川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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『チッソは私であった』 緒方正人

2024年08月22日 | 社会・時事など
緒方正人さんは、水俣の、闘士。
川本輝夫さんと並んで、武闘派。

水俣の運動で、相手(国・チッソ)の人を殴ったのは、この緒方さんと川本さんだけらしい。

 
この緒方さんの本で、緒方さんがそう書いている。

以下は、この本の中の、緒方さんの述懐:

~~~以下引用~~~
  • 私がチッソの中にいたらどうしただろう
  • 同じこと(内部告発しないで黙っている)をしたんじゃないか
  • 押し寄せてくる圧力というかそういうものを、はねのけることができたという根拠が見つからない。絶対的根拠が見つからない。
  • 絶対同じことをしていないという根拠がない
  • (だから)チッソというのはもう一人の自分ではなかったか
~~~引用終わり~~~

含羞がある。ハニカミがある。鈴木みらいにはない、含羞とハニカミがある。

加害者のなかに、「もう一人の自分」を見つける。

水俣は、いろんな意味で「日本の縮図」だと思っている。

単なる環境問題にとどまらず、資本主義、経済、近代、SDGs、同調圧力、国家、、、いろんな側面が、この水俣闘争にはある。

未曾有で、しかも絶後の、つまり文字通り空前絶後の、この公害事件。
日本の縮図といえる事件。

その闘争のど真ん中にいた緒方正人さんが、『チッソは自分であった』と含羞を感じ、運動を脱退し、この本をものした。

これはある意味、日本の精神性・国民性の高さを表していないか。
大げさにいえば、緒方『チッソは私であった』は、日本が世界に誇る、大きな遺産といえないだろうか。
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