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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約(デビット・カン講演40)

2012年06月15日 | 日記



ひまわりさんより(6月15日)

今日は黙示録14章6節の[永遠の福音]について学びました。
永遠の福音とは、私たちの世界に永遠をもたらす(永遠に有効な)福音ということです。
神様の愛によって、永遠の存在として作られた世界が、有限なものになったのは、罪の結果でした。
ですから、永遠は、罪が消滅しない限り訪れないのです。つまり、永遠の福音とは、
罪を犯しては赦される生活の繰り返しということではなく(それは必要なかていですが)
最終的には、罪に終わりを告げ、罪にうち勝つ力を与える福音です。私たちは、エノクや、
エリヤのように、信仰によって、生きて天にあげられる聖徒としての歩みをする特権がゆだねられているのだと思います。
このことを知って、私は深い感動に満たされています。


永遠の福音・・・罪を犯せない生活(デビット・カン講演40

ヨハネ第一の手紙3章8節9節を読みましょう。何と書かれてありますか。
「私たちは罪を犯すことができない」とまで書かれています。罪を犯すことが不可能になるわけです。
それが福音の力であります。神様の恵みによる福音の力であります。なぜなら、今は印する時でありますから、
今こそこの経験に入る時であります。

お祈りいたします。
天のお父様。私たちはその経験をいただきとうございます。新しい契約の経験をいただきたいと思います。
父なる神様、私たちに新しい心を与えてください。あなたの聖霊を私たちにお造りください。
真の永遠の福音を経験したいと思います。イエス様、私たちは罪を憎み、義を愛します。
この新しい契約を、心に維持することができるように助けてください。あなたの素晴らしい救いを感謝いたします。
イエス様の御名を通してお祈りいたします。 アァメン

これでデビット・カン先生の『二つの契約』のメッセージを終わります。
次回からはまた、新しいテーマでメッセージをお届けします。



二つの契約(デビット・カン講演39)

2012年06月14日 | 日記


     ひまわりさんより(6月14日)

今日の日課の言葉を紹介いたします。「救いにあずかる人々に奉仕する神の御使いたちは、
あなた方が自分たちの家族を天の家族のひな型にしようとするのを助けてくれます。
家庭の中に平和があるようになさい。そうすれば、教会の中も平和になります。
(家庭から)教会の中に持ち込まれるこの貴重な体験は、お互いのやさしい思いやりを育てる手段となるでしょう。
争いはなくなります。教会員相互の間に、クリスチャンとしての真の礼儀が見られるようになります。
世の人々は、彼らがイエスと共にあって、イエスから学んだものたちであることを知るでしょう。
もしすべての教会員がクリスチャン的な生活を送るなら、
教会は世に対してどんなにかすばらしい印象を与えることでしょう」。 
私は、聖所の勉強を通して、これが三天使の使命であり、
これを宣べ伝えなければならないのだということは自覚したのですが、
この日課の言葉を読んで、さらに、家庭が聖所であって、家庭が聖所にならなければならないのだと思いました。
そして、家庭が聖所になるには、心の宮にイエス様が住んでくださって、
心が聖所にならなければならないのだと思わされました。


     罪を憎む新しい契約 (デビット・カン講演39)

私たちが十字架のもとに立つとき、そこで、何が起こったかということを知るとき、見る時に、
イエス様が、どのようにして私の罪を許してくださったかということを理解するときに、
私たちは新しい契約の経験に入るのであります。その時私たちは、罪を憎み始めるようになります。
罪がどんなことを私にするか、どんな害を及ぼすか・・・私たちを破滅させてしまうのです。
そのことを知るようになります。罪が私たちの道徳心を破壊させ、破滅させます。
私たちの幸福を台無しにしてしまいます。心から平安を追い払ってしまいます。
私たちを邪悪なものにしてしまいます。ですから、私たちは罪を憎むようになるべきなのです。
これが新しい契約なのです。これが神の戒めを守る経験であります。




二つの契約(デビット・カン講演38)

2012年06月13日 | 日記



   ひまわりさんより(6月13日)

5月7日に紹介した、通勤途中にあるユリの花畑が咲き出しました。
今日、帰りがけにカメラで写させてもらおうと思って、自転車を止めたら、
ちょうど社長さん(実際は会長でした)の姿が見えたので入らせてもらうと、
それはそれは素晴らしいユリの花群れでした。
正確には、47種類3万本のユリなのだそうです。それも全部会長さんが一人で植えられたそうで、
その熱意に驚きました。まだ全体の1割も咲いていませんが、
それでも数百本の赤や黄色、白、オレンジのユリには圧倒されました。
花を見ていたら夫も通りかかって、私の自転車を見つけ電話してくれて、一緒に見ることができました。
夫は、来週の後半に、デイケアの利用者様を連れて、見に来る計画を話していました。
(上の写真は花畑のものではありません)

 少年時代の思い出 8 (デビット・カン講演38)

