不便のところに墜落したんだ。

33年前の1985年8月12日、日本航空のジャンボ機が墜落(ついらく)したんだ。羽田から大阪へ向かう途中(とちゅう)、群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根(おね)に墜落し、520人が命を落とした。単独機の事故ではいまも世界最悪の犠牲者(ぎせいしゃ)の数だ。

39歳の時だ

3年連記の手帳が見つかった。昭和60年8月7日から大会役員として御茶ノ水の日本学生会館に通っていた。テニスコートがどこだったのか書いていない。手帳には、「定通大会最終日。天気の状況は決して良くない。でも、なんとか消化しなければ。コート整備で遅れる。必死な形相でなんとか終える。日航機不明!」と書いてある。

3年連記の手帳は東電学園の小田部先生から教えてもらった。天気と食べたものともう一つぐらい加えれば8行日記になるよと。

あれから33年か。人生の辛苦はここから始まった気がする。

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