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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

豚肉からの放射性セシウム検出

2011年08月01日 00時28分34秒 | 生命生物生活哲学
2011年8月1日-1
豚肉からの放射性セシウム検出

 上杉隆氏は言う。

  「そもそも、福島の放射能は、県内の稲わらだけに付着し、肉牛だけを被曝させる特殊なものなのだろうか。」
http://diamond.jp/articles/-/13228?page=2

  「放射性セシウムは肉牛だけを被曝させるわけではない。豚も、鳥も、馬も、鹿も、犬も猫も、その可能性は否定できないのだ。当然それは人間とて例外ではない。また稲わらだけを汚染させるはずもない。野菜や魚、木材や半導体、自動車などすべてを汚染する。」
http://diamond.jp/articles/-/13228?page=4

 その通りである。豚肉のセシウム汚染については、『女性自身』(光文社)が2011年8月9日号の37~40頁で「「熊本産」豚肉からセシウム検出…福島避難区域の豚1万頭はすでに「他県産」に化けて全国の食卓へ!」と題して報じている。
 もっとも、「熊本産」とはならないらしく、訂正の掲載を検討中とのことらしい。

  「「熊本県は28日、雑誌「女性自身」が今月「熊本県産の豚肉から放射性セシウム検出」と伝えたのは事実と異なるとして、発行元の光文社に対し、蒲島郁夫知事名で訂正記事の掲載を求めたことを明らかにした。女性自身編集部は同日「記事には誤解を招く表記があり、訂正を掲載する予定だ」とコメントした。」(産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110729/crm11072911170006-n1.htm

 また、

  「「『熊本産』豚肉からセシウム検出」という事実と異なる見出しが掲載されたとして、熊本県は28日、発行元の光文社(東京)に訂正記事の掲載を文書で申し入れた。〔略〕
   熊本県によると、豚の購入やセシウム検出の事実はあるが、「熊本産」とした見出しに事実誤認があるとしている。日本農林規格(JAS)法は最も飼育期間の長い場所を産地とするよう定めており、福島の約9か月に対し、熊本での飼育期間は約1か月だという。」(2011年7月28日20時04分 読売新聞)。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20110729-OYS1T00222.htm

 この豚の場合、さらに8か月余ほど熊本で飼えば(それほどの期間飼育するのかどうか知らないが)、熊本産になるということのようである。

  「福島県の養豚組合の担当者は、こう説明する。
  「〔略〕
   頭数が膨大な豚は牛と違い、個体識別番号はありませんので、出荷地が生産地になってしまいます。
   たとえば福島県で育った豚でも長野県に移動し、そこで出荷したものは長野県産の豚肉として出荷されます」」(『女性自身』2011年8月9日号、39頁)。

 果たして、個々または集団での豚について、飼育期間を県別に記録しているのだろうか。
 また、「国産」という表示ならば、消費者には識別しようがない。肉は加工されれば、産地表示の義務は無いとも言われる。

 またたとえば、刺身を二点盛りにすると、産地表示の義務が無いらしい。

  「「JAS法上、一種類の刺し身は生鮮食品で、二種盛り以上は加工食品。だから表示が違うんです」と、中国四国農政局消費安全部表示・規格課の担当者。煮ても焼いてもないのに、二種盛り以上は加工食品? どうしてだろう。」
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/435/

 
 さて、放射性物質の摂取は避けたい。検出されたのは、15頭のうちの2頭で、

  或る豚   6.6ベクレル/kg
  別の豚  10.1ベクレル/kg

 国の暫定基準値(500ベクレル/kg)は下回っていたが、出荷は取りやめたとのこと。

 食品業界での産地偽装や内容偽装は、前から何度も摘発されているから、類推して考えると、何がどれくらいどう化けるかは、予想できない。

 食用として解体されて放射性セシウムが検出された豚とは、熊本県内の業者が、(昨年)2010年10月に生まれた福島県産の豚15頭を、繁殖用として6月に購入したものである。
 繁殖用として6月に購入したものが、食用として解体されて、肉が検査され、放射性セシウムが検出されたということらしい。これは、どういうことなのか。
 
 さて、『女性自身』が取材した専門家によれば、豚にやる餌は外国からの配合飼料で、これからの汚染は考えられず、セシウム汚染は、豚が汚染された水を飲んだためらしい。

 
 ところで、どうして政府の対応はお粗末なのか。上杉隆氏の見立ては以下の通り。

  「結局、住民の健康よりも、政府の仕事が優先されるのだ。避難地域を拡大し、行政がパンクすることを恐れるあまり、過少報告を繰り返し、事態を小さく見せようと犯罪的な努力を繰り返しているにすぎない。それがいまの日本の政府とマスコミの実態なのである。」
http://diamond.jp/articles/-/13228?page=4



生気論と機械論の相互変容1

2011年07月31日 12時53分56秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月31日-2
生気論と機械論の相互変容1

 巴陵宣祐『生物學史 下巻』の第五章(86-98頁)は、「ビシャーと彼の組織説」と題されている。

 「十八世紀の初期には生命の問題に関して二つの相対踵する学説が行はれてゐた」(86頁。旧漢字体は新字体に変換した)。その二つとは、「生命現象を純粋に機械学の立場から説明しようとする」機械説と、「生命の真の実在は霊魂の中にありとみなし、肉体的身体はたゞ霊魂のために存在し、また霊魂によつてのみ存在し得るものだと考へ」(86頁)る生気説である。
 スタールの学説は当時の生気説のなかでもその傾向が強いものであった(86頁)。モンプリエ[→モンペリエ] Monpellierの医学校の学者たちが興味を寄せたのは、スタール説の霊魂に関する部分ではなくて、

