『仏壇と言う物、創始以来先祖代々よりの御本尊仏様を敬い奉る物、檀信徒各位、仏法を学ぶ所、自己研鑽する所。
御本尊に手を合わせ、読経三昧座禅三昧宝号三昧、真言観誦、仏心を整え鍛え練り上げ行い修める稽古場行場道場なり。
その功徳、心の垢落とし癒し再生し向上とする。
恭しく合掌礼拝し読経三昧座禅三昧に入る事により、心より祈り念じ信じ誓う気持ち養い育む稽古場行場道場と成る。
一つ目、気持ちとは、御本尊、祖師、祖霊の御蔭様を感謝する仏道を歩む事。
二つ目、気持ちとは、御本尊、祖師、祖霊の御蔭様にて希望を善く保つ仏道を歩む事。
三つ目、気持ちとは、御本尊、祖師、祖霊の御蔭様にて家族一族絆を深める仏道を歩む事。
四つ目、気持ちとは、御本尊、祖師、祖霊の御蔭様にて家族一族最後の一線を善く保つ仏道を歩む事。
五つ目、気持ちとは、御本尊、祖師、祖霊の御蔭様にて天地自然万物万霊、世間衆生に感謝する気持ちを強め高め深め広める仏道を歩む事。
ありとあらゆる諸難諸悪諸病邪魔物一切に見舞われ付き纏われ遭遇した時、勝負時、転機の時、変わり目の時、怒らず落ち込まず乱されず迷わず憑かれず根に持たず、冷静冷徹、智慧と慈悲を善く保ち、善身善口善意を以って、其時其場其先の真の理を解き明かし悟りへと近付き堂々巡りの汚泥より脱け出る白蓮華咲かせ仏道と成り徃く。
是、即ち仏壇の功徳なり、仏壇の功徳とは仏の功徳なり、仏の功徳とは己の仏心の事なり。心の時代を共に生き共に栄え共に和み共に歩む仏道に目覚める所なり。 仏壇位牌無くば己の眼前にて御水一杯供え合掌礼拝する事より始めるも又善き事なり。
世間虚仮、 唯仏是真。
世間は虚仮のみ、唯仏のみ是れ真なり。
州堂 合掌。』
※世間虚仮~「セケンコケ、ユイブツゼシン」
〈戯言〉
仏壇の役目としては、先祖供養が思い浮かぶが、それだけではない。
〈供養は感謝であり、祈願は希望である!〉
家族を守り繁栄させるコンパクトな本堂としてのコンセプトで伝統技術による様式美にて造られインスタレーションされているオブジェが仏壇で、礼拝者はパフォーマーである。(アート系の方への説明としてはこうなる。)
スポーツならば、ドームが神社・寺の本山、ドームのスポンサー看板は有力な氏子・信徒である。ファンクラブは公式な氏子会・世話人会で、それぞれの応援団は講である。スポーツバーは末寺である。
家での観戦は、仏壇の前での礼拝になる。
毎日の仏壇での礼拝は、感謝と希望の気持ち創りであり、人生山あり谷ありの中でも、初志貫徹!希望目標課題達成!の気持を保つ所である。
気持ちを保つと言う点では、神棚も同じである。
南無