一昨夜のテレビ、田部井淳子(77)さんの死を知り、昨日は新聞で、今日は福島民報あぶくま抄に載り、その悼みを痛感している。やはり死因は登山家らしく腹膜がんで、今年7月には富士登山をしているタフな精神力は感服していた。
女性初のエベレスト登頂に35才で成功した田部井さんが、小学校3年で、那須の茶臼岳へケーブルカーで、初めて登ったことを話していた。中高生の時、兄に連れられて、安達太良、吾妻山に登り、人の足で一歩一歩登らない限り頂上には着かないと。行くたびに達成感と雄大な景観に感動した。
三春生まれ田村高から昭和女子大へ、社会人の山岳会でトレーニングを積み、女性だけで外国の山へとクラブを創設、平成4年には女性で世界初の七大陸最高峰登頂を果たした。
平成3年には福島県民栄誉賞第1号を、埼玉県や川崎市からも栄誉賞を受けている。
震災復興の支援活動にも力を注ぎ、県内の高校生らと富士登山をしたり、北塩原で「子供自然体験学校に参加したりと、地元友人が「心の強い女性」だったと語らせる人で、飾らない人柄が凍った心を解かしてくれた。
数々の記録を打ち立てた開拓者淳子さんは、家庭と仕事を両立させたお手本でもある。歩くことが生きることであるという人生観に涙がこぼれる。写真は偲んでシュウメイギク。
女性初のエベレスト登頂に35才で成功した田部井さんが、小学校3年で、那須の茶臼岳へケーブルカーで、初めて登ったことを話していた。中高生の時、兄に連れられて、安達太良、吾妻山に登り、人の足で一歩一歩登らない限り頂上には着かないと。行くたびに達成感と雄大な景観に感動した。
三春生まれ田村高から昭和女子大へ、社会人の山岳会でトレーニングを積み、女性だけで外国の山へとクラブを創設、平成4年には女性で世界初の七大陸最高峰登頂を果たした。
平成3年には福島県民栄誉賞第1号を、埼玉県や川崎市からも栄誉賞を受けている。
震災復興の支援活動にも力を注ぎ、県内の高校生らと富士登山をしたり、北塩原で「子供自然体験学校に参加したりと、地元友人が「心の強い女性」だったと語らせる人で、飾らない人柄が凍った心を解かしてくれた。
数々の記録を打ち立てた開拓者淳子さんは、家庭と仕事を両立させたお手本でもある。歩くことが生きることであるという人生観に涙がこぼれる。写真は偲んでシュウメイギク。