  「一、身体は複雑な化学的構成からつくりあげられているものであり、
   二、且つ、身体のかかる化学的構成は容易に分解しやすいものであるといふ考、
   三、及び、個々の生物ではその化学的構成の構造がそれぞそに〔→それぞれに〕特殊的[ルビ:スペシアル]な性質を持ち、従つて個々の生物によつて異なつてゐるものだといふ考
の点であつた。そして、彼らは、生命或は生命力とは身体を構成している化学的成分を分解、解体から喰ひとめてゐるところの一種の『結合する力』であるとみなすようになつた。〔略〕
 ところが、十八世紀の末頃になると、機械説、生気説の対立は以前ほどには顕著なものではなくなつてきた。化学の発達が身体の純運動的な現象以外の他の機能の考究をも必要にさせ、また、電気及び磁気などといふ能動的な自然力が新しく発見されてきたので、従来の生命の機械論者、生気説論者の態度も変化してきたのである。」(巴陵 1942 『生物學史 下巻』,86-87頁)。

 「機械説、生気説の対立」→「機械説と生気説の対立」である。「機械説、生気説」といったように列記するのは、比較的最近の流行りかと思っていたら、少なくとも敗戦前に用法があったとは。なんであれ、「、」の意味は特定しにくい場合があるから、やめよう。とりわけ、「かつ and」なのか「あるいは or」かがわからなければ、その大きく異なることの多い外延 extensionがどちらなのかがわからなくなる。


[C]
Chang, Ku-ming?(Kevin). 2011.6. Alchemy as studies of life and matter: reconsidering the place of vitalism in early modern chymistry. Isis 102(2): 322-329. [
http://www.jstor.org/stable/10.1086/660127
からpdfが入手できる。]

[H]
巴陵宣祐.1942.3.生物學史 下巻.594pp.山雅房.

[M]
百崎清美.2002.十八世紀的生理学から近代的生命科学への移行についての一考察:バルテズからビシャへ.メタフュシカ(大阪大学文学部哲学講座紀要) 33: 41-53.
[「バルテズの「生命原理 principe vital」という概念からビシャの「生命特性 propriete vitale」概念への以降〔→移行〕が、近代的な生命科学への移行への決定的な契機となった、という趣旨。」
http://d.hatena.ne.jp/clair-de-lune/20060826


百崎清美.2005.4.ビシャにおける生命体の構成要素-『諸膜論』から.生物学史研究 (74): 27-39.

百崎清美.2005.12.18世紀フランス『百科全書』における「繊維」の項をめぐって ??生命の学の近代化を促した一要因??.メタフュシカ 36: 15-28. [
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/web/METAPHYSICA/volume/036.html
からpdfが入手できる。]




Bunge 哲学辞典:アニミズム animism、汎心論 panpsychism

2011年07月31日 11時20分46秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月31日-1
Bunge 哲学辞典:アニミズム animism、汎心論 panpsychism

アニミズム animism [Bunge (1999) 哲学辞典初版 p.18]
 すべての物は、あるいは或る種類のすべての物は、生き物のように動かされている〔animated〕という教義。つまり、非物質的な↑【霊たち 〔spirits〕】によって宿られており、支配〔rule〕されている。例:魂は身体を統治〔govern〕するという見解〔考え方 view〕。同義語:↑汎心論〔panpsychism〕。

 
汎心論 panpsychism[Bunge (1999) 哲学辞典 初版 p.205]
 あらゆるものは心的である、あるいは或る程度に心的プロセスを経験する能力を持つ、という教義。同義語:アニミズム〔animism〕。

 
*******
 トランスヒマラヤ密教とも呼ばれる秘教の文献での関連するところは、下記の通り。『魂』とは、どのように定義されたり、使われたりしているのだろうか?
 ただし、われわれが概念を媒介として理解をする場合、その内容を表示するために言葉を使う。<言葉は真理を隠すものである>といったことが、『トランス・ヒマラヤ密教入門第1巻』のどこかに書いてあった。
 この秘教体系では、<すべてはエネルギーである(とみなされる)>(『トランス・ヒマラヤ密教入門第1巻』164頁["Telepathy and the Etheric Vehicle", p.177])が公理となっている。すると、より具体的な存在者を捉えることは、様々な観測をして、エネルギーの種類と程度を内部整合的に分類し、結果としての分類体系を提示することとなるだろう。

 
  「1. 魂は、大宇宙的で小宇宙的であり、普遍的で人間的であるが、それは、霊様相〔aspect〕と物質様相が互いに関係するときに存在へともたらされる〔brought into being〕存在者〔entity〕である。
   a. 魂は、したがって、霊でもないし物質でもなく、霊と物質の間の関係である。
   b. 魂は、この二重性の間の媒介者〔調停者 mediator〕である。それは中央原理〔中間原理、中央素因 the middle principle〕であり、神と神の形態の間の連結〔link〕である。
  〔プログレッシブ英和中辞典。middleは空間時間期間, またものごとできごとのまん中. 点というより部分. centerは円球または円球的なものの正確な中心点, また二極間の中間点:the middle of the line A B線ABの中間点. heartは内部深く存在し全体を左右する中枢をさす〕
   c. したがって魂は、自然界においてであれ人間においてであれ、キリスト原理に対する別名である。
  2. 魂は、創造された宇宙の誘引力〔attractive force〕であり、(機能するとき)すべての形態をまとめ、そうして神の生命が顕現したり、形態を通して神自身を表現することが可能になる〔may〕。
   a. したがって、魂は形態を建設する様相であり、また宇宙、惑星、自然王国と人間王国(人間は自身においてすべての様相を要約する)でのあらゆる形態における誘引的要因である。この誘引的要因は、形態を存在へともたらし、内在する〔宿る indwelling〕生命がより適切に住まうように発展し〔発達し〕成長することを可能にする。〔略〕
  3. 魂は進化〔開展 evolution〕自体の力である。このことは、聖パウロが「あなたのうちのキリスト、栄光なる希望」について話したときの心のなかにあったものである。」(Bailey, Alice A. 1934. "A Treatise on White Magic", pp.34-35.)[20110731試訳]。

 
[B]
Bailey, Alice A. 1934. A Treatise on White Magic or The Way of the Disciple. xiv+705pp. Lucis Publishing Company.

