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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印  デビット・カン講演5

2012年06月20日 | 日記



   ひまわりさんより(6月20日)

今日は、ハワイでの礼拝奉仕に行っていた両親が帰ってくる日でした。
高齢の父母に、私たちが引っ越すことをどう伝えたらいいか、この2週間悩みながら祈っていました。
仕事が終わる前に、電話をして、疲れているかもしれないけど、
大事な話があるから起きていてほしいことを連絡しておいて、夫と共に話をしました。
すると意外なことに、「私たちもあなたたちを頼らないで、自分たちで頑張らなきゃね」と冷静に、
前向きに受け止めてくれたのです。そして、新しい家についていろいろ話していたら、
見に行こうということになり、出かけてきました。
父も母も新しい家をすごく気に入ってくれて、父は「最後はこういう家に住みたかった」と言って、
自分たちも引っ越してきそうな感じでした。
母は、集会ができる部屋があることを知って、こういう所で「霊とまこと」の落ち着いた礼拝がしたいと言っていました。
本当に案ずるより産むがやすしで、すべてが神様のお導きと感謝しました。

   永遠の福音を語れない(デビット・カン講演5)

ある時私は、我慢ができなくなりました。教会が、教会員が、講壇から私が説教することを禁じたのです。
デビット・カンを教会に呼んではならない、というお達しが出ました。
まずは彼の教えを、しっかりと検証しなくてはいけないということになったのです。
ある安息日の朝、私は目覚めて家内に次のように話しました。
「今日はどの教会に行ったらいいのだろうかね」。
当時私は、教団のテレビ伝道者として勤めていました。
他の説教家や伝道者を批判するつもりはないんですけれど、私が任命されるその前に行われていた、
アドベンチストのテレビ番組には、本当のアドベンチストのメッセージが語られていなかったのです。
他教派のクリスチャンに、何のインパクトも与えていなかったのです。
そして、テレビ放送を中止するというところまで来ていました。その頃私が呼ばれたわけです
。そして、神様の愛によって、この番組が勢いを盛り返してきたのです。
テレビ放送で、私は率直な証しを語り始めました。セブンスデー・アドベンチストの教理ですね。
永遠の福音を含んでいる教理です。




生ける神の印  デビット・カン講演4

2012年06月19日 | 日記



   ひまわりさんより(6月19日)

今日は訪問リハの管理者訪問で、ある筋ジストロフィーの青年のお宅へ伺いました。
その人は、動けない、しゃべれない、自分で呼吸することもできない状態なのですが、
すごく豊かな表情をしていて、柔和そのものの笑顔で迎えてくれました。
彼のお父さんは、公務員の仕事を早期退職し、彼のために、病院のような家を造り、
介護に専念しておられるそうです。彼が、そのお父さんを見る目は信頼に満ちていて、
お父さんが大好きということが良く伝わってきました。
また、お父さんが息子を見る目は、本当に、慈しみ深いという表現はこういうものではないかと思わせられました。
結局、何にもなくても、その人は一番大切な、一番必要なものを持っておられる、と、そういう思いがしました。
別れ際に、私は、思わず、「今日はお会いできてうれしかったです」と、20歳の子に敬語を使ってしまいました。
「会えてうれしかったです」などとは言えない、敬語を使わなければならないような、
そういう崇高なものを持っている方でした。
職場へ帰ってきて、スタッフにその話をしたら、「わかるような気がします。その気持ち・・・」
と言って目に涙を浮かべていました。

   塵に伏させられる経験(デビット・カン講演4)

神様は、私が生まれつきどんな人間かということをよくご存知でしたので、
私がありとあらゆる試練、迫害にあうことを、あえて許されました。
特に私がこよなく愛していた教会から、教会内でそういった苦しみを受けました。
私の親しい友人、親しかった牧師仲間たちが、急に私に反対して、私の最も苦い敵となってしまったのです。
理解できませんでした。どうして私にそのようなことが起こるのか。
セブンスデー・アドベンチストの本当のメッセージ、真理を発見して間もなく、
セブンスデー・アドベンチストの信者や指導者たちが私を憎むようになっていたんです。
私はかつて人気のある人間でした。敵は作らない人間でした。作るのは大嫌いでした。
しかし福音を語り出して以来、私は孤独の道を歩き始めることになったのです。
そして、イエス様の十字架を負うということが理解できるようになりました。
神様は私を「塵に伏させる」ような経験をさせられたのです。塵に伏させて、
人に踏みにじられるような経験をさせられました。




生ける神の印  デビット・カン講演3

2012年06月18日 | 日記

ひまわりさんより(6月18日)

今日も引越し先の整理に出かけてきました。
仕事場から25分ぐらいで、今までと比べるとずいぶん時間はかかりますが、
それほど遠いという感じではないように思いました。
そして何より、新しい家は、家具や調度品が素晴らしく、また、収納もたっぷりで、
本当に私たちにはもったいないほどの家となっています。私は、最初に引越しの話が出た時は、
思わず不平を言いそうになりましたが、聖書には「つぶやくな」「疑うな」とありますので、
不満を口にしないようにしていました。結果的には、
今の家よりはるかに良い家が与えられて、不満を口にしなくてよかったと思いました。

