ニュースの中のJW

WEB上のニュースや新聞などで扱われたエホバの証人のニュースを取り上げます。シリアスな話題から笑えるニュースまで。

ジョージタウン大学病院の無輸血治療プログラム 2

2012-04-21 21:56:52 | 医療系
2011年5月、エホバの証人の医療機関連絡委員会(HLC)のメンバーに対して、ジョージタウン大学病院から様々なレクチャーが行われました。

新しく始まった無輸血治療プログラムについて、その内容に大きく関わってきたエホバの証人のHLCを招いて説明を行っています。

前回、2月に書いた記事では医学部副学部長スティーブン・エバンスからの包括的なレクチャーを取り上げました。

→ ジョージタウン大学病院の無輸血治療プログラム 1

その後、メディカル・ディレクターのマーク・ザワイドスキーからの話があり、それを記事にする予定でしたが、より面白いと感じた3人目の話し手である、ナース・コーディネーターのリチャード・バーストレイトを今回の記事にしたいと思います。最初物語風にしようと思ったのですが、時間がなかったので彼の話をそのままスクリプトにしました。ちょっと長いですが、内容は興味深いものです。

ナース・コーディネータは、患者の入院前後のマネージメントや、患者さんや家族とのコミュニケーション、手術日程の調整など、手術前後の重要なプロセスを担当します。リチャードの話は大変面白く、聴衆を引き付けるもので、高いコミュニケーション能力が伺えました。

■時間を巡る旅

リチャードはこの講演を「時間を巡る旅」と名付けました。アメリカでどのように無輸血医療が進化してきたのかを話します。(リンク先のビデオは18のシーンごとに分けられているので、その通りの順序で翻訳しておきます)→ そのビデオのページYoutube版

1.時間を巡る旅

前の講演者はこのプログラムの詳細を話しましたが、私は少し違う方向から話をしたいと思います。このプレゼンテーションを私は「時間を巡る旅」と名付けます。無輸血治療がこの国でどのように進化してきたのかをお話いたします。

2.タイムカプセル

では、タイムカプセルを開けてみましょう。無輸血治療プログラムについて、過去に何が起こったのか、現在何が起きているのか、そして将来には何があるのでしょうか。


3.最初に無輸血で手術を行った医師

HLCがジョージタウン病院にやって来て麻酔科で講演を行った時、マイク・ランドオフが私の前に立って聖書から始めました。

「誰が一番最初の麻酔科医か分かりますか?」と彼は言いました。
「マイク、ぜんぜん分からないよ」と私は言いました。
(聴衆から笑いが起こる)
「それは神ですよ」と彼は言いました。
「ああ・・・そうですね・・・。」と私は思いました。

それで、私がこの無輸血治療プログラムを組み立てている時に、このように考えました。

「だれが、最初の無輸血手術を行った外科医だろうか?」

(聴衆に話しかける)
それが誰か分かる方いますか? 
誰でも良いです。
いや、これはまあ、私がやりましょう

それで、私は「それは一体誰だろう」と考えていました。
一体それが誰なのか見つけたいと思い、図書館に行きました。

そして、それが誰かついに見つけました。
そして、これがその人です。


(会場笑いの渦)

ちょっと、この彼のことを考えてみてください。

いままで、マッコイ・ボーンズ医師が「スタートレック」の話の中で、血液を使って手術をしているシーンを見たことがありますか?いいえ、一度もありません。すべての手術は無輸血で行われました。それで、私たちは、彼に最初に無輸血手術を行った人物という名誉を与えたいと思います。

4.無輸血治療プログラムの発展

では、無輸血治療プログラムの発展について話を進めていきましょう。

アメリカで無輸血治療のプログラムが始まったのはいつでしょうか?
皆さん、いつだと思われますか?

(聴衆を見回す)
1987年と行ったのは誰です? 
誰か言いましたね。
あなたには賞がありますよ。ただで手術を受けられます。
(会場大笑い)
アベンス医師からのね。
彼はこの話の後であなたに証明書を作ってあげます。

(話戻る)
最初の無輸血治療のプログラムは1987年、シカゴにあるOur Lady of the Resurrection Medical Centerで創設されました。その後、1990年代の終わりまでに52のプログラムが全米にありました。さて現在、いったいいくつの無輸血プログラムが存在しているでしょうか。

(客席ざわつく。誰かが数字を言う)
皆さんは答えを何でも知っているんですね・・・。
そうです、約200ものプログラムが全米で存在しています。
なんと多くのプログラムが存在しているのでしょう。