Bailey, Alice A. 1950. Telepathy and the Etheric Vehicle. xi+219pp. Lucis Publishing Company.

Bailey, Alice A. [Djwhal Khul](アート・ユリアーンス(編))(土方三羊訳,2002.2)トランス・ヒマラヤ密教入門 第1巻 [人間の本質].236pp.アルテ.[Jurriaanse, Aart. Ponder on This.]

[J]
Jurriaanse, Aart. (ed.) 1971. Ponder on This [From the Writings of Alice A. Bailey and The Tibetan Master, Djwhal Khul]. [14+]431pp. Lucis Publishing Company.

*******
 心の哲学まとめWiki、の「汎経験説対創発説」への網繋(link):
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/108.html

  「参考
   汎経験説、創発説ともに精神現象の由来を説明しようとするものであるが、上記のようにそれぞれ難点を抱えており、意識のハードプロブレム〔→意識についての難問〕の最大の問題となっている。」
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/108.html

 日本版ウィキペディアの「意識のハード・プロブレム」への網繋(link):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0


欧州放射線リスク委員会(ECRR)と国際放射線防護委員会(ICRP)のモデル

2011年07月31日 00時05分16秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月31日-1
欧州放射線リスク委員会(ECRR)と国際放射線防護委員会(ICRP)のモデル


 欧州放射線リスク委員会のクリス・バズビー博士による来日講演の竹野内真理さんの訳とまとめた内容が、
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f909e5b3b77108a472302119b2c5d072
に掲載されている。
 日本政府が引き合いに出す国際放射線防護委員会(ICRP)の基準は過小評価だと主張している。大きな違いは内部被曝の評価であるらしい。

  「欧州放射線リスク委員会(ECRR) はICRPとは異なる、放射線リスクに対する新たなモデルを構築した。というのも、ICRPのモデルは内部放射線に対する考慮が欠落しているからである。ご存知のように放射線というものは、がん、白血病、先天性異常のように、突然変異を引き起こすものである。

そしてこの放射線というものは、吸収線量(ラド、グレイ)という、エネルギーの単位で表すことができるが、この単位では、放射線の生体内における密度を示すことができない。というのも、体全体に当たる放射線量、つまり平均化した値しか考慮せず、局所的な影響を考慮に入れていないからである。これはあたかも、暖炉の前で暖まることと、その暖炉の中にある炭火を口の中に入れるのとでは、体に対する影響がまったく異なることと同じ原理である。

広島長崎のヒバクシャの線量は、吸収線量だけが考慮された。つまり、核爆発によるたった一回放射されたガンマ線による放射線、すなわち、体全体で平均化されたエネルギー密度のみが考慮されたことになる。

これは、体内被曝の観点からすると、有効な考え方ではない。大事なのはDNAに対してどのような密度で放射線が作用したかという点であり、この密度は体のどの部位に放射性物質が入ったかによっても異なる。ここが一番大事な点だ。平均化してしまっては、生体への真の影響は測れない。

ECRRは、外部被曝のみでなく、内部被爆の影響にも対処するため、独自のモデルを構築した。このモデルは次のサイトにおいて無料で参照することができる。英語http://www.euradcom.org/2011/ecrr2010.pdf 日本語訳http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm

モデルを構築するために、我々は実際に放射線に被曝した人々を対象に調査を始めた。ホットパーティクルがどこにあるかという問題だけでなく、ストロンチウムやプルトニウムといった物質は、ひとたびDNAに結合してしまうと、放射能の崩壊途中で多大な影響を生体組織にもたらす。

実は、核による被曝の問題は、欧米でも既に50年代、60年代から、米、ソ、英、仏による核実験により発生していた。

英国には大変優れたガン登録制度がある。しかもウェールズは降雨が多く、そのためより多くのストロンチウム90に被曝することとなった。そして降雨の後、ウェールズにおけるガンの発生率は30%も増加したのである。しかも、この時の線量はわずか、1ミリシーベルトであった。これは環境放射線よりも低い値である。

この実地調査を考慮すると、 ICRPによるモデルは、350倍も過小評価ということになる。

ECRR は2003年に報告書を出した。あくる年の 2004年、スウェーデンのトンデル博士が新たなモデルを発表した。チェルノブイリにより、スウェーデン北部の町で1キロ平方メートルあたりのセシウムのベクレル数が百キロベクレルの場所で、11%のガンの増加があったというのである。

この数値を見ると、ICRPは600倍もの過小評価を行っていたことがわかる。この数値とほぼ同等のものが、前年に出されたECRRの2003年報告によっても言明されていたのである。

欧州では小児白血病も観察されている。そのデータからも、ICRPはリスクを500-2000倍も過小評価しているのがわかる。

内部被曝に関しては、我々は個々の放射線核種に対する「荷重係数」を設けている。(訳者注:ICRPはアルファ線と中性子線では20、ベータ線とガンマ線は1という荷重係数は設けているが、核種ごとには設けていない)ECRRのモデルを適用すると、だいたい正しい答えが導かれるのである。

ICRPとECRRのモデルの主要な違いは、ECRRは体内に入った核種による線量およびDNAに対する線量をずっと高く設定していることである。テクニカルなことに関しては、ECRR報告書のほうを見ていただきたい。

チェルノブイリ事故後の最新の疫学調査のいくつかは、ECRRモデルが正しいことを示している。

しかしICRPの最新のモデルを示した報告書には、チェルノブイリに関しての言及がない。ICRPの報告書には、自らのモデルが間違っていることを示すことは何も書かれていない。

Jack Valentin博士はICRPの科学部編集局長(Scientific Secretary)を20年務めた人物である。私は博士に博士が辞職した直後の2009年4月に会った。この会見は、ビデオテープに記録され、以下のサイトで閲覧できる。 http://vimeo.com/15398081

博士はICRPモデルを原発事故に使用することはもはやできないと告白した。理由は、内部被曝による被曝は900倍も過小評価されている可能性があるためと語った。博士はまた、体制側にある放射線防護機関は、チェルノブイリのリスクモデルを見ていおらず、誤った評価をしていると言明している。」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f909e5b3b77108a472302119b2c5d072

