♪春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た ♪春が来た
「コヒガンザクラ(小彼岸桜)」 バラ科 ☆3月14日の誕生花☆
花言葉… 心の平安・独立・精神的な美・私を忘れないで

今朝の最低気温は午前3時の6.9℃。 最高気温は午後3時の18.1℃。
終日快晴でした。 数日前予報された20℃には届きませんでしたが、4月下旬、
ゴールデンウィーク頃の気温だそうです。 ポカポカ陽気を通り越して汗ばむ陽気でした。
母をデイケアに送り出し、9時過ぎに散歩に出ました。
9時の気温は10℃を越え11.6℃でした。 一気に暖かくなりましたねぇ。
暑いとまでは言いませんが、中間の程良い気温は無いのでしょうか。
雲一つ無い快晴ですが、景色が何となく霞んで見えます。
春霞なら良いのですが、最近はつい、PM2.5だとか黄砂だとかを勘ぐってしまいます(汗。
このところの暖かさで一気花々が咲き始めました。 またアップするのが間に合わない
季節になりました。 “もっとゆっくり、一つずつ咲いてよ” と言いたくなります(笑。
2枚の長袖Tシャツと半袖Tシャツ、ウインドブレーカーを羽織って出掛けたのですが、
今日は上着を腰巻にするだけではまだ暑く、長袖Tシャツも1枚脱ぎました。
休憩するベンチも日陰を探して… です(笑。

蜻蛉池公園で… 陽気に誘われ、小さなお子さんを連れたお母さんたちも沢山
訪れていました。 子供が岸からパン屑を投げ始めると、カモたちがわんさか
寄って来て先を争って飛びつきます。 長閑な春の光景でした。



蜻蛉池公園で満開を迎えている 「コヒガンザクラ(小彼岸桜)」 です。
10日位前からここに来ては満開の時期を、そして晴天の日を待っていたのです。
桜はお天気の良い日に撮りたいですからね。



“染井吉野”より少しピンクが濃く、いわゆる桜色をしていますね。
“マメザクラ” と “エドヒガン” と云う桜の自然交配で誕生したと云われています。
早咲きで、お彼岸前に咲き始めることから 「小彼岸桜」 の名が付いたそうです。
その名の通り、明日は彼岸の入り。 きっちり咲く時期を合わせて来ますね(笑。
「小彼岸桜」 との表示が有りましたが、濃い色と薄い色の花が咲いていますね。
どちらも 「小彼岸桜」 なのでしょうか、良く分かりません(汗。
------------------------------------------------------------------------------------
Mさんの思い出…
宮島口の近くに住んで居られるMさんからカキ(牡蛎)が2kg送られて来ました。
Mさんのご主人は私より4つ年上で、大竹に工場が有った時の職場の先輩です。
そして社宅も上下に住んでいました。 Mさんの趣味はサツキの盆栽と魚釣り。
植物好きの私はすぐにMさんと親しくなり、サツキの手ほどきを受ける事に…。
Mさんは傍らに焼酎を置き、チビチビやりながらサツキに針金を掛けて行くのです。
有名なサツキ盆栽の師匠に弟子入りし、近くでサツキの盆栽店を開いている主人を
「この人(Mさん)の針金掛けは美しい」 と唸らせるほどの腕前でした。
私はMさんと親しくなる前は1滴のお酒も飲めなかったのです。
それがMさんにサツキの手ほどきを受けながら… お酒の手ほどきも… (汗。
当時私は小さなモーターボートを持っていたので、良く一緒に釣りも行ったものです。
Mさんはその近くに家を新築し、社宅を出ました。 私もMさんのすぐ裏手に土地を
確保して、何年か後に家を建てるつもりでいたのです。
そこに降って湧いた様な大竹工場の閉鎖話。
Mさんは悩んだ末、新築した家を置いて、家族で大阪へ転勤して来たのです。
私も一緒に大阪に転勤し、配属された職場が同じ職場でした(希望した訳では無いのに。
大阪で2度職場を変わりましたが、いずれも同じ職場に配属されました。
まさに腐れ縁です。 当然私より4年早く定年を迎え、置いていたもう新築とは
言えない家に帰られました。
大阪を去る時、 「お前も定年したら必ず帰って来いよ、また一緒に釣りをするぞ。
わしはエンジンを買うから、お前は船を買え」 と言って…。
が、帰られてすぐに身体を壊されて… 懸命にリハビリに励んでおられたのですが…
数年前に…。 今はその家に奥さん一人で住んでおられます。
人生って分からないものですね。
私も定年後は大竹に帰るつもりでいましたが、子供たちがこちらで結婚し、
孫が出来ると… 帰れなくなりました。
すでにMさんちの近くに確保していた土地も手放し、ここが終の住み家となりました。
Mさんの奥さんから立派なカキが届き、夕食にそのカキフライを食べながら、
Mさん夫婦との思い出を妻と語り合った事でした。
------------------------------------------------------------------------------------
「ひげ爺の子供見守り隊日誌」 《5.2km 7,475歩 1時間30分》
今日の見守りは一斉下校で、3時半からの1回のはずでしたが、明日が卒業式で、
その準備のため、1~4年生と6年生は4時間(給食を食べて)で下校。
5年生も明日の準備が済み次第下校、と云う事で、ひげが3時にのこのこ出掛けた時には
もう皆んな帰ったカス(汗。 しょうがねぇなぁと云う事で、付近を散歩して帰りました。
今日の歩数 23,983歩 (花見朝散歩+空振り三振見守り)
3月総歩数 249,936歩=175.0km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 1,165,644歩=816.0km
山に来た 里に来た 野にも来た ♪春が来た
「コヒガンザクラ(小彼岸桜)」 バラ科 ☆3月14日の誕生花☆
花言葉… 心の平安・独立・精神的な美・私を忘れないで

