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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印  デビット・カン講演4

2012年06月19日 | 日記



   ひまわりさんより(6月19日)

今日は訪問リハの管理者訪問で、ある筋ジストロフィーの青年のお宅へ伺いました。
その人は、動けない、しゃべれない、自分で呼吸することもできない状態なのですが、
すごく豊かな表情をしていて、柔和そのものの笑顔で迎えてくれました。
彼のお父さんは、公務員の仕事を早期退職し、彼のために、病院のような家を造り、
介護に専念しておられるそうです。彼が、そのお父さんを見る目は信頼に満ちていて、
お父さんが大好きということが良く伝わってきました。
また、お父さんが息子を見る目は、本当に、慈しみ深いという表現はこういうものではないかと思わせられました。
結局、何にもなくても、その人は一番大切な、一番必要なものを持っておられる、と、そういう思いがしました。
別れ際に、私は、思わず、「今日はお会いできてうれしかったです」と、20歳の子に敬語を使ってしまいました。
「会えてうれしかったです」などとは言えない、敬語を使わなければならないような、
そういう崇高なものを持っている方でした。
職場へ帰ってきて、スタッフにその話をしたら、「わかるような気がします。その気持ち・・・」
と言って目に涙を浮かべていました。

   塵に伏させられる経験(デビット・カン講演4)

神様は、私が生まれつきどんな人間かということをよくご存知でしたので、
私がありとあらゆる試練、迫害にあうことを、あえて許されました。
特に私がこよなく愛していた教会から、教会内でそういった苦しみを受けました。
私の親しい友人、親しかった牧師仲間たちが、急に私に反対して、私の最も苦い敵となってしまったのです。
理解できませんでした。どうして私にそのようなことが起こるのか。
セブンスデー・アドベンチストの本当のメッセージ、真理を発見して間もなく、
セブンスデー・アドベンチストの信者や指導者たちが私を憎むようになっていたんです。
私はかつて人気のある人間でした。敵は作らない人間でした。作るのは大嫌いでした。
しかし福音を語り出して以来、私は孤独の道を歩き始めることになったのです。
そして、イエス様の十字架を負うということが理解できるようになりました。
神様は私を「塵に伏させる」ような経験をさせられたのです。塵に伏させて、
人に踏みにじられるような経験をさせられました。




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