 
 「さて、福島の話をしよう。

政府が単に毎時何ミリシーベルトという外部放射線だけを測定し、それを健康へのリスク評価としているのは危険なことである。

私は長年、放射能測定にカーフィルターを使用している。車は人と同じく、空気を取り入れる。我々は人の肺を開いて除くことはできないが、車ならできる。

福島から100kmの地点で測定したところ、0.1 マイクロSv /毎時だった。ガイガーカウンターだけであればこの値は安全な値だ。しかし我々は、ガンマ線に何が含まれているかを測定する巣ペクト路メーターを持っていて、セシウム134と137のピークを見ることができた。また、この車の走行距離から、空気中のベクレル数は2700ミリBq/m3(立方メートル)であることがわかった。世界中の核実験でピークの値は 1963年に観測された、2.5 ミリBq/m3であったから、この値は1000倍も高いことになる。

先ほど言ったことを思い出して欲しい。60年代、ウェールズでは 30%ものガンの死亡率が増加したのである。

東京圏、千葉におけるセシウム137の値は、核実験のピークのときよりも300倍高い値であった。


人の呼吸量は一日当たり、24立方メートルである。

ICRPによる線量でさえ、セシウムのみで 0.3-0.5mSV に達する。大気中にはプルトニウムもストロンチウムもあったので、これらをすべて足すと20-30 mSVに達する。


我々はECRRのモデルを福島に置き換えてみた。立方メートルあたりのセシウムの濃度と11% 1立方キロメートル当たり100キロベクレルで11%のガンの増加というトンデル博士の数値を主に考慮した。

すると、結果は以下のようになった。

ICRP によれば、今後50年間で100km圏内で2838人のガンの過剰発生がある。

トンデル博士は100km圏内で10年以内に 10万3329人のガンの発生となる

ECRR では、100km圏内で50年で19万1936人のガンの発生となる。

ガンだけでなく、風邪やインフルエンザ、発疹、下痢や9倍に増えた先天性異常が核実験場で働いていた兵士に見られている。(2007年)

人々は毎時1マイクロシーベルトの場所から避難しなければならない。 」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f909e5b3b77108a472302119b2c5d072


プラーナの定義

2011年07月30日 21時19分21秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月30日-1
プラーナの定義

 プラーナとはなんだろうか。ウィキペディアによれば、
  「プラーナ、プラナ (〔略〕 prana)とは本来、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉。日本では気息と訳されることが多い。
   インド哲学に於いては、同時に人間存在の構成要素の一つである風の元素をも意味している。そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされ、〔略〕
   古代ギリシャの類似概念としては、「プシュケー」や「プネウマ」がある。古代中国の「気」も、類似した概念だと言える。
   〔略〕ユダヤ教神秘主義(カバラ)やカトリックではこれに対応する概念として、息吹を意味する「ルーハ」があるが、これはプラーナと同じく命・霊・風をも意味し「神から分割された生命の本質」や〔略〕」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A

 また、
  「気(き)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。
   〔略〕気はラテン語 spiritusやギリシア語 pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、あるいはサンスクリット prana(プラーナ)と同じく、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。〔略〕
   日本語には気と言う言葉を使う表現がいくつかある。中国哲学の気の概念のうち、物の構成要素、素材としての意味の用法はほとんどなく、「元気」などの生命力、勢いの意味と、気分・意思の用法と、場の状況・雰囲気の意味の用法など、総じて精神面に関する用法が主である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97

とある。

 Alice A. Bailey (1950)『Telepathy and the Etheric Vehicle〔遠隔感応とエーテル媒体〔エーテル的乗り物〕〕』によれば、

  「Prana might be defined as the life-essense of every plane in the sevenfold area which we call the cosmic phisical plane. It is the LIFE of the planetary Logos, reduced within limits, animating, vivifying and correlating all the seven planes (in reality the seven subplane of the cosmic physical plane) and that is to be found within and upon them.」(Bailey 1950: 154-155.)

  「プラーナは、われわれが宇宙物質界と呼ぶ、七重の領域におけるあらゆる界の生命本質であると定義してよいかもしれない。それは、七つの界(実際は、宇宙物質界の七亜界)のすべてを、制限内で低減されているが、生命を与え、活気づけ、相互に関係づけている、惑星ロゴスの大生命である。それ〔=プラーナ、=宇宙物質界の七亜界の生命本質、=惑星ロゴスの制限された大生命〕はまた、七界の内と上に見られるべきものである。」(20110730試訳)。

 生命本質 life-essense とは、何だろうか。
 上記引用文に続く文では、

  <物質界、アストラル界〔星幽界〕、そして低位マインド〔低位心〕は、形態の世界に属する。コーザル体〔原因体、因果体。〕は、低位メンタル界に含まれる。
   低位マインドよりも上のメンタル界〔心界〕は、形態が無い〔無形である〕 formless。>

とある。

核分裂型原子力発電の費用

2011年07月28日 00時41分36秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月28日-1
核分裂型原子力発電の費用


 岩上安身氏の網所に、大島堅一立命館大教授に対して行なわれた2011年4月11日の会見の要旨(文字起こし?)が、掲載されている。

http://iwakamiyasumi.com/archives/8207

 核分裂型原子力発電の費用についてである。政府財政からの支出を加えると、明らかに(揚水発電をを除いた)水力発電や火力発電よりも高くなる。
 むろん、さらに、核廃棄物の処理代ははるかに高くつくだろう。「だろう」というのは、たとえば100年間にわたって核廃棄物を管理した実績は無いからである。


福島第一原発3号機の注水法見直しへ

2011年07月26日 23時03分54秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月26日-9
福島第一原発3号機の注水法見直しへ

