これは、昭和11年3月2日付けの大阪朝日新聞です。。昭和11年2月26日に起きた「不詳事件」に対する政府の声明、殺された高橋是清蔵相らの受勲の記事などが大きく出ています。2.26事件が起きたのは。1936年。81年前の今日、2月26日のことでした。
この古新聞は、ひと昔前、東寺の弘法市で買ったものの持て余している、お膳十客の箱からでてきました。処分しようかと、蓋を開けてみたのが、2月20日。
膳の間には何枚も新聞紙が敷かれていて、そのうちの一枚の広告の、小さな挿絵に目が止まりました。見覚えがありました。
入浴剤「旅の宿」の版画家、というよりはデザイナーの作品に違いありません。
といっても、確かめようはないのですが。。。
そうそう、玄関に、氏の作品が掛けてありました。
友人たちからの新築祝でした。はや40年近く前のことになりました。
ギョっとしたのはこの新聞の日付けです。
昭和57年2月20日。。。1982年、つまり、35年前の当日の新聞だったのです。
ガサガサと他の新聞紙も出して日付けを見ると、昭和9年、11年、55年、57年、平成ℬ16年となっていました、
平成16年の新聞紙を入れたのはたぶん私。
お茶道具は伝来が大切と聞きますが、由来のわからない雑器にも歴史があって、その時間の煙が古新聞からたちのぼるかんじでした。 4カ月前、古い新聞紙をまじまじと見なければ、今回、何も気付かず過ぎていたでしょう。
でもねえ。。。気付かない方がよかったかも。。。
、
これ、どうしましょう。。。。
置いとけば? 昨日の新聞も加えて。
このお膳、足は別?
だったらテーブルででも使えるのでは?
形いいし、塗りもいいね。
ようやく身辺整理しています。ほとんんどが、ごみ!桂信子の晩年のかの句のように、、、
うーん。。
なんか使えそうだけど。。。
桂信子の句。どんなの?
あれこれ楽しめました。
そごうがまだ元気な頃の広告ですね。
>入浴剤「旅の宿」の版画家
うーん、確かに原田泰治さんの手になる感じは濃厚ですね。大長崎展という物産展にちなむものでしょうから、長崎の龍踊り(じゃおどり)の絵柄なんでしょう。
そのうち、朝日縮刷版でこの日のページを見てみますが、市販されている縮刷版は東京版最終が掲載されていますので、大阪エリアのこの広告はたぶん載っていないと思います。
朝日の大阪本社とか大阪の大きい図書館に行けば、現物が綴じられているものと思われますが…。
では、また。
どうぞ、お身体、お大切に!
ネットで調べてみますと、この親鸞さんの版画も載ってました。
81年前の日本と今の日本。
怖いほど似ていますね。
親鸞さんにお聞きしたい『「如来誓願」とは』を
「調べる」とは、そういうことなのですね!なるほどです。」仔細に検討することが、手がかりにつながる、可能性の発見になる。。。よっしゃ!
3年後の1939年に第二次世界大戦がはじまったのですね。日本参戦は1941年。
今から5年後、、、私たちどうしているかね!!!
81年前と似ているというのは、怖いね。
「戦争を知らない」私達ですが、「米国と戦争していたことを知らない」学生がいる、と、知人の大学関係者の話でした。
桂信子の句「私の死後、身辺のほとんどはゴミ」という内容の最晩年の句。覚えてないので。富山に帰ったら、調べます。今からボイストレーニング行ってきます。
「忘年や身ほとりのものすべて塵」
(句集「樹影」平成3年 所収)
川名 大(はじめ)著「現代俳句 上」より
声出すの大事だよね。
私、リーディングボランティアのちょっと一服の時に昔買った本を見てみました。