ここ(ワシントンDC)は、無輸血治療プログラムを持つことになる最後の大都市圏であり、私たちジョージタウン・ホスピタルでそれが行われるのは非常に素晴らしいことです。

5.発展と実施

これは私の家のネコ、シューリオですが、彼が、私がここでナース・コーディネーターの仕事を得たことを聞いた時、「おめでとう」と言って手をたたいてくれた時の写真です。


(会場大笑い)

それで、私はこのプログラムでナース・コーディネーターの仕事が出来ることに胸を躍らせています。

私は、輸血保存に情熱を持っています。私がホスピタルセンターにいた時ですが、心臓の冠動脈バイパス手術を受けるエホバの証人の患者を受け持っていました。私は、この患者をどのように扱ったら良いのか全く分かりませんでした。

「一体何が出来るだろうか」と考えました。

血を全く与えない・・・。
OK、でも他には何が出来るだろうか?

その時、無輸血治療プログラムはそこにはありませんでした。

それで、私がそのプログラムを作りました。
興味深いことに、私が夜勤の時がありました。
その翌朝、神の偉大な業が行われました。自宅に戻ってベットに入ろうとしたところ、エホバの証人が家にやってきました。彼らは家のドアをノックしました。

(会場大笑い)

「どなたですか」と聞きましたら、「私たちはエホバの証人です」と答えました。

「どうぞ入ってください!!!」(と大声で言いました)

私はあんなに喜んだ顔をこれまで見たことがありません。

(会場大笑い)

こういう訳で、私はエホバの証人(彼はウィットネス・コミュニティーという言葉を使っている)と関係を持つようになっていきました。

私はこう言いました。

「あなたの宗教がどうして輸血を受け入れないのか教えて下さい」

彼らはすべて教えてくれ、キャン・ピックニーと連絡を取れるようにしますと言ってくれました。
キャンを知って6年程になりますが、彼はその間、いろいろな情報の源となってくれました。

しかし、私が、このプログラムを開発して来ました。
私は、ホスピタル・センターの外科医たちに言いました。

そのホスピタルセンターの心臓外科医たちは多くのエホバの証人の手術を経験していました。彼らは、証人のために、非常によいプログラムを持っていました。

血液保存プログラムを持つのはどうでしょうかねと言いました。
そして、彼らすべての前で話しをしました。
そして、私が最初に彼らの前で話をした最初のナースとなりました。
私たちは血液保存プログラムが必要だといったのです。

それから、私がこれを発展させました。
プロフュージョンのチーフと私のメディカル・ドクター、ルイスと一緒に向こうで発展させました。

私たちは病院の手術のやり方を変えました。
証人たちに対してするようなやり方に変えたのです。
すべての人に対して手術のやり方を変えました。

それで、私はここに今いることに大変わくわくしています。


6. 3つの重要な出来事

私は、歴史の中で3つの主要な出来事を取り上げてみました。無輸血治療に関してこれらの出来事はどれほどのインパクトを与えてきたのでしょうか。

最初のものは、JWがホスピタル・インフォメーション・サービスを発足させたということです。

すごいことです。彼らがやってきて、医療界に対して、
「私たちはドクターを探しています。だれが私たちと働いてくださいますか?」と言いました。
「だれが、私たちの宗教的信条に対して共に働いてくれますか?」 と言ってきたのです。
それで、「私がそれをやりたい」といいました。
すごいことでした。

次の点は、デントン・クーリー医師です。
皆さんのほとんどは知らないかもしれませんが、彼は最初に無輸血心臓手術を発展させた人です。彼はテキサスにいました。彼は、無輸血の外科手術を発展させる最前線にいました。

そして、もちろんエイズの流行です。

この3つについてもう少し解説してみたいと思います。
無輸血治療の発足に関係したいくつかの歴史的な出来事をお話いたします。

8. ホスピタル・インフォメーション・サービス

明らかなことですが、HISは最初、輸血の代替医療について、医師たちを教育することに力を注いでいました。
外科医たちは、そのような方向では考えていませんでした。

「エホバの証人の治療のための研究に基づいた臨床的な戦略の発展」という小さな冊子は大きな助けとなりました。

それは私たちの部署の助けとなりました。それは素晴らしいことでした。
しっかりと研究に基づいており、私たちの手術のやり方を変えました。

いまや、無輸血治療プログラムというのは、アメリカ全土で標準的な治療方法となりつつあります。

9.コーリー博士の研究

彼は1967年に、エホバの証人と複雑な冠動脈大動脈バイパスに関する研究成果を発表しました。
心臓外科手術、これは、数ある手術の中で最も血液の損失が起こる手術です。

