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生気論と機械論の相互変容1

2011年07月31日 12時53分56秒 | 生命生物生活哲学
2011年7月31日-2
生気論と機械論の相互変容1

 巴陵宣祐『生物學史 下巻』の第五章(86-98頁)は、「ビシャーと彼の組織説」と題されている。

 「十八世紀の初期には生命の問題に関して二つの相対踵する学説が行はれてゐた」(86頁。旧漢字体は新字体に変換した)。その二つとは、「生命現象を純粋に機械学の立場から説明しようとする」機械説と、「生命の真の実在は霊魂の中にありとみなし、肉体的身体はたゞ霊魂のために存在し、また霊魂によつてのみ存在し得るものだと考へ」(86頁)る生気説である。
 スタールの学説は当時の生気説のなかでもその傾向が強いものであった(86頁)。モンプリエ[→モンペリエ] Monpellierの医学校の学者たちが興味を寄せたのは、スタール説の霊魂に関する部分ではなくて、

  「一、身体は複雑な化学的構成からつくりあげられているものであり、
   二、且つ、身体のかかる化学的構成は容易に分解しやすいものであるといふ考、
   三、及び、個々の生物ではその化学的構成の構造がそれぞそに〔→それぞれに〕特殊的[ルビ:スペシアル]な性質を持ち、従つて個々の生物によつて異なつてゐるものだといふ考
の点であつた。そして、彼らは、生命或は生命力とは身体を構成している化学的成分を分解、解体から喰ひとめてゐるところの一種の『結合する力』であるとみなすようになつた。〔略〕
 ところが、十八世紀の末頃になると、機械説、生気説の対立は以前ほどには顕著なものではなくなつてきた。化学の発達が身体の純運動的な現象以外の他の機能の考究をも必要にさせ、また、電気及び磁気などといふ能動的な自然力が新しく発見されてきたので、従来の生命の機械論者、生気説論者の態度も変化してきたのである。」(巴陵 1942 『生物學史 下巻』,86-87頁)。

 「機械説、生気説の対立」→「機械説と生気説の対立」である。「機械説、生気説」といったように列記するのは、比較的最近の流行りかと思っていたら、少なくとも敗戦前に用法があったとは。なんであれ、「、」の意味は特定しにくい場合があるから、やめよう。とりわけ、「かつ and」なのか「あるいは or」かがわからなければ、その大きく異なることの多い外延 extensionがどちらなのかがわからなくなる。


[C]
Chang, Ku-ming?(Kevin). 2011.6. Alchemy as studies of life and matter: reconsidering the place of vitalism in early modern chymistry. Isis 102(2): 322-329. [
http://www.jstor.org/stable/10.1086/660127
からpdfが入手できる。]

[H]
巴陵宣祐.1942.3.生物學史 下巻.594pp.山雅房.

[M]
百崎清美.2002.十八世紀的生理学から近代的生命科学への移行についての一考察:バルテズからビシャへ.メタフュシカ(大阪大学文学部哲学講座紀要) 33: 41-53.
[「バルテズの「生命原理 principe vital」という概念からビシャの「生命特性 propriete vitale」概念への以降〔→移行〕が、近代的な生命科学への移行への決定的な契機となった、という趣旨。」
http://d.hatena.ne.jp/clair-de-lune/20060826


百崎清美.2005.4.ビシャにおける生命体の構成要素-『諸膜論』から.生物学史研究 (74): 27-39.

百崎清美.2005.12.18世紀フランス『百科全書』における「繊維」の項をめぐって ??生命の学の近代化を促した一要因??.メタフュシカ 36: 15-28. [
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/web/METAPHYSICA/volume/036.html
からpdfが入手できる。]