堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

関わらず乱されず迷わず憑かれず!

2010-07-01 20:57:53 | 日記
『仏の道を歩む順路に三宝印在り、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静に向かい悟りの境地に至る事を心掛け、第一は現実の物事形行い全て常に流動変化し一瞬も滞る事無しに目を覚ます、第二は一切事物現象は全て因縁により生滅しあらゆる存在に我は無く互いに助け合い支え合い存在する事に目を覚ます、第三は一切の煩悩から離れ苦悶無き静かで穏やかな心に辿り着く事に目を覚ます。
安心立命の境地を常に求め道を歩めば智慧の彼岸へと至る。 州堂 合掌 』              
〈戯言〉

さて、北の大地で祈願寺の坊さんをしていると、様々なことが起きる。つい、先日、うちの御堂でお参りしている学生さんが、農業についての弁論大会とかで、全国大会に出ることが決まったそうである。祈願寺の面目躍如である。

前も女子高生が別の大会で全国大会に出場したが嬉しい限りである。

俺が教えた事と言えば『神様仏様御先祖様に感謝し毎日希望を建て祈る事!何をしたら?どうしたら?希望目標課題達成出来るか?日々考える事。』である。

最近、御堂の入口に鰐口がついた。鰐口は四国八十八ヶ所の寺では本堂入口にぶら下がっているポピュラーな鐘だが、北海道は祈願寺があまり無いので見ることは少ない。

この鰐口もまた『御不動さんに手を合わせ祈願を具体的に唱えてたら、この不景気に事業がうまくいきましたんで、鰐口を寄付させて下さい。』と。

本州においても、特に祈願寺は、人生が〈善く成った〉信者さんが景観を創っていくことになるのである。(こうして、祭が立派に成るわけですな。)
          本州の寺に石仏やお堂や石碑や幟や幕が多いのはそのためである。(北海道では葬式寺が多いので、修理改修が中心である。)

南無

※開運招福祈願、御相談事は、北海道富良野市布部石綿・成田山布部不動堂まで。電話0167-22-3328(FAX同じ)

慌てず焦らず諦めず!

2010-07-01 03:05:12 | 日記
『生きる事は尽きぬ苦しみなり、苦しみの起源、煩悩貪嗔痴に在り、至る所喜び見出す渇愛の事、欲愛、有愛、無有愛の三つ在り、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲の五欲、生存欲、生離欲の事。苦しみ束縛消滅の真実、渇愛断念、見惑修惑、理論的迷い習慣的迷い、滅し捨て去り執着せぬ事なり。
苦しみの滅に至る中道、八つの正しき道から成る。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定在り。正しく見て思い話し行い生きて努力し反省し心を定める是仏の道なり。

州堂 合掌 』

〈戯言〉

『堂蓮記』は、自分自身(バン シュドウ)が、仏法について学んでいることを口に唱えやすく、頭で分かりやすくしたものである。

自慢にはならないが、中々の不器用大馬鹿者捻くれ者の自分だからである。(正に大愚露天!)

特に若い頃より、世間から見たら異端文学系を読み耽った影響は大であった。(笑)

例えば海外ならば、ボードレール、ランボー、ビヨン、ロートレアモン、ベルトラン、リラダン、ルーセル、ヘルダーリン、バル、バシェ、アンダスン、ブコウスキー、ジーター、エルロイその他。

日本ならば高橋新吉、金子光晴、辻閏、中原中也、牧野虚太郎、牧野信一、夢野久作、葛西善蔵、梶井基次郎、西東三鬼、放哉、山頭火その他。

この辺の詩人・作家連は、俺の二十代の人格形成に一役買ったのであった。

詳しい事は一つ二つと少しずつ語ろう。

南無