その時私は、自分が全く変えられたように感じました。その時このように感じたのです。
「どうして自分はこんな素晴らしいお母さんを、これ以上悲しませることができるだろうか。
そんなことは間違っている。もう二度と再び、彼女を悲しませたり、傷つけたりすることはできない」と思いました。
その時以来、私は戦争ごっこが大嫌いになりました。
そして、母親に従うことを、心から喜ぶようになりました。
彼女は愛を通して、新しい律法を私の内に書きつけてくれたのです。
それが私にとって新しい契約の経験でありました。
「息子よ、お前は戦争ごっこをしてはならない」 これも愛のゆえだったんですね。
私はその時、喜んであのゲームは二度としませんと言いました。
これが新しい契約の経験でした。それ以来私は、二度とあのゲームはしなくなりました。





二つの契約(デビット・カン講演37)

2012年06月12日 | 日記



    ひまわりさんより(6月12日)

もうすぐ新しい家に引越しとなります。
今度の住まいには、鉤型になっていますが、15坪ぐらいの事務所が併設してます。
床も壁もとてもきれいで、もしかしたら10数人が入れる礼拝の場所になるかもしれないと思っています。
私たちの希望は、両親の近くである、現住所にずっと住み続けることでした。
しかし、全く自分たちの希望とは別に、押し出されるように新しい住まいに、
急に引っ越すようになったというのは、何か神様のご計画があるとしか思えません。
もしかしたら、そこで、少人数でも、「霊とまこと」の礼拝を捧げるように、
導かれているのではないかと思ったりしています。
そういえば夫は、半年ぐらい前から、「『わたしについてきなさい。
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』(マタイ4:19)という思いが浮かんでくるんだけど何だろう」と言っては、
「I will make you fishers of men fishers of men if follow me」という子供讃美歌を歌っていました。
神様の御心が何であるかわかりませんが、まず、今できることを着実にやっていきたいと思います。

    少年時代の思い出 8 (デビット・カン講演37)

父は私が一人息子だったので、厳しく育てていたのです。
私を甘やかさないようにしていました。
ところが、母は父に対して、今日起こったことを言わなかったのですね。
「特別変わったことは起こりませんでしたよ」。
そして家族全員でお祈りをして食事が始まったのです。私は食べ物を飲み込むことができなかったのです。
食べようとしたんですけども飲み込むことができないんです。何かが出てきそうなんです。
もう喉が詰まりまして、箸をテーブルに置いて、スプーンもテーブルに置いて、泣き出したのです。
私はシクシク泣き始めました。「デビット、どうしたんだ」と父に聞かれました。
「いいえ・・・別に・・・何も・・・」と答えました。
私がなぜ泣いたかご存知ですか。自分が石を当てた女性に対して、すまないと思っていたからではなく、
もちろん、すまないと思いました。
でもそれが泣いた理由ではありませんでした。
もうそろそろ父親から罰を受ける、それが怖くて泣いたわけでもありません。
母の愛に圧倒されて私は泣いてしまったのです。
「どうして、そんなことができたのだろう。どうして、あんなふうに私を許してくれたんだろうか」。
自分が間違ったことをしたのを知っていました。母との約束を守れなかったんですね。
でもどういうわけか私の心の中で、あるものが変えられてしまったのです。





二つの契約(デビット・カン講演36)

2012年06月11日 | 日記




 ひまわりさんより(6月11日)

昨日熊本から帰ってきましたが、熊本では、夫の運転で阿蘇山に登ってきました。
熊本には何度も行っていましたが、実は私は阿蘇山は初めてでした。
火口近くから、ロープウエーに乗りましたが、周りは韓国からのツアー客ばかりで、
アナウンスも韓国語、中国語、日本語で、火口付近では韓国語が飛び交い、
日本ではないような感じがしました。
阿蘇山では、ものすごい自然のエネルギーを感じ、その大きな自然の前では人間は本当にちっぽけな存在だと思いました。
そして、そのようなちっぽけな存在である人間のために、
全能の神様が深く関わってくださっているのは何と恐れ多いことだろうと、感動しました。


   

少年時代の思い出(デビット・カン講演36)

母について家に入りました。母は、「姉たち、妹たちを呼びなさい」と言いました。
それで、姉妹たちを呼びまして、食べる部屋に入ったんです。
すると、そこのテーブルには、私の好物のものばかり並べられていたんです。
私が恐ろしくて、木の陰でビクビクしながら隠れていた間、母は私のためにおいしい料理を作ってくれていたのです。
私には理解できませんでした。そして、お祈りをしようとしていたちょうどその時、ドアのベルが鳴ったのです。
その日、いつもより早い時間に、父親が帰宅してきました。
父は部屋に入ってくると、母に向かって「お母さん、今日は万事何もなくよかったかい?何か起こったかい?」
と聞いたのです。私は父の質問を聞いて、「もうだめだ」と思いました。