 2011/7/26 22:00のWeb日本経済新聞によれば、

  「東京電力は26日、福島第1原子力発電所3号機の原子炉への注水法を見直すと発表した。炉の温度の上昇を防ぐのに必要な注水量が1、2号機の2~3倍で、溶融した燃料を効率よく冷やせていない。放射性物質を含んだ新たな汚染水の発生源にもなっており、より効果的な方法に切り替え、注水量の削減を目指す。
   〔略〕
   1~3号機とも原子炉への注水は現在、給水系配管を使っている。冷却水は圧力容器内の炉心隔壁の外側を流れ、容器の底部にたどり着く。3号機に関しては、炉心隔壁の内側から、溶融燃料に冷却水を直接注ぐ方法などに変える。

    最有力なのが緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つである「炉心スプレー系」を使う方法で、燃料の上部からシャワーのように水を注ぐ。通常は核反応を制御するための「ホウ酸水注水系」を使う方法や、炉心隔壁の外側からだが「ジェットポンプ計装」と呼ぶ配管を利用して給水系よりも炉心に近いところに注水できる方法も検討している。」

とのこと。
 この事態は、3号機は他よりも(津波の前の)地震による配管の損傷がより大きいからではないのか?



北海道浜中町に放射性セシウム汚染の宮城県産稲わら

2011年07月26日 00時53分56秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月26日-1
北海道浜中町に放射性セシウム汚染の宮城県産稲わら

 十勝毎日新聞2011年7月23日1面によれば、道庁の発表によれば、

  「浜中町の畜産農家が使用していた宮城県産の稲わらから、国の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える1886ベクレルの放射性セシウムが検出された」(十勝毎日新聞2011年7月23日1面)。

とのこと。また、

  「この稲わらを餌として与えられた可能性のある肉牛15頭が、同町内で消費されたほか、東京都や青森県に出荷されたという」(十勝毎日新聞2011年7月23日1面)。

とのこと。
 また、同記事によれば、

  15頭のうち4頭は、釧路市内で食肉処理され、
            浜中町内のスーパーが1,080kgを購入
             消費者が約330kgを購入

とのこと。そして、道庁が浜中町内の店が仕入れた4頭の牛肉の一部を検査した結果、

  1頭の牛肉から   91ベクレル/kgの放射性セシウムを検出。
  他の1頭の牛肉から 16.2ベクレル/kgの放射性セシウムを検出。
  他の2頭からは検出されず。

とのこと。暫定規制値(1kg当たり500ベクレル)を下回っており、

  「道〔庁〕は「既に消費した場合も健康に影響はない」としている。」(十勝毎日新聞2011年7月23日1面)。

とのこと。
 しかし、飲み物と食べ物についての国の暫定規制値は、他と比べて大変高く設定されている。

http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html
によれば、飲み物については、

  アメリカの法令基準     0.111ベクレル/リットル
  ドイツガス水道協会     0.5ベクレル/リットル
  ウクライナ(セシウム137) 2ベクレル/リットル
  WHO基準(セシウム137) 10ベクレル/リットル
  WHO基準(ヨウ素131)  10ベクレル/リットル
  ベラルーシ         10ベクレル/リットル
  国際法 原発の排水基準値
     セシウム137     90ベクレル/リットル
     ヨウ素131      40ベクレル/リットル
  日本の暫定規制値(乳児)  100ベクレル/リットル
  日本の暫定規制値
     セシウム137     200ベクレル/リットル
     ヨウ素131      300ベクレル/リットル


 「暫定」とは、どういう意味で、いつまでなのか? 日本の暫定規制値がセシウム137とヨウ素131で異なるのは何故か? 

http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html
によれば、食べ物については、

  ベラルーシ(子供)       37ベクレル/リットル
  ウクライナ(野菜)       40ベクレル/リットル
  ベラルーシ(野菜)      100ベクレル/リットル
  コーデックス(Sr90, Ru106, I131, U235の合計)
                 100ベクレル/リットル
  アメリカの法令基準      170ベクレル/リットル
  これまでの日本の輸入品規制値 370ベクレル/リットル
  日本の暫定規制値(乳児)   100ベクレル/リットル
  日本の暫定規制値
     野菜、セシウム137   500ベクレル/リットル
     野菜、ヨウ素131   2,000ベクレル/リットル

 (コーデックスは、FAOとWHO共同の合同食品規格委員会)

とのことである。

 さて、

  「茨城県は25日、県内の畜産農家7戸が牛に与えていた茨城、宮城両県産の稲わらから、水分補正後の数値で国の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える1682~1万4545ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。このうち4戸から、5月9日以降に計78頭が出荷されていた。
 一方、栃木県は25日、那須塩原市の畜産農家が牛に与えていた同県産の稲わらから、水分補正後で2万4146ベクレルのセシウムを検出したと発表した。」
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011072500898

 また、

  「秋田県は25日、県内のホームセンター「コメリ秋田卸町店」で販売していた栃木県産の腐葉土から1キロ当たり1万1000ベクレルの高濃度の放射性セシウムが検出されたと発表した。腐葉土には国の暫定規制値が定められていないが、県は店側に販売自粛を要請している。(2011/07/26-00:20)」
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011072600005

 また、

  「高濃度の放射性セシウムを含む稲わらを餌に与えていた福島県浅川町の肉用牛農家から出荷された牛肉の一部が、道内で販売されていた問題で、道は21日、芦別市内の食肉販売業者が仕入れた牛肉と同一の牛の肉について香川県が行った検査の結果、放射性セシウムが暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)を上回る654ベクレル検出されたとの連絡が、東京都を通じて寄せられたことを明らかにした。

 〔略〕道は「この牛肉を1年間、毎日1.3キロまで食べても許容被ばく量は超えないので、ただちに健康への影響はない」としている。 」(北海道新聞 07/21 15:00)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/306858.html



森林の二酸化炭素吸収量

2011年07月21日 09時32分08秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月21日-2
森林の二酸化炭素吸収量

 朝日新聞2011年7月21日29面によれば、森林が二酸化炭素を吸収する量は大きいらしい。統計モデルを用いたユド・パン博士らの計算によれば(『Science』に2011年7月15日付け発表とのこと)、