今朝の最低気温は午前3時の6.9℃。 最高気温は午後3時の18.1℃。
終日快晴でした。 数日前予報された20℃には届きませんでしたが、4月下旬、
ゴールデンウィーク頃の気温だそうです。 ポカポカ陽気を通り越して汗ばむ陽気でした。
母をデイケアに送り出し、9時過ぎに散歩に出ました。
9時の気温は10℃を越え11.6℃でした。 一気に暖かくなりましたねぇ。
暑いとまでは言いませんが、中間の程良い気温は無いのでしょうか。
雲一つ無い快晴ですが、景色が何となく霞んで見えます。
春霞なら良いのですが、最近はつい、PM2.5だとか黄砂だとかを勘ぐってしまいます(汗。
このところの暖かさで一気花々が咲き始めました。 またアップするのが間に合わない
季節になりました。 “もっとゆっくり、一つずつ咲いてよ” と言いたくなります(笑。
2枚の長袖Tシャツと半袖Tシャツ、ウインドブレーカーを羽織って出掛けたのですが、
今日は上着を腰巻にするだけではまだ暑く、長袖Tシャツも1枚脱ぎました。
休憩するベンチも日陰を探して… です(笑。

蜻蛉池公園で… 陽気に誘われ、小さなお子さんを連れたお母さんたちも沢山
訪れていました。 子供が岸からパン屑を投げ始めると、カモたちがわんさか
寄って来て先を争って飛びつきます。 長閑な春の光景でした。



蜻蛉池公園で満開を迎えている 「コヒガンザクラ(小彼岸桜)」 です。
10日位前からここに来ては満開の時期を、そして晴天の日を待っていたのです。
桜はお天気の良い日に撮りたいですからね。



