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安積艮斎の文才的側面

2016-10-13 09:05:38 | 問題
10/13今朝の福島民報あぶくま抄で、郡山市が生んだ江戸時代の儒学者に安積艮斎がいる。幕府の昌平坂学問所教授など勤め、三菱創設者岩崎弥太郎ら多くの門人を輩出した。だが、文豪としての側面はあまり知られていない。


学生時代に私も、郡山で安積艮斎豆に出会い、その袋に艮斎が江戸への長旅で袖に忍ばせ食べたという甘塩豆であると知ったことで、少しは艮斎について知ってはいたが、紀行文や漢詩では日本八大家と称されたという。

時代は下がっても、菊池寛は「その言説は儒学者としての人生観は堂々たるもの」や久米正雄の記念館ではパネルで紹介しているだけという。

ブリタニカでは、安積艮斎は1791~1861、江戸時代後期の儒学者、名は信、字は思順、通称祐助、幼児二本松藩需今泉徳輔に師事、のち、江戸に出て佐藤一斎の学僕となり、林述斎の門に遊び、1814年神田駿河台に塾を開き、二本松藩校の教授を経て、江戸昌平黌の教授となり、師一斎と共に子弟を育成した。著作「大略」「艮斎文暦」・・「論語び註」など多数出ている。

漢詩などは分からないので、現代人にもわかるように資料館があればと願っている。