ブログ仙岩

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「スーチー」という存在

2015-12-14 10:57:57 | エッセイ
天声人語に、ミャンマー(ビルマ)と聞いて連想する楽器は、日本人なら竪琴であろう。その国に、「水牛のそばで竪琴を奏でる」ということわざがあるのを、あちらの短編小説の翻訳で知った。親身な忠言にも聞く耳を持たない、困った頑迷さをいう。
軍事独裁下のミヤンマーは、頑迷が徹底していた。例えば5年前、自宅軟禁の続くアウンサンスーチー氏が65歳を迎えた。誕生日を前にオバマ米大統領は開放を求めたが、応じる気配は全くなかった。それが今この変わりようである。

米大統領の訪問を、人々は歓呼で迎えた。民主主義の守護者を任ずる国から大統領が来たからには、もう圧政への後戻りはない。民主化のお墨付きと、市民は受け取ったことであろう・・・・。

しかし、スーチー氏は訪問は尚早と案じたそうだ。変革の最も困難な時期は成功が見えてきた時で、蜃気楼に惑わされないように気をつけねばいけないと。

今度の選挙で、国民民主連盟が圧勝したが、外国人の夫を持つスーチー氏は大統領にはなれない憲法がある。

スーチーの父将軍は「建国の父」と慕われる。そしていま、民主化の母となった生まれたばかりの幼子を立派に育てる試練がまつ。

ビルマの首都ラングーンに生まれ、1960年に母親のキンチーがインド大使に着任すると、スーチーは1962-1963年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-1967年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。なお1990年には名誉フェローに選出された。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で研究助手を務めた後、1969-1971年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる経歴を持つ。