“染井吉野”より少しピンクが濃く、いわゆる桜色をしていますね。
“マメザクラ” と “エドヒガン” と云う桜の自然交配で誕生したと云われています。
早咲きで、お彼岸前に咲き始めることから 「小彼岸桜」 の名が付いたそうです。
その名の通り、明日は彼岸の入り。 きっちり咲く時期を合わせて来ますね(笑。
「小彼岸桜」 との表示が有りましたが、濃い色と薄い色の花が咲いていますね。
どちらも 「小彼岸桜」 なのでしょうか、良く分かりません(汗。
------------------------------------------------------------------------------------
Mさんの思い出…
宮島口の近くに住んで居られるMさんからカキ(牡蛎)が2kg送られて来ました。
Mさんのご主人は私より4つ年上で、大竹に工場が有った時の職場の先輩です。
そして社宅も上下に住んでいました。 Mさんの趣味はサツキの盆栽と魚釣り。
植物好きの私はすぐにMさんと親しくなり、サツキの手ほどきを受ける事に…。
Mさんは傍らに焼酎を置き、チビチビやりながらサツキに針金を掛けて行くのです。
有名なサツキ盆栽の師匠に弟子入りし、近くでサツキの盆栽店を開いている主人を
「この人(Mさん)の針金掛けは美しい」 と唸らせるほどの腕前でした。
私はMさんと親しくなる前は1滴のお酒も飲めなかったのです。
それがMさんにサツキの手ほどきを受けながら… お酒の手ほどきも… (汗。
当時私は小さなモーターボートを持っていたので、良く一緒に釣りも行ったものです。
Mさんはその近くに家を新築し、社宅を出ました。 私もMさんのすぐ裏手に土地を
確保して、何年か後に家を建てるつもりでいたのです。
そこに降って湧いた様な大竹工場の閉鎖話。
Mさんは悩んだ末、新築した家を置いて、家族で大阪へ転勤して来たのです。
私も一緒に大阪に転勤し、配属された職場が同じ職場でした(希望した訳では無いのに。
大阪で2度職場を変わりましたが、いずれも同じ職場に配属されました。
まさに腐れ縁です。 当然私より4年早く定年を迎え、置いていたもう新築とは
言えない家に帰られました。
大阪を去る時、 「お前も定年したら必ず帰って来いよ、また一緒に釣りをするぞ。
わしはエンジンを買うから、お前は船を買え」 と言って…。
が、帰られてすぐに身体を壊されて… 懸命にリハビリに励んでおられたのですが…
数年前に…。 今はその家に奥さん一人で住んでおられます。
人生って分からないものですね。
私も定年後は大竹に帰るつもりでいましたが、子供たちがこちらで結婚し、
孫が出来ると… 帰れなくなりました。
すでにMさんちの近くに確保していた土地も手放し、ここが終の住み家となりました。
Mさんの奥さんから立派なカキが届き、夕食にそのカキフライを食べながら、
Mさん夫婦との思い出を妻と語り合った事でした。
------------------------------------------------------------------------------------
「ひげ爺の子供見守り隊日誌」 《5.2km 7,475歩 1時間30分》
今日の見守りは一斉下校で、3時半からの1回のはずでしたが、明日が卒業式で、
その準備のため、1~4年生と6年生は4時間(給食を食べて)で下校。
5年生も明日の準備が済み次第下校、と云う事で、ひげが3時にのこのこ出掛けた時には
もう皆んな帰ったカス(汗。 しょうがねぇなぁと云う事で、付近を散歩して帰りました。
今日の歩数 23,983歩 (花見朝散歩+空振り三振見守り)
3月総歩数 249,936歩=175.0km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 1,165,644歩=816.0km
ひとは皆、そのような思い出の一つや二つ、持っていると思いますが、こうして書き綴ることはなかなかできませんね。
ひげさんの食堂のおばあさんのお話もそうでしたが、語ることでその人がより身近に自分の中にいることがわかるし、何より第3者も、ひげさんと同じような感傷を味わうことができます。文学の世界がそうですね。
一緒にボートに乗って魚釣り?ひげさんが船を持っていたなんて、思ってみなかったですが 若かりし頃のひげさんを想像できました。その頃美髭を生やしていたのですか?
かもさんたちもかわいいですね。
急にこんなに温かくなって、私も上着もつけずにトレーナーだけで街を歩きました。もう日傘が欲しい日差しでした。
よほどの縁でしたね・・そんないい先輩の人にめぐり
あったことが、幸運の始まりでした、残念乍早世されて
しまいましたが・・その後を奥様がこうして懐かしい時間
を作ってくださり、ありがたいことそれも普段のお義理を
きちんと果たしているからこそですね 故人となった
これからも・・奥様とのご交誼を期待したい。
いよいよ桜の登場ですね・・・信州でも一番南の
天龍村で桜が咲き出した・・と聞きました。
我が町でも梅が咲きだしました??昨日確認です。
もうすぐ大阪に追いつきますから・・
>若かりし頃のひげさんを想像できました。
そうですよ、今は見守りのおっちゃんに身をやつしていますが、
あの頃は会社勤めの傍ら、半分漁師をやっていました(笑。
宮島沖でアジやメバルが良く釣れたんですよ。
バケツに3杯も4杯も…むっちゃんは夜遅くまで魚をさばいていました(笑。
今度会った時聞いてみて下さい。
>その頃美髭を生やしていたのですか?
赤ちゃんの娘を抱いた髭面の写真が残っていますから、25~6歳ごろには
もう生やしていました。 その頃の髭は真っ黒で山賊みたいでしたよ(笑。
こちらに転勤して来た時、印象を考えて2~3年剃っていた事が有りますが。
なので子供たちでも髭の無いひげは、あまり記憶に無いと思います。
社会人になってほとんどは髭面です。
今時分、清水の親分になっておられる事でしょう(笑。
私の高校時代の友達で、占い師になった者がいます。
そいつが言うには 「お前は山だ。 植物を大切にしろ。 木が付く
苗字の者とは仲良くしろ」 と(笑。
決して占いを信じた分けでは有りませんが、そのMさんの苗字には
3つ木が有る苗字でした(笑。
大陸的性格のMさん、小心者のひげ、性格は全く違う二人でしたが、
なぜか気が合いました。