すみさんのコメントを読んで、かんがえました。
と、書き始めたのですが、前半今までの分を削除します。
キーの打ち間違い、内容の稚拙さ。。。
読んでいただいた皆様、すみません。
さて、子規庵での例会の二か月後、この句を新聞に発表する時、子規は前書きを付けました。
庭前
鶏頭の十四五本もありぬべし
これで、鶏頭と子規の位置関係がほぼ明らかになりました。
庭で今を盛りと咲いている鶏頭の群です。
激痛に耐えて臥せっている子規にはどのように見えたでしょう。
「はっきりではないが確かに十四五本はあるはずだ」
このようにあいまいに断定することは、日常にあることのような気がします。
ただ淡々と鶏頭の存在を575でつぶやいている感じです。
読者はポンとなげられたことばを受け取ります。ことばそのものを受け取ります。イメージを受け取るのではありません。
興味深い絵があります。
子規の友人の画家、中村不折が病床の子規を描いたものです。
子規はうつ伏せで絵筆を持ち、枕もとに置かれた植木鉢を描いています。
植木鉢の植物が何か。。。はさだかではありません。すみさんの見た絵のように、鶏頭の可能性もあります。
この植木鉢の植物を私が描くとすれば、きっと、おおざっぱな数をつかもうとするでしょう。
この句に前書きがついていなければ、、句のイメージは大きく変わっていたかもしれません。
庭前か植木鉢か。。。
「十四五本」のもつ意味も、ずいぶんかわるのでしょうね。
絵を描き、俳句を作ることに没頭した子規。。みずから緩和ケアを行っていたのかも。。。
病臥の子規と燃えるような鶏頭の花。。。
と、書き始めたのですが、前半今までの分を削除します。
キーの打ち間違い、内容の稚拙さ。。。
読んでいただいた皆様、すみません。
さて、子規庵での例会の二か月後、この句を新聞に発表する時、子規は前書きを付けました。
庭前
鶏頭の十四五本もありぬべし
これで、鶏頭と子規の位置関係がほぼ明らかになりました。
庭で今を盛りと咲いている鶏頭の群です。
激痛に耐えて臥せっている子規にはどのように見えたでしょう。
「はっきりではないが確かに十四五本はあるはずだ」
このようにあいまいに断定することは、日常にあることのような気がします。
ただ淡々と鶏頭の存在を575でつぶやいている感じです。
読者はポンとなげられたことばを受け取ります。ことばそのものを受け取ります。イメージを受け取るのではありません。
興味深い絵があります。
子規の友人の画家、中村不折が病床の子規を描いたものです。
子規はうつ伏せで絵筆を持ち、枕もとに置かれた植木鉢を描いています。
植木鉢の植物が何か。。。はさだかではありません。すみさんの見た絵のように、鶏頭の可能性もあります。
この植木鉢の植物を私が描くとすれば、きっと、おおざっぱな数をつかもうとするでしょう。
この句に前書きがついていなければ、、句のイメージは大きく変わっていたかもしれません。
庭前か植木鉢か。。。
「十四五本」のもつ意味も、ずいぶんかわるのでしょうね。
絵を描き、俳句を作ることに没頭した子規。。みずから緩和ケアを行っていたのかも。。。
病臥の子規と燃えるような鶏頭の花。。。