何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

iだよ愛 ②

2020-04-04 23:58:11 | 
時間マジックを使ったワンコの日のお告げ本の感想から、
ずいぶん時間がたってしまったよ
来る日も来る日もくそ忙しく、
もうね、こっちがぶっ倒れる寸前だよ
そんな時にワンコがお告げしてくれた本のタイトルが秀逸なので、
それについては是非感想を記しておきたいけれど、
まずは、
今年初めからワンコがお告げしてくれていた本の感想を書いておかないとね
 
ワンコが一月から二月にかけてお告げしてくれた本は、
今さかんに云われている’’医療崩壊’’について書かれているものばかりだったよね
医療崩壊の原因を、どの本も同じ理由だとしているから、
現場の正直な認識なのだと思うけれど、
なんだかね
 
<新型ウイルス治療、80歳以上は切り捨て? 医療崩壊危機のイタリア>3/20(金) 9:57配信The Telegraph 
新型コロナウィルス対応で病床不足がこれ以上深刻化すれば、80歳以上の患者や元から健康状態が悪い患者には集中治療を受けさせないーイタリア北部ピエモンテ州トリノの危機管理チームが作成した治療の実施要綱案を英紙テレグラフが入手した、医師らは集中治療を受けられない患者を事実上、死なせることになるのではないかと危惧している。
 
ワンコが今年初めから二月半ばにかけてお告げしてくれた本は、
医療崩壊の危機を訴える本だよね
 
「勿忘草の咲く町で 安曇野診療記」(夏川草介)
 
「神様のカルテ」「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬」と書いている夏川氏が、高齢者への手厚い医療を原因に医療崩壊の危機を感じているとしたら、もう救いがないのではないかと思い、暗澹たる気持ちでいたんだよ。
 
本の帯より引用
たとえ命を伸ばせなくても、人間にはまだ、できることがある。看護師の月岡美琴は松本市郊外にある梓川病院に勤めて3年目になる。この小規模病院は、高齢の患者が多い。 特に内科病棟は、半ば高齢者の介護施設のような状態だった。その内科へ、外科での研修期間を終えた研修医・桂正太郎がやってきた。くたびれた風貌、実家が花屋で花に詳しい──どこかつかみどころがないその研修医は、しかし患者に対して真摯に向き合い、まだ不慣れながらも懸命に診療をこなしていた。ある日、美琴は桂と共に、膵癌を患っていた長坂さんを看取る。妻子を遺して亡くなった長坂さんを思い「神様というのは、ひどいものです」と静かに気持ちを吐露する桂。一方で、誤嚥性肺炎で入院している88歳の新村さんの生きる姿に希望も見出す。患者の数だけある生と死の在り方に悩みながらも、まっすぐに歩みを進める2人。きれいごとでは済まされない、高齢者医療の現実を描き出した、感動の医療小説!
 
 
信州の病院を舞台にした本書の表紙の絵はね、上高地をイメージしたような感じだから、
ワンコのお告げ度が強いのだと思い心して読んだのだけど、
重かったね
 
新人研修医は、命は地球より重い、どの命もすべて平等に最善の努力でもってあたるべき、と思うのだけど、
現実はそんなものじゃないんだね
 
改善する見込みがない高齢者の積極的処置を打ち切り、早期の看取りにもっていくことに一切の躊躇いをもたないが故に、死神という通し名がついた谷崎医師。
自らについた死神という通し名を受け入れ、粛々と看取りをする姿勢に、主人公の一年目研修医の桂が異論を唱えた時の、死神の言葉は、重い。(『 』「勿忘草の咲く町で」より)
 
『あなたの言うことは正論です』
『けれども正論だけではうまくいかないことが世の中にはたくさんある。特に医療の領域はね。理想と正論ばかりが溢れて、誰も現実を見ようとしない』
『私(谷崎)が医者になったころはね、医療というのは、どんな患者にも全力を尽くすことが当たり前でした。人の命は地球より重い、そんなご立派なスローガンを掲げて、誰もが脇目も振らず疾走していたんです。でももうそういう時代ではないんですよ』
『我々はもう、溢れかえった高齢者たちを支えきれなくなっている。人的にも経済的にもね。二十年前と同じことを続けていれば、医療という大樹は、やがて根腐れを起こして倒れてしまうでしょう。倒れた大樹の下敷きになるのは、今懸命に高齢者を支えている若者たちです。彼ら次の世代の医療を守るためにも、枝葉を切り捨てていかねばいけない時代だ』
 
