中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

ミュンヘン

2006年02月13日 | 映画
ミュンヘンオリンピックでイスラエル選手11名が暗殺された事件を元に、そこに関わった「人間」を描いた映画。

銃を持ちうなだれる男のポスターを見て「殺した側」が凶行に至るまでを描く人間ドラマ、と勘違いしていたのだけれどまったくの逆。「殺された側」イスラエルの情報機関員が事件の報復として、犯行関係者を次々と暗殺した史実に関する映画。「ミュンヘン」での事件そのものでなく、その事件が引き起こした別の事件が映画の中心。

題材が題材なので、重く暗い内容を想像していたけれど、前半は予想を裏切りいかにもなハリウッド映画的進行で話は進む。ミッション・インポッシブルのようにチームが「仕事」をやり遂げる「どきどき」を経験するつくり。ユダヤ人かパレスチナ人、もしくはそれらに関係の深い人でなければ単純にサスペンス映画として楽しめると思う。

この映画が色々な意味で「話題」と「問題」を起こしていることはそれとなく耳に及んでいたけれど、前半だけでは「単なるユダヤ人(スピルバーグ自身がユダヤ人なのは周知の通り)視点でものをみた映画」にしかみえなくもない。なんでだろ、と思いつつ見てその意味がわかってきたのは映画後半に入ってから。

ネタバレしない程度簡単に記しておくと後半は暗殺チームリーダー、アヴナーの苦悩とある決断に至るまでを描いている。ここからは映画のテンポ、内容ともども、当初予想した通り「非常に重い」ものとなる。164分という上映時間もこの後半を描くが為、という感じ。少々ダレる感じもするけれど、それもある意味計算してなのかもしれない。

決してすっきりとした気分で劇場を出ることができない映画なので、人により評価もまちまちかもしれない。イスラエル、パレスチナ間の問題、として捉えるならば日本人には「遠い話」であるけれど、憎しみの連鎖と報復の問題として捉えれば、それは十分に普遍的な問題。

こういう映画でたまには「重い世界」を経験するのも悪くないのかもしれない。少なくとも映画というヴァーチャルな世界の中でのことならば。

自身ユダヤ人でありながらこのような映画を製作したスピルバーグについては、正直たいしたものだと感心した。プライベート・ライアンもそうであるように、彼の問題提起型映画には「底が浅い」という評価を下す人が多いけれど、個人的には分かりやすい形で提起する、ということは重要ではないのだろうか、と思う次第。

★★★☆


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TBありがとうございます (竹花)
2006-02-16 13:47:11
はじめまして、竹花と申します。

TBありがとうございました!



こちらからもTBさせていただきます。



>問題提起型映画には「底が浅い」という評価を下す人が多いけれど、個人的には分かりやすい形で提起する、ということは重要ではないのだろう



そのとおりだと思います。
返信する
Unknown (ジョニアツ)
2006-02-16 15:02:16
TBありがとうございます。

スピルバーグはときどき社会派作品を発表しますね。

最高のエンターテインメント監督であるにも関わらず、

最高の社会派監督のひとりでもある彼に感服です。
返信する