  「世界の森林が1990年から2007年に吸収した二酸化炭素(CO2)の量は、この間に化石燃料の燃焼で排出されたCO2の約6分の1に上る」(朝日新聞2011年7月21日29面)。

という。また、

  「森林伐採などで吸収量の減少がなければ、世界の化石燃料によるCO2排出量の3分の1にあたる年約24億トン(炭素換算)を吸収し得たという」(朝日新聞2011年7月21日29面)。

とある。
 もちろん、森林の人類への恩恵は、二酸化炭素吸収だけではない。

  森林伐採をやめよう。
  森林伐採を止めよう。
  森林を作り、育てよう。

 もちろんまた、放射性物体が出ないエネルギー源の設置を増やそう。
 物理学者と工学研究者は、冷融合 cold fusion、または凝集系核科学 condensed matter nuclear science、または固体内核反応 condensed-matter (solid-state) fusionを研究し、エネルギー産出装置を創り出そう。


凝集系核科学、固体内核反応、常温核融合:網所への連結

2011年07月21日 01時27分33秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月21日-1
凝集系核科学、固体内核反応、常温核融合:網所への連結


 The International Society for Condensed Matter Nuclear Science(凝集系核科学国際学会):
http://www.iscmns.org/index.htm

 
 Japan CF-research Society(CF(固体内核反応)研究会):
http://jcfrs.org/

  「CF研究とは、Condensed-matter(solid-state) Fusion, Coherently-induced Fusion, Cold Fusion, 等の意味での固体内核反応および関連する科学技術の研究を意味します。」
http://jcfrs.org/INFO.HTML
とのことである。

 
 CFRL (常温核融合研究所):
http://www.geocities.jp/hjrfq930/index.html
http://www.geocities.jp/hjrfq930/Gdnc/gdncj.htm



地球温暖化防止と原発推進との関係2

2011年07月20日 00時54分33秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月20日-1
地球温暖化防止[キャンペーン]と原発推進との関係2

 池田清彦氏は、

  「CO2が排出されても生態系にはほとんど何の影響も与えないはずです。風力発電のための風車や太陽光発電のためのパネルを大量に設置するほうが生態系に対する影響は大きいと思います。
   さしあたっては、天然ガスと石炭を輸入して火力発電所を設立するのが最も安上がりで、人々との生活や生態系に対する影響が最も少ない発電方式ということになります。
   それにしても何度も言うようにCO2を悪者に仕立てて、原発を推進してきた原子力利権集団の罪は重いと思います。」(池田清彦オフィシャルブログ 2011年4月27日 (水)「ポスト福島原発事故の代替エネルギー」)
http://ike-64.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-d82d.html

と書いているように、二酸化炭素悪者論に与しない。
 福島第一原発事故後に書かれたという序章に、下記のような原発とIPCC(気候変動に関する政府間パネル)との関係についての箇所がある。当初から温暖化防止キャンペーンと原発推進とは密接に絡んでいるという。

  「もともと温暖化キャンペーンは原発絡みで始まったことで、イギリスのサッチャー首相が、イギリスは石炭も北海油田もなくなって、最終的には原発でエネルギー需要をまかなうしかないと思ったときに、たまたま、ジェームズ・ハンセンの米議会公聴会での 「温暖化が大変だ」という証言があって(一九八八年)、それに便乗して、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の立ち上げをバックアップして、「温暖化抑制」キャンペーンを始めたわけだ。もともとは原発の推進と密接に絡んでいるのである。イキリス国民に、温暖化でこんな大変なことが起こるのなら、安全な原発のほうがいいのではないかと言って、原発を推進しようとしたというのがIPCCの始まりなのだ。
 日本は、このIPCCをあまりにも信用し過ぎて、IPCCの言っていることは全部間違いないと、ずっと従ってきた。二〇〇九年の十一月に、IPCCがインチキだったということがバレて、そのあと、あちこちの国はみんな温暖化対策の政策をやめてしまった。アメリカは当然のこと、オーストラリア、カナダ、フランスあたりは、みんな温暖化対策法案をすべて廃案にした。日本だけ、いまでも二五%削減などとアホなことを言っていて、ほかの国はみんなやらない。」(池田清彦『激変する核エネルギー環境』57-58頁)。

 「二〇〇九年の十一月に、IPCCがインチキだったということがバレ」たことについての、日本語書籍は、

スティーブン・モシャー & トマス・フラー(渡辺正訳 2010.6).『地球温暖化スキャンダル-2009年秋クライメートゲート事件の激震』.日本評論社.

 なお、環境省は、

  「平成22年5月6日
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)レビュー委員指名に関するインターアカデミーカウンシル(IAC)の報道発表について(お知らせ) 」
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12445

  「平成22年7月6日
   オランダ環境評価庁によるIPCC第4次評価報告書第2作業部会報告書の地域ごとの影響を評価する章に関するレビュー結果公表について(お知らせ)」
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12690

  「平成22年7月8日
   英国イーストアングリア大学により設置された独立レビュー組織による「クライメートゲート事件」レビュー結果の公表について(お知らせ)」
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12697

といった文書を紹介している。
 
 たとえば100年間で地球平均気温が摂氏3度あがり海面高度が30cm上がるとしても、今回の東北地方太平洋沖地震での土地陥没は一日にして数十cmのところがあった。

 
[I]
池田清彦.2011.5.激変する核エネルギー環境.223pp.KKベストセラーズ[ベスト新書].



