生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

人の死の過程

2016年08月15日 00時41分30秒 | 生気論
2016年8月15日-1
人の死の過程

1. 人の死の過程

 鍵語:濃密物質体、エーテル体、生命の糸、意識の糸、意識の三状態(覚醒、レム(夢見)睡眠、深い睡眠)、

1.1. 人は日々死んでいる:意識の焦点と睡眠

 人は、〈わたしは、わたし(というなんらかの存在者の、なんらかの種類と程度での存在性)を意識している〉という、自己意識を持っている(錯覚であるにしろ、そう思っている、と思っている)。この自己意識の同一性の仮定のもとに、意識の三状態が観測される。すなわち、(物質的な)日常世界に暮らしていると意識している覚醒状態と、急速眼球運動 rapid eye movement が見られて覚醒させると夢を見ていたと言うことの多いレム睡眠(REM sleep、逆説睡眠)状態と、脳が活動していないように見えるノンレム的な深い睡眠状態である。
 脳が活動していないときは、自己意識は「死んでいる」と言いなすことができよう。意識の同一性から言えば、日々の眠りのなかの深い睡眠状態では、「死んでいる」わけで、わたしたちは日々「死んでいる」状態で眠っている状態を繰り返しているのである。
 Alice A. Bailey (1934)の『A Treatise on White Magic 白魔術に関する論文』からの、死と意識との関係を述べた箇所は次の通りである。

  「死は、本質的に意識の問題である。われわれは、或る時には物質界で意識し、後の或る時には別の界へと引き揚げて〔撤退して〕そこで活発に意識している。われわれの意識が形態的側面〔様相〕と同一視される限りは、死はわれわれにその古代からの恐怖を抱かせるであろう。
 人々は、毎夜、睡眠時に、物質界に対して死に、どこか他のところで生きていて機能していることを忘れがちである。彼らは、物質体から離れる才をすでに達成したことを忘れている。なぜなら、物質脳の意識のなかへ、意識を失ったことについてとそのすぐ後の活動的な生活の間隔についての記憶を引き戻すことが未だにできないからであり、死と睡眠を関係づけられないのである。死は結局、生命が物質界で働く〔機能する〕なかでの、より長い休止期間にすぎない。 人は、より長い間『外国に行ってしまった』だけである。しかし、毎日の睡眠の過程と時折り死ぬことの過程は同じであるが、一つ違いがある。睡眠では、エネルギーの磁気的糸または流れ(それに沿って生命力 life forceは流れる)は、もとのままに保護されるのである。死においては、生命の糸は破壊されるか折られる。これが起きると、意識的存在者は濃密物質体に復帰することはできず、その身体 body は凝集原理を欠くので、その後に崩壊する。
 魂の目的と意志は、つまり霊的な存在と行ないの決定は、糸の魂 the thread soul、ストラートマ the sutratma,、生命の流れ the life current を、形態におけるそれの表現手段として用いる。この生命の流れは、身体に到達すると二つの流れまたは二つの糸へと分化し、その身体の二つの位置に『錨を降ろす』(このように表現してもよいだろう)。これは、アートマつまり霊の、その二つの反映である魂と身体への分化の象徴である。人を理性的で思考する存在者とする魂つまり意識様相〔側面〕は、この糸の魂の一様相〔側面〕によって脳のなかの『座席』に『錨が降ろされる』。身体のあらゆる原子を活気づけて凝集または統合の原理を設置する生命の他の様相は、心臓に辿り着き〔道を探り〕、そこに焦点が合わせられる、または『錨が降ろされる』。これら二つの点から、霊的人間は装置〔機構 mechanism〕を制御しようと努める。こうして、物質界で機能することが可能になる。そして客観的存在は一時的な表現様態になる。脳に座った魂は、人を自己意識的で自己を指揮する知的な理性的な存在者とする。彼は、自分の生きる世界を様々な程度に知っているが、その程度は、進化地点と結果として装置〔機構〕の発展に依存する。その機構〔装置〕は三重の表現である。まず、ナーディがあり七つの力中心がある。それからそれの3つの区分における神経系がある。すなわち、脳脊髄〔中枢〕神経系、交感神経系、そして末梢神経系である。それから内分泌系があり、それは他の二つの最も濃密な様相または外在化とみなされよう。」
(Alice A. Bailey 1934. A Treatise on White Magic, pp. 494-495)[零試訳20160814]


1.2. 人の死の過程

  「
〔人の〕死の過程は、オカルト的〔隠秘的〕に次の通りである。
 a. 第一段階は、エーテル的乗り物における生命力の、濃密物質体からの退出〔撤退〕と、その結果としての《腐敗への落ち込み》と、そして《その要素たちへ分散される》ことになることである。客観人は次第に消え去り、もはや肉眼によっては見られない。しかし、自分のエーテル体のなかに留まっている。エーテル視力が発達するとき、死についての考えは、大変異なったものに取られるだろう。人がエーテル的物質体のなかで機能していることを、その種族の大部分によって見ることができるとき、濃密体の落下はたんなる《解放》だと考えられるだろう。
 b. 次の段階は、エーテル体または渦巻きからの生命力の退出と、エーテル体の非活性化である。エーテル的渦巻きは、ステラートマまたは織り糸 thread の一面の延長にすぎず、この織り糸は、蜘蛛が織り糸を紡ぐように、原因体 causal body 内のエゴによって紡がれる。その織り糸は、意のままに短くされたり伸ばされたりできる。そしてプララヤ〔非活動〕の時期が決定されたときには、この光の、または太陽の火の(《太陽の》という言葉に注意しなさい)、織り糸は引っ込められ、原子亜界へと戻って集められる。その亜界では、縫い糸は永久原子を活性化して、原因体内に縫い糸を結びつけられた状態を保つだろう。生命衝撃はそれから、物質界に関する限り、原子球内部に集中される。
 c.


( Alice A. Bailey 1934. A Treatice on White Magic, pp. 735-737.)[零試訳20160814]