勉強する機会をいただいた
10月6日(土)、小金井商工会館で福田暁子さんの講演会を行った。盲ろうの立場から「地域で取り残されないための、地域での取り組みを考える」と言うテーマで講演していただきました。ワークショップは、福田さんが困っていることを参加者に投げかけ、①どうしたらいいの?②自分は何ができるのか?
③具体的なアクションプラン(行動計画)は何か? を各班で考え討論しようではないかと。
電気代が高い、遊ぶ友達が欲しい、買い物をしたい。自分が自由に行動したい、ヘルパーがいない、話したい人が通訳申請できない。
障害者について学びたいため馬場ひろこさんにメッセージを送った。毎回、大変示唆に富む言葉を頂く。みなさんにぜひ読んで欲しい。
(松本輝一から馬場さんへ)盲ろうの福田暁子さんの講演会を終えることができました。口では障害者の方との共生社会をと言いますが、会議一つ作るのも大変ですね。彼女は外国生活が長く、話がうまいです。うまく皮肉を入れ、また具体例で困難な課題を教えてくれました。手話通訳者、生活介護者、手話通訳者の方の応援があってできました。彼女はうまいことを言いました。謎の忖度があるようだと。まさに心臓をつかれた感じでした。
(馬場さんから松本輝一へ)障害者と一言では括れないのが、障害の世界です。 「謎の忖度」うまい表現ですね。鋭い言葉です。一般的健康体の方と、なんらかの障害のある方が共生していくには、まずその不具合さを情報として、いかに冷静に聞き取ることができるかだと思うのです。おおよその方は、感情がそこに絡まって、より難しくしてしまう。わたくしも、最近はウンザリすることが多いので、異例中の異例で洗礼に預からせてくださった司祭さまとでさえ、つい先週やりあったばかりです。一般の方々は、私たちとかかわる時、必ず「やってやったのに」「心配してやっているのに」というような、偽善的セリフを平気で言います。それが障害者にとって、どれほどの自由を奪うことになるのか分かっていません。なぜ、シンプルに考えられないのか。「May I help you?」これだけで十分なのですけれど。そこから先、介入したければ、相手の話をまず全面的に聞く姿勢がなくてはいけません。これは、自分が知らない情報を得るという、正に「学びの時間」です。残念ながら、ほとんどの方は、話半分しか聞くことができず、経験ないまま根拠のないメディア情報と、勝手な主観で相手を計り、アドバイス?しようとする。正直言って、障害者本人が一番自分の体を知り、長年付き合った自分の体の特徴を一番よく知っています。 (これは 障害者に限ったことではありませんが) なぜ、そのままを受け入れることができないのか、私の頭では、いつも不思議で仕方ありません。「承認する」「共感する」 これこそがコミュニケーションで、偽善的な発想しかできない方は自由にものを言い、行動しているにも関わらず、他者にはそれを規制し、足枷をしようとする。フェアじゃないですね。人というのは本当に、利己的で弱い動物です。 障害者を通して、自分が何を求められているか、何をすべきか、積極的に、いかにリアルな情報交換、情報収集することが大切かだと思います。障害者問題だけではなく、全ての事柄に通じて、想像だけでは決して、追いつくことはできません。「現場、現状を知ってこそ」です。このような、お互いの情報交換になるような場がもっと増える事を願ってやみません。
馬場さん、情報を福田さんと共有してもいいですか。銭湯に行ってLEO君の散歩を終えたばかりです。夕食を済ませてからメッセージを打ちます。
松本さん、おかえりなさい
どうぞ、役に立つものがあれば 、いくらでも使ってください。
(松本輝一から馬場さんへ)生きていく上で「気づき」が大切ですね。年齢とともに体力は落ちていきますが、気づき情報のアンテナだけは敏感にしておきたいです。福田さんの講演会の開催にあたり多くの方と電話やメールで連絡を取り合いました。申し込みのメールの文章の中で気になったことを見逃さずに前進した点がありました。「ねこ」と言うキーワードでした。「ねこ」を譲ってもらい出張等の時は預かりをする仲という。情報を交換することで繋がりが広がっていきました。逆に、大学准教授といって参加申し込みをした人が私のメールにも音沙汰なし、無断欠席する、その後のメールにも対応なし。未だ肩書き人間が存在したことに驚きと怒りが。Normalizationか。人は人か。
「May I help you?」
「承認する」「共感する」
「現場、現状を知ってこそ」
これらの言葉を胸に刻んで日々を送りたいと思います。自分を必要とする人がいるかいないかを勝手に判断しないで行動すべきなんでしょうね。生きる上でフォロー力が問われるでしょうね。「何かをやった」、「よかった」で終わるのではなく、「どうでしたか」と問うことがはじめの一歩ですね。そこで何かのキーワードが生まれ繋がりができそうです。「どうでしたか」「いかがでしたか」の内容・質が相手の心に入り込まなければ単なる雑音でしょうね。
馬場さんの言葉にはハートがあります。いつも勉強になっています。これからもよろしく。眠くなりました。夜分すいません。
(馬場さんから松本輝一)「気づき」はとても大きいですよね。 感じるか感じないか。この差は天と地もの差があります。そこには賢所な姿勢、柔軟な思考が求められます。私も障害者手帳を取得してから、障害者の奥の深い世界をより実践的に関わりを持ち、勉強できるようになりました。障害者になったことはネガティヴですが、それ以上に「学び」が多いことに感謝しています。「ねこ」以前に そのような隠語?は耳にしたことがあります。言葉遊びのようで、当事者からするといい気分にはならないですよね。本当に悲しいです。こういう表現もまた、障害者の「生きづらさ」を生むということが 健康な方には分からない。 以前、お話しした「ありのままで生きて行こう」のコミュニティの管理人である上田要さん(重度の脳性麻痺)は、今でさえ全国で当たり前になっている「ノンステップバス」をオランダから導入提案して視察など、その取り組みの中心で活躍されました。障害者から、社会に発信して、一般社会に大いなる助けとなっている事例の一つです。彼の積極的な活動によって、今、障害者だけでなく、お年寄り、たまたま具合の悪い方、荷物が多い方に、当たり前に役に立っています。このことが障害者の提案によって導入されていることを知る一般人はまずいないでしょう。また、彼は早くから世田谷という土地で「共生」という言葉を根付かせました。彼のところには、今なお若い障害者、健常者問わず、集まります。日々、お互いがどうすれば、「気持ちよく生きていけるのか」を、ずっと考えています。わたしは、このことを決して忘れません。何事も勉強なのですよね。。。