地球温暖化防止と原発推進との関係

2011年07月07日 12時48分31秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月7日-3
地球温暖化防止と原発推進との関係

 人間の生命と健康のための環境を保全するという観点からは、放射性物質を作り出すという点だけで、核分裂型の原子力発電炉は、作ってはいけないものである。イギリスのサッチャー政権のときに原子力発電事業を民営化しようとしても、保険の引き受け手がなくて断念したわけである。
 人あるいは生物が生きるための環境保護の立場ならば、核廃棄物の生産速度よりも速い処理速度の処理技術が無ければ、核廃棄物を生産してはいけないはずである。にもかかわらず、「(発電時)はCO2を出さない」から「クリーン」だという言説(むしろ安全デマの一種)が広く流布したことは、なぜだろうか。
 二酸化炭素排出が地球温暖化に結びつくとしても、それが原発の理由に利用されるのであれば、そしてその方向に行きそうであれば、地球温暖化論の様々な段階での議論が妥当かどうか疑うべきである。日本においても、学術会議第三部会の振る舞いや地球温暖化研究者の言説から、原発推進に役立っていると思う。(なお、本来の問題は、人間にとって不都合な(『気候』変動ではなく)気象メカニズムないしは気象条件であって、「地球温暖化」は、問題の矮小化だと思う((問題があるとすればだが))。)
 一部の論者は、福島原発事故が起きてしまったことについて、原発反対者にも責任があると根拠を明示せずに主張している。例えば、武田徹『原発報道とメディア』(要引用頁)とか、宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』(要引用頁)とかである。

 さて、志村嘉一郎『東電帝国?その失敗の本質』によれば、東京電力は当初から、地球温暖化「問題」への対処としての京都議定書に関わっていた。

  「京都議定書〔に対して〕〔略〕、産業界の反対は強かった。だが、平岩の政治工作が功を奏したのか、二〇〇二年五月二一日に衆議院で、三一日に参議院で批准が承認され、六月四日に国際連合に受諾書を寄託した。
 閣議決定された「京都議定書目標達成計画」では、〔略〕分厚いページの計画書の最後の方に、「原子力発電の着実な推進」の項目がある。そこに、
〈発電過程で二酸化炭素を排出しない原子力発電については、地球温暖化対策の推進の上で極めて重要な位置を占めるものである。今後も安全確保を大前提に、原子力発電の一層の活用を図るとともに、基幹電源として官民相協力して着実に推進する。その推進に当たっては、供給安定性等に優れているという原子力発電の特性を一層改善する観点から、国内における核燃料サイクルの確立を国の基本的な考え方として着実に進めていく。〉
 と書かれていた。
 京都議定書の推進で動いてきた平岩外四と東京電力の思惑はここにあったのである。
 東京電力の原発を推進する書類には、
〈地球温暖化防止京都会議でも、温室効果ガスの削減目標をクリアするため、日本は、出力一二五万キロワットの原発二〇基の新増設が必要、との方針が打ち出された。〉
 と、ある。
「当時、原発二〇基増設などとは、国会に対し一言も説明がなかった」
 と、入沢は述懐する。
 このとき、平岩は八八歳。経団連会長を八年前にやめても、東電相談役として原発二〇基の増設推進に動き回っていたのであった。」(志村嘉一郎 2011.6『東電帝国?その失敗の本質』、124-125頁)。

 
[S]
志村嘉一郎.2011.6.東電帝国?その失敗の本質.232pp.文藝春秋[文春新書].[y798]


松本龍復興担当相の言を考える

2011年07月04日 23時06分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月4日-12
松本龍復興担当相の言を考える

 今日、2011年7月4日、のテレビで放映されていたが、松本龍復興担当相は、

  「〔村井嘉浩宮城県知事が〕先にいるのが筋だよなぁ。」
  「〔水産特区について〕県がコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。だから〔?〕、ちゃんとやれ。
  お客さんが入って来るときは自分が入ってきてからお客さんを呼べ。
  いいかぁ。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞぉ。
  わかったぁ? はい。しっかり、あの、やれよぉ。
  今の最後の言葉はオフレコです。いいですか。みなさん。いいですか。はい。
  ぜっ。書いたらもう、その社は終わりだから。」(下記の網所から文字起こしした)
http://www.youtube.com/watch?v=VtUqWdbjnTk&feature=player_embedded#at=26
http://www.youtube.com/watch?v=rrFd2Od-Cq8&NR=1

と述べた。

 このような発言をあのような感じの語気で言う人は、国会議員をやっている資格は無いと思う。むろん、語気から推測される考えと態度が、資格が無いと思う理由である。
 
 国の大臣は、県知事の上司にあたるのか? 民主党は地方分権重視というのは、建前で、少なくとも任命した菅首相は、個々の議員は地方分権を尊重する必要は無いと思っているのか? あるいはひょっとして、松本復興担当相は、菅首相に反対した人であり、仕方なく担当相を引き受けたと見せて、自らの失言?で菅政権を批判させようと考えたのか?

 松本復興担当相は、(どういう意味で?)お客さんに当たるのか? 地震の予測は国がやっていたのではなかったのか? 予測できないとのなら、予測できない、と言うべきだった。その上で、いつかは来るのだから、高台に家をつくるとかなどの対策をやるべきだったのである。(その予算は、国主導ではなく、県に丸投げすればよい(おそらく、そうすると、震災を受けた他県と比較して宮城県は問題なのだろう))災害予防がたいしてできなかったこと、復興が遅れていることについて、(松本氏が個人的にどう考えていようと)国としてわびるべきではないのか? そのような立場ではないのか? その上で、知恵を出し合い、協力して復興を進めるべきだろう。

  「呼ばれて入ったら、3、4分出てこなかったから怒った。九州の人間はお客さんが来るときは本人が(先に部屋の中に)いる。(知事は)長幼の序をわきまえた方が(いい)」と説明した。」(2011年7月4日12時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110704-OYT1T00629.htm

と、松本復興相は説明したという。或るテレビでは、1分ほどと言っていた。上記の引用したテレビでは、数分と言っていた。
 それはともかく、「長幼の序」とは、

  「年長者と年少者の間にある一定の秩序」(大辞林)
http://www.weblio.jp/content/%E9%95%B7%E5%B9%BC%E3%81%AE%E5%BA%8F

とある。松本復興担当相は1951年生まれで、村井嘉浩宮城県知事は1960年生まれだから、年長者と年少者の関係になるのは確かである。しかし、自衛隊では長幼の序ではなく、階級の序によるのではないのか? 
 そこで、「自衛隊 長幼の序」で検索すると、「ニュース30over : 松本大臣、ウソ連発か…宮城県「知事は遅刻せず ...」というのがあった。

