2011年7月30日-1
プラーナの定義
プラーナとはなんだろうか。ウィキペディアによれば、
「プラーナ、プラナ (〔略〕 prana)とは本来、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉。日本では気息と訳されることが多い。
インド哲学に於いては、同時に人間存在の構成要素の一つである風の元素をも意味している。そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされ、〔略〕
古代ギリシャの類似概念としては、「プシュケー」や「プネウマ」がある。古代中国の「気」も、類似した概念だと言える。
〔略〕ユダヤ教神秘主義(カバラ)やカトリックではこれに対応する概念として、息吹を意味する「ルーハ」があるが、これはプラーナと同じく命・霊・風をも意味し「神から分割された生命の本質」や〔略〕」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A
また、
「気(き)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。
〔略〕気はラテン語 spiritusやギリシア語 pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、あるいはサンスクリット prana(プラーナ)と同じく、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。〔略〕
日本語には気と言う言葉を使う表現がいくつかある。中国哲学の気の概念のうち、物の構成要素、素材としての意味の用法はほとんどなく、「元気」などの生命力、勢いの意味と、気分・意思の用法と、場の状況・雰囲気の意味の用法など、総じて精神面に関する用法が主である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97
とある。
Alice A. Bailey (1950)『Telepathy and the Etheric Vehicle〔遠隔感応とエーテル媒体〔エーテル的乗り物〕〕』によれば、
「Prana might be defined as the life-essense of every plane in the sevenfold area which we call the cosmic phisical plane. It is the LIFE of the planetary Logos, reduced within limits, animating, vivifying and correlating all the seven planes (in reality the seven subplane of the cosmic physical plane) and that is to be found within and upon them.」(Bailey 1950: 154-155.)
「プラーナは、われわれが宇宙物質界と呼ぶ、七重の領域におけるあらゆる界の生命本質であると定義してよいかもしれない。それは、七つの界(実際は、宇宙物質界の七亜界)のすべてを、制限内で低減されているが、生命を与え、活気づけ、相互に関係づけている、惑星ロゴスの大生命である。それ〔=プラーナ、=宇宙物質界の七亜界の生命本質、=惑星ロゴスの制限された大生命〕はまた、七界の内と上に見られるべきものである。」(20110730試訳)。
生命本質 life-essense とは、何だろうか。
上記引用文に続く文では、
<物質界、アストラル界〔星幽界〕、そして低位マインド〔低位心〕は、形態の世界に属する。コーザル体〔原因体、因果体。〕は、低位メンタル界に含まれる。
低位マインドよりも上のメンタル界〔心界〕は、形態が無い〔無形である〕 formless。>
とある。