緒方正人さんは、水俣の、闘士。
川本輝夫さんと並んで、武闘派。
水俣の運動で、相手(国・チッソ)の人を殴ったのは、この緒方さんと川本さんだけらしい。
この緒方さんの本で、緒方さんがそう書いている。
以下は、この本の中の、緒方さんの述懐:
~~~以下引用~~~
- 私がチッソの中にいたらどうしただろう
- 同じこと(内部告発しないで黙っている)をしたんじゃないか
- 押し寄せてくる圧力というかそういうものを、はねのけることができたという根拠が見つからない。絶対的根拠が見つからない。
- 絶対同じことをしていないという根拠がない
- (だから)チッソというのはもう一人の自分ではなかったか
~~~引用終わり~~~
含羞がある。ハニカミがある。鈴木みらいにはない、含羞とハニカミがある。
加害者のなかに、「もう一人の自分」を見つける。
水俣は、いろんな意味で「日本の縮図」だと思っている。
単なる環境問題にとどまらず、資本主義、経済、近代、SDGs、同調圧力、国家、、、いろんな側面が、この水俣闘争にはある。
未曾有で、しかも絶後の、つまり文字通り空前絶後の、この公害事件。
日本の縮図といえる事件。
その闘争のど真ん中にいた緒方正人さんが、『チッソは自分であった』と含羞を感じ、運動を脱退し、この本をものした。
これはある意味、日本の精神性・国民性の高さを表していないか。
大げさにいえば、緒方『チッソは私であった』は、日本が世界に誇る、大きな遺産といえないだろうか。