死神が この信念に行き着いた辛く重く厳しい経緯を書かなければ、「死神の信念もむべなるかな」と思ってしまう理由は伝わらないが、考えさせられるものだけに、出版から間もない本のその部分を記載するのは、控えるべきだと思う。
 
ただ、花を愛するヒューマニストの主人公が、唯々諾々と死神の信念を受け入れるというのではなく、花や自然の姿から、自分なりの答えを導くところが、本書の読ませるところでもあり、考えさせられるところである。
 
結論からいえば、小さな命にも心を留める主人公も、医療崩壊を食い止めるためには、トリアージにも似た判断を日々しなければならないことを、受け入れる。
 
そのトリアージの基準が、考えようによっては、あるいは読む人の立場によっては、画一的に高齢者に黒タグをつける死神よりも、厳しいのだ。
 
この主人公のヒューマニスト研修医。
95歳の胆管結石の女性に、かなり難しく危険なERCP(内視鏡的内視鏡的逆行性胆管膵管造影)をしようと考える一方で、86歳の誤嚥性肺炎の男性には胃瘻をせず看取りを勧める。
 
95歳の女性は命の危険がある極度の痛みをともなう状態でも、意思が明瞭で会話が成立し、かつ家族がその女性に寄り添う姿勢をみせている、だが86歳の男性は認知症で会話はまったく成立せず、一日中 同じ姿勢で眠り涎をぬぐうこともせず、かつ唯一の家族の孫夫婦は「できることは全部してください、それで良くなったら、また老人施設へ戻して下さい、忙しいのでこの程度のことで呼び出さないでください」という。
 
そんな二人の患者とその家族をみて、主人公・新人医師は、カタクリの花を引き合いにだし、「根が切れてしまっている」かどうかが、延命するか看取りにもっていくかのラインだと思う。
 
小さい割には深く根をはるカタクリは、生まれた土地では十年でも五十年でも咲き続けるが、下手に育った土地から掘り起こすと、大事な根が切れて、すぐに枯れてしまうという
『根の切れた花は枯れるのである。
 枯れかけた花をもう少しだけ生かすことは不可能ではないかもしれないが、
 きっと花自身も苦しいに違いない』
 
このあたりの深い内容については、もう少しつっこんだ内容も書かれているが、出版から間もないこともあるし、かなりキツイことも含んでいるので、記載するのは躊躇われる。
 
根が切れているか?
患者本人の問題と、患者と家族の問題と、突きつけてくる問題は非常に重い。
 
ただ、同じ黒タグ基準は、別の本でも示されている。
 
「泣くな研修医」(中山祐二郎)
 
本書も作者は医師なので、ワンコがお告げしてくれた時には、おぉ新たな医師兼作家さんが世に出たのだな、と喜んだのだが、本書が示す現実も厳しかった。
本書の主人公もまだ手垢のつかない新人研修医。
主人公はその生い立ちから、患者のためなら自分の寝食すべて投げ出しても医療にあたるという熱血漢ゆえに、死神同様の判断をする先輩医師に猛烈な反発を覚えるのだが、致し方ない現実を目の当たりにする。
 
『独居で家族もいない生活保護(セイホ)。認認知症でコミュニケーションも取れない。そして肝硬変にこの超高齢です。BSCを考えております。』『うん、仕方ないよね』と淡々と対応を決めていく先輩医師に、
『ーBSCって、Best Supportive Careだろ?手術(オペ)も何も、がんの治療はやらないってことだろう?手術で取り切れるのに?』と反発を覚えるが、淡々と黒タグをつけているように見えていた先輩医師が、その裏でどれほど患者さんのために粉骨砕身頑張っているかを目の当たりにし、自分の生っちょろさに愕然とするのだ。
 
若く正義感とエネルギーに満ち溢れた時を過ぎても、救える命は救いたいと最前線で体をはって医療に従事する先輩医師たち。
 
「勿忘草の咲く町で」「泣くな研修医」で、そんな医師たちの姿を読むと、別の本の言葉が心に突き刺さってくる。
 
『真面目とはね、真剣勝負の意味だよ』「新章 神様のカルテ」(夏川草介)より)
『先生のそれは、真剣勝負の発言ですか?』
 
いや、もうね、この言葉を現下の状況で言ってやりたいところは五万とある。
 
それについては、又つづくかもしれない。

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