堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

〈七月の御心言〉 ※毎月一回〈今月の御心言〉というものをメール配信したりもしています。げん担ぎ...

2010-06-30 16:54:04 | 日記
富良野もジリジリとした暑さを感じる事もある季節になりました。七月の御心言です。御参照下さいませ。(げん担ぎ、景気づけの時に〈御心言〉を何遍か唱えたり読んだりしてる人もいるそうです。)              
『大日の御法万物に通ず!千変万化!様々に姿を顕す。
         時と場合、即座に一律同調、杓子定規定石通りを捨てる。         
成功に始まり、成興、成幸、成貢、成公、成孝、成光と成る。

善根微動だにせず、内外迷い縛り上げ絡め取り一刀両断し焼き尽くし、手元足元盤石に押さえ込み、一体全体を観る。

成就、想いの大中小強弱高低深浅広狭長短に応じ叶うものなり。』

〈意訳〉
大日如来とは過去現在未来を通して天地自然、生きとし生ける物など全てを含んだ存在である。その力は全てに及んでいる。(一体全体、一即他⇔他即一、ワンフォーオール⇔オールフォーワン、一つに宇宙が在る⇔宇宙に一つが在る、が大日如来であり、マンダラはその関係を平面図にて説明しています。一体に偏らず全体に偏らずとも言えますね。密教寺院では大日如来信仰一つに絞らず、金・胎二つのマンダラを奉り各寺院の本尊が違いますね。)
         物・事・人・自然の状況に応じて、型に囚われず執着せず、
考え行動しなくてはならない時もある。

まずは己身内仲間内の中での功名に始まり、興隆繁栄し幸福感へ、次に周囲地域に貢献を考え利益が公共の物に姿を変え全体への孝行に実を結び、光明と成る。

十善戒を通した身(行い)・口(言葉)・意(心)は、悪業の数々に動かず、己の中に生じても、身内仲間内その他外部に現れても染まることなく断絶し切替、己自身や周りを固め希望目標課題達成に着手する。

希望目標課題を達成するには、日々朝晩と想いを大きく強く高く深く広く長く保ち続けることが肝要である。

※意訳の一つです。様々な解釈もまたありです。

南無

我は是の如く語りき!

2010-06-29 13:23:29 | 日記
『更なる苦しみに、愛するものと別れ離れる苦しみ、怨み憎むものと会う苦しみ、求め得れぬ苦しみ、心身が在るゆえの苦しみ在り。是の苦しみ己次第、物事人次第、天地自然次第、振り回され掻き乱され、術を間違い道に迷い、立ち尽くし座り込み、一切皆に苦しみ全てを見失う。

冷静冷徹寛容寛大を以って、一喜一憂せず一長一短一体全体を測り観て、善く歩き善く座り善く休み善く寝て
活かし合い共に生き共に栄え共に和む。

州堂 合掌 』

〈戯言〉
人生稼業も楽あり苦あり。

俺と言えば坊さんになる前から不動尊信仰であった。(寺の生まれではない。)

四国遍路にて、札所を巡り、様々な神仏を礼拝祈願し、晴天、曇天、雨天、暴風雨を問わず、合掌礼拝していた中に不動尊が在り、とある三十六不動尊霊場の坊さんに、不動尊ステッカーを頂いたのが御縁であり始まりである。(決して大法力を込められたステッカーではない。普通のステッカーである。)

枕元に御不動さんが、立ってたり座ってたり、命を救われたり、神秘体験があったのがきっかけでは無い、笑。

我は是の如く語りき!

2010-06-26 10:52:10 | 日記
北海道は富良野にて成田山布部不動堂の僧侶として生かさせて頂いている伴 州堂(バン シュドウ)でございます。                      『現在過去未来、常に生老病死在り、生の苦しみ老の苦しみ病の苦しみ死の苦しみ消える事無し。

四苦心身を伴い己身内仲間内恩師上司先輩同窓同僚同志後輩部下弟子に在り、会社団体組織に有り、地元地域地方国に在り、是須らく問答無用の負荷と成る。

然しながら負荷時に適度を測り受け捌き流し応え方返し方使い方により、心太く気を練り上げ肝据わらせ筋繊維太くし、心身の切替柔らかく素早くし持久力瞬発力を高め深め広げ絞り込むものと成る。

州堂 合掌』


〈戯言〉
何の因果か、ジャパニーズハードコア&スラッシュ、ノイズ、その他アバンギャルド系の音楽やアートのシーンにブラブラとツラを出して生きて来たた自分が、坊さんの家の生まれでも無い自分が、身内のいない土地にて御坊さんをしている。