  「村井知事と松本復興相の会談が設定されていたのは3日の午後2時15分。宮城県庁秘書室によると「会談時間の数分前に松本復興相を応接室にご案内し、お茶を出したり、報道陣のテレビカメラの設置が完了したのを待って、時間通りに知事が入室した」。つまり、入室が遅れた事実はないという。

  応接室と知事室は、同じフロアの隣り合わせの場所にある。村井知事は、松本復興相との会談スケジュールに合わせて、秘書が呼びに来るのを執務室で待っていた。県庁で知事の来客がある際には、「誰であっても知事よりも先に応接室へ入室してもらうのが一般的」(秘書課)という。来客が資料を整理しているときなどに知事がその場にいたら、逆に失礼に当たるという配慮もある。」(オルタナ 7月4日(月)16時59分配信)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110704-00000303-alterna-soci

 つづいて、

  「松本氏は、自衛官出身の村井氏を戒める意味で発言したのかもしれないが、防衛省によるとそれも正しくないという。

  「確かに階級のある部内では長幼の序という考えがあるかも知れない。ただ、部外の人と会談するときには当てはまらない。そもそもどうやって上下関係を付けるのか判断できない」(防衛省広報)。」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110704-00000303-alterna-soci

 ここでの「長幼の序」とは、年齢の高低関係ではなく、階級の上下関係という意味だろう。だから、部外の人との会談では、上下関係の付け方の判断基準が不明だと言っているのだろう。

 また、

  「松本氏の地元である福岡県庁によると、「庁舎に大臣がお見えになったら、すぐに会場にお通しし、その後、すみやかに知事に入室してもらう。先に知事が応接室で待つことはないし、本人が来客をお出迎えすることも通常はしません」(秘書課)。

  複数の地方自治体によると、知事と大臣の会談場所がホテルなど外部の場合には知事が先に到着して出迎えるが、庁舎で行〔な〕われるときには、応接室に先に大臣に入室してもらうのが普通だという。」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110704-00000303-alterna-soci

 松本氏の言は、「九州の人間は、お客さん来るとき、本人はいるものです」というものだから、これを、

  「九州のすべての人間は、お客さんが来るときは、本人が先に部屋にいる」

という一般命題(あるいは場所的に普遍な命題)と解釈すれば、福岡県庁秘書課という部署に属する人の言によって、反確証された disconfirmed(または反証された falsified)ことになる。ただし、

  「九州では、一部の人間は、お客さんが来るときは、本人が先に部屋にいる」

という特殊命題と取れば、福岡県庁秘書課の言によっては、反確証されない。しかし、もともと松本氏は、(一般命題的な)しきたりによって、宮城県知事を叱責する根拠としたかったわけだから、この場合は説得性が無くなる。つまり、根拠無き非難ということになる。

 
 さて、仕方なくであろうと、引き受けたのだから、しっかりとやってもらいたい。そもそも、復興の遅れは政府の責任ではないのか? 国は具体的な何もしないでもいいから、復興のための資金を県に必要なだけ、ばらまけば良い。放射能被害に関連する分は、東京電力に請求すればよい。

 ところが、擁護する人もいる。
 広島県議会議員(広島市安佐南区選出)の梶川ゆきこ氏(民主党員?)は、

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0704&f=national_0704_218.shtml

によれば、

  「「松本大臣の件。宮城県の対応が酷すぎ。ふつう、マスコミのカメラの前で大臣が待ちぼうけくらうとこ撮らせないでしょ!別室に案内して、お待ち頂いて、知事が会合する場に到着したら、大臣を迎え入れるのが常識。まぁ、知事がああだと、職員も気がきかなくなる。大臣を怒らせた県の接遇がマズすぎだ。

  復興利権がほしくて、ヨダレを垂らし、腹を空かせて待ってる狼どもは、足を引っ張ることは、何でもやるでしょ。松本大臣は、はめられただけ。宮城県は、大臣を怒らせて何の得があるんでしょう。既得権を守りたい獣らの術に惑わされんぞ、ガツン!と一発かますのは当然でしょ。それが敵の狙いだった。
〔http://topsy.com/twitter.com/yukiko_kajikawa/status/87781504016588800〕

  大臣をわざと怒らせて、それをハイエナのようにパパラッチが喰らいつく。復興利権がかかっているから、大騒ぎになるよう仕込んだんでしょ。だいたい、約束の時間に遅れるほど、本当に精力的に知事が働いてるなら、大臣も理解を示すでしょう!県民のために必死で、汗をかいている知事だったのか?

  ご立派な知事さんが現場を走り回られているのか、利権獲得でお忙しいのか?利権が第一では復興しないでしょう…。」
(Twitterより引用)」

とのこと。

 ただし、2011年5月29日(日)「しんぶん赤旗」によれば、

  「事務局原案について意見を出す県の「復興会議」は、野村総研顧問や三菱総合研究所理事長らが委員として顔をそろえ、「委員12人のうち県内在住者はわずか2人」(河北新報18日付)。委員19人全員が県内在住者である岩手県の「津波復興委員会」と著しい対比をなしています。第2回「復興会議」は、「委員の大半が首都圏在住のため…村井知事らが上京」(同)し、都内で開催するありさまです。」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-29/2011052901_02_1.html

とのこと。
 利権や商売を狙っているかもしれないが、復興が進むためにならば、1分や数分のことで、子供を脅かすようなことはしないで、さとすように無礼を指摘すべきである。結果として、野党は追求するだろう。それが狙いならば、彼の振る舞いは的を得たことである。

 
 復興を志すならば、指導者は、その目的を果たすために、余計な無駄口や誤解を招く発言は慎むことが、心得というものだろう。
 結果が大事である。志を持ち、志を果たす能力をつけよう。
 国民の生存と安心で文化を享受できる生活に役立つ教育を立てよう。
 われわれは、失敗からも学び、成功からも学ぶ。
 教育を復興しよう。