その後、1977年、彼は本を出版しましたが、そこには500件以上の証人に対して彼が行なった手術のことが書かれていました。

彼は、まったく違いがないことを発見しました。
輸血を受け入れなかった証人たちが、より死亡するということはありませんでした。
コーリー医師は、証人たちへの治療において、より細心の注意を払ったのです。

その時代、もしあなたが心臓外科医に行ったなら、この国のほとんどの外科医はこういったでしょう。
「あなたが血液を受け入れない限り、手術は行いません」

しかし、彼は手術をしたのです。
彼は本当に手術に対する考えを変える最前線にいました。
「はい、私たちはそれが出来ます。その手術をあなたたちにやってあげることが出来ます」と言いました。

10.エイズの流行

そして、最後の点はもちろん、エイズの流行です。

エイズの前には、この国中の人々の意識のようなものでしたが、血液は命を救うとみなされていました。
エイズの流行によって、人々はそれが常に真実ではないかも知れないと思うようになりました。

それは私たちの考え方を変えましたし、人々はそれを恐れるようになりました。

その流行がまさに起こっている時に、私はテキサスの病院で働いていました。
その時、私たちのうちの1人の麻酔科医がエイズで亡くなったことを知りました。
彼は、5000件もの手術を受け持っていました。
病院は5000人すべての患者に連絡を取り、「病院に来て下さい。エイズの検査をします」と言いました。
私は血液を使用した人々の検査を手伝っていましたが、人々は本当に恐がっていました。

人々は私に聞いてきました。
「私は死ぬのでしょうか」

私にもわかりません。
私たちもとても恐ろしかったのです。
それはエイズのためでした。

何が起こったでしょうか。
献血が減少しました。
今、私たちは献血が引き続き減っている一方で血液の使用量は上がり続けています。供給が減っているのに、需要は増えています。

これでは、うまく行くはずがありません。

11 それから

ドクターコーリーは、リスクの高い心臓外科手術を成功させるという挑戦を受け入れ、証人たちに手術を行いました。
1980年代までにはゆっくりと、血液マネージメント治療が発展していきました。さらなる手術の選択肢、が証人の社会で利用できるようになってきたのです。
しかし、まだはっきりとした無輸血治療プログラムがこの国には存在していませんでした。

12 今-その結果

無輸血治療は医療行為へと変わってしていきました。
今、ほとんどの主要な外科手術は無輸血で行うことが出来ます。
心臓手術、整形外科、婦人器官、肝臓手術や臓器移植すら可能です。
現在でも挑戦となっているのは血液腫瘍の分野ですが、多くの調査がなされており、ある分野では無輸血で手術が行われています。

13.益

どんな益があるでしょうか。

ここで皆さんに知っていただきたいのは、エホバの証人が、私たちの理解を深めるために大変多くの助けとなってきたということです。
医療文献の中で大きなインパクトを与えてきました。

証人たちが我々に与えてきたいくつかの益はのひとつは、輸血マネージメント治療が発展したということです。



それは、毎日の外科手術のなかで標準的なものとなりました。
この戦略は大変大きな益を与えています。
病院がそれに対する理解を持つことによって、輸血の量が激減しました。
毎回の輸血で、$1,000ものコストが病院側に発生します。
もし、毎月1,000件の輸血を行えば、それは大変な額になります。
病院は、膨大な額を支払っているのです。

14.医療文献に対する証人たちの貢献

それで、無輸血治療の発展を含むエホバの証人の貢献により、高度の貧血に体が耐えられることについてよく理解出来るようになりました。
それは非常に興味深いことです。
私は、非常に低いヘモグロビンで体がどのように反応するのかということにとても関心があります。

証人たちのために、無輸血治療プラグラムを徐々に私たちは採用していった訳です。
私たちは患者の権利の問題についても理解を深めました。

15.感謝

皆さんが医療界の一部として大きな貢献をしてきたことに感謝を述べたいと思います。

16 未来

無輸血治療は、世界中で急速に標準的な医療行為となりつつあります。
患者の血液マネージメントは標準的な治療ともなるでしょう。
無輸血治療と手術プログラムは拡大していくでしょう。
ジョージタウン大学病院のプログラムは、皆さんのためにあります。


17. 新たな旅が始まる

今日、私たちは新たな旅行を始めました。
皆さんが、これに参加してくれることを期待しています。

ハイ・ファイブをもらっていいでしょうか!



※ ホスピタル・インフォメーション・サービス(HIS)については、1996年の年鑑22-23Pに詳しく載せられています。
※ 医療機関連絡委員会(HLC)については1993年の目ざめよ誌11月22日号24P-27Pに書かれています。