  心の変化(デビット・カン講演3)

ところが福音の経験にあずかって以来、私は、自分の肉の思いを神様にささげる、
神様に屈服させることについて学ぶことができたわけです。妻に対しても自分を譲るといいますか、
そういったことを学ぶことができました。若い頃は、私は37年前に結婚したのですけれども、
その時私は、まあ、一生私にかしづいてくれる僕ができたぞという思いでした。母親も私の4人の姉妹も、
私に仕えていてくれたのです。妻として私に仕えてくれる人がもう1人増えたぞと思ったわけです。
そのような生き方を、神様のみ前で悔い改め、罪を告白し、神様に屈服してからは、
妻に対しても屈服することができるようになりました。





生ける神の印  デビット・カン講演2

2012年06月17日 | 日記


    ひまわりさんより(6月17日)

今日は、新しい家の掃除と、使わない荷物の半分を引越しすることにしました。
朝早くから、流山に住んでいる長男も手伝いに来てくれ、二男は学校から2トントラックを借りてきて、
荷物の積み出しを行いました。子供たちは、引越しのアルバイトをしていましたので、
さすがに、ポンポンと荷物を運び出し、手際よく片づけていってくれました。
私は、今の家の荷物ぐらいなら一人でも引越しできるぐらいに思っていたのですが、
4年半住んでいる間に、たくさんの荷物になり(大半は二男のものでしたが)、
少し運ぶとすぐに息が上がり、子供たちの仕事を見る方になってしまいました。
いつの間にか、子供たちはたくましくなって、たのもしくなったなあと感心しました。
離れて住んでいる長男は、新しい家をとても気に入ってくれ、「これは神さまだねー。ここで集会ができるといいね」
と言ってくれました。これから先神様のお導きがどうなるのかわかりませんが、
新しい家で、「霊とまこと」に満ちた礼拝が捧げられるなら、こんなにうれしいことはありません。

 かつての私(デビット・カン講演2)

私はかつてはとても高慢な人間でした。
何をやっても自分は一番になれると思っていたことがありました。
家族の者から、また教会員、友人たちから、たくさん称賛されていました。
教会では牧師として働いていましたので、学校等でもいろんな会議の議長とかに任命され、
そういったいろんな責任を負わされていたわけです。そして、聖歌隊ではいつも指揮者に選ばれていました。
何をやっても、人よりすぐれた人間として目立っていたわけです。必然的に私は、高慢な人間になっていきました。
教会員が私のところに来て、「誰々先生の説教を聞いたことがありますか」、と尋ねられたことがありました。
「素晴らしい説教をなさる方がいますよ」とかそういう話を聞くと、わたしは嫉妬の念にかられるわけです。
いつも自分が一番になりたかったのです。




生ける神の印  デビット・カン講演

2012年06月16日 | 日記




   ひまわりさんより(6月16日)

今朝は、引越し先の部屋の使い方や整理する方法について、同居の二男と意見が違い、
一瞬ムッとしてしまいました。私は、この部屋にはこういうものを置き、ここはこうする、という考えがあったのですが、
息子には息子のやりたいことがあって、それがぶつかってしまったのです。
そのとき私は、「ああ、息子は自分とそっくりで、絶対自分の思いを通そうとする、
そういう生き方を自分もしてきたのだなあ」と感じ、
反省し、30年以上生きてきた自分がそういうことにとらわれない生き方をしなければいけないと思いました。

  デビット・カン講演 生ける神の印
 本当の福音を語った結果(デビット・カン講演1)

イエス・キリストは、この世の何ものにも勝るお方であります。
私がこの自給伝道の道に入った頃でありますけども、私は自分がどういう世界に入っていっているのか、
自分では全くわからない状態でした。私はSDA教団の中でだけ教育を受けたものでありました。
教会牧師として、教団から給料を受け取って働くということ以外の経験をしたことがなかったわけです。
教会の牧師として働くということは、給料はもらえますし、いろんな補助もありますし、働き自体は比較的簡単なんです。
私の家内は看護師でありました。彼女は牧師の娘だったんですね。義理の父は永年教会の出版事業の責任も持っていました。
そして、とても忠実な牧師でありました。そのような父を持った私の家内は、伝道の働きをすることについては、
家庭で訓練を受けている女性であったわけです。
神様が、私に真の福音の経験をさせてくださってから、本物のアドベンチストのメッセージを語り始めたわけです。
本当の福音ですね。イエス様がまもなくおいでになるというので、教会員に悔い改めを呼びかけたわけです。
率直な証しを語るようになりました。教会内の特定の罪や問題なども、ズバリ指摘するようになりました。
それから私は、様々な非難、迫害などを受けるようになっていったのです。