受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

三ツ柏

2006年04月22日 | Weblog
向拝虹梁の上にある蟇股(かえるまた)を取り付けました。
長年埃を被っていましたが、洗われてすっかりきれいになっています。

この紋は大河ドラマ「功名が辻」で有名になった土佐藩々主山内家の三ツ柏紋。

受法寺には本堂建築年代を記した棟札などなく、いつ頃建てられたかが不明ですが、この紋があることによって、藩政時代と推測されます。

三つ柏を本堂に使用いているのは、安芸市真慶寺や春野町弘願寺があります。

なぜ宗教施設の本堂に権力者の紋を使ったのか、興味のわくところです。

向拝柱

2006年04月22日 | Weblog
本堂正面の向拝部分木組みを、設置しました。

ここは傷みの烈しいものの歴史のある彫刻もあり、支持力を失っていないので、既存材を使用します。

写真は、向拝柱ですが11月12日の記事に補修前の柱があります。
傷んだ部分を削り、新たに木を埋めて、見違えるほどになっています。

棟木

2006年04月20日 | Weblog
指棟木、棟の頂部にある野棟木を納めました。

地表から、ほぼ10mの高さです。

無事に工事が進んでいることの祝福と、仏様に感謝する上棟式は、もう少し先に行われます。

鳥居梁

2006年04月20日 | Weblog
指母屋(棟木に平行に取付け、垂木を支持する水平部材)の上に、交差する鳥居梁が載りました。

あらかじめ加工された部材には、それが使われるか1~17、い~をまでの記号と名称が記されています。
現場に来ても、すぐにどこに取り付けるかが分かります。

その中に、鳥居梁がありました。

寺院建築なのに鳥居とはと思っていましたが、指母屋の上に6本取り付けられた鳥居梁を横からみると、なるほど鳥居の形をしていました。

水平に

2006年04月19日 | Weblog
小屋束に水平に貫が通り、上に指母屋(さしもや)と三重梁が載りました。

この後ブルーシートを被せましたので、大きな青いドームが出現しました。

夕刻にまた雨が降りましたが、漏っていません。

今日一日で、外見の上で大きく変化しています。

小屋束

2006年04月19日 | Weblog

梁の上に、柱のように見える小屋束が上がりました。
小屋束は天井と屋根の間にある小屋組の部材で、屋根を支え風や地震の揺れを受け、柱や梁に伝えます。

小屋組について、寺院建築の和建築と洋建築の違いについて、本願寺御影堂の修復工事の報告の中に、イラスト入りでわかりやすく記されています。

http://www.hongwanji.or.jp/goeidou/gos_dayori/dayori53.htm


本願寺御影堂では、2/3が小屋組となっていますが、受法寺では10mほどの建物(棟端瓦の先までは11m)の内、ほぼ1/2が小屋組になっています。

 


 

 


十文字に

2006年04月19日 | Weblog
朝の1時間ほど雨を待って、作業が始まりました。

建物の前後の投掛梁の上に、十文字になるように梁を交差させていきます。
旧本堂に比べて、この部分で3~4倍ほどの本数を使い、大きさも十分にあるしっかりとしたものです。
自然の曲線を生かして、あらかじめ木を加工してあり、組み合わせていきます。
地震に対しても、大きく揺らぐことなく建物を支えます。

今はクレーンで運べますが、昔の大きな寺院建築では、どんなにか大変な作業だったでしょう。

梁(はり)

2006年04月18日 | Weblog
内陣柱の上の敷梁、その上の投掛梁、厨房と板の間の登梁の上の軒桁が載りました。

梁は柱の横に寝ているもので、垂直に立っている柱を支える為に水平に木を噛ませます。

内陣柱の高さが異なっているので、なぜかなと思いましたが、梁の自然の曲線に合わせているとの事。

梁は柱に比べて大きく迫力があり、骨組みだけですが建物がどっしりと印象となりました。

梁は一度須崎で木を加工し、寿製材所に預かっていたものが運ばれました。

化粧丸桁

2006年04月18日 | Weblog
本堂正面の化粧丸桁を、外陣の柱の上に載せました。

10m近くあり1本のように見えますが、3本の材木を継いでいます。

本堂外周の柱に桁が載りましたので、部屋の大きさが2次元から3次元へと、大きさが分かるようようになりました。