堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

御縁

2010-07-07 13:14:24 | 日記
『無明行識名色六処触受愛取有生老死。
         縁起の理法、無明に始まり老死で終わる。                 全てあらゆる物事は必ず因縁有り結果成果の果実を生ず。
様々色々から成る縁を巡り肉体生命を此世に顕し、老死に至る。
         
苦界、苦情苦心苦悩苦悶苦痛苦労苦汁苦杯苦境苦学苦闘苦難苦しみの因縁を取り除く道を探し徃く、理を解き廻る輪を外す、脱け出す、断ち切る、解放される、悟りへと至る。

霊としての命、肉体としての生命を結ぶ
因果の関係、十二縁起として示される。

無明、過去世の無始の煩悩、進化の法則に気付かぬ学ばぬ目覚めぬ無知を指す。

行、自らの覚醒の為確かな感覚を求める志向作用、物質世界へ動き出し、生命現象の形と成る力を持つ。

識、自らの意識を物質世界へと繋げる識別作用と成る。

名色、魂を包み込む精神現象と物質現象が心と肉体と言う形と成る。

六処、眼耳鼻舌身意、感覚機能、成長の階段を昇る。

触、感覚器官成長したならば、現世現実世俗世間、対象との接触が開始される。

受、関わり触れ合う中に快不快を受け感じ味わい始める。

愛、渇愛、快と苦を繰り返す中、快楽をひたすらに望み欲する事に目覚める。

取、何処までも欲望満足せず、我執強く成り、頑固、固執、執着、心身に着座する。

有、業が形、造られ塊、生存と成る。

生、肉体生命生まれる現象と成る事。

老死、心身共に老いさらばえて死ぬ現象の事。

無明が解消されぬ限り、生死を巡る苦を土台とする肉体生命現象は、終わり無く絶え間無く果てし無く続く。

重々至極、大切要柱中心重心と成る仏の法。
道を歩み、学び気付き目を覚まし、此世に生きる智慧と成る。

無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭い遇うこと難し、我れ今見聞し受持することを得たり、願わくは如来の真実義を解せんことを。              州堂 合掌 』

※無明、行~〈ムミョウ、ギョウ、シキ、ミョウシキ、ロクショ、ソク、ジュ、アイ、シュ、ウ、ショウ、ロウシ


〈戯言〉

最近、蝉の鳴く声が減った。
直にキリギリスの交響曲公演開始だろう。

裏の草原に蜻蛉が出る。
         初夏に蝉、蜻蛉の飛来に夏が勢いを上げ草木萌え、キリギリスの合掌が夏の暑さを倍増し、街灯のクワガタ、カブト、ゲンゴロウ、ガムシで夏休みを知る。

雨ともなれば、蛙がそこかしこで、騒ぎ立て、この雨は最早冷たくないことを教えてくれる。

もう夏だ!速いな!
ところで、ギリヤークさんと言えば俺くらいの世代にしてみると、生きる伝説の一人である。

俺が四十二歳だが、残念ながらギリギリ生で、中央のアングラ文化創世紀を体験出来なかった世代とも言える。(自分より、三つ五つ上の世代は少ないが体験者がいる。)

もっとも、より殺伐とし緊張感漂う八十年代のアンダーグラウンド&アバンギャルドな音楽シーンに身を置いていたので、後悔不満足は無い。

それにしても、 あの生々しい空気を、来年も味わいたいものである。

南無