内田樹らしい表現。
落語で出てくる、長屋の大家の仲裁とかの文脈で。
引き受ける必要のない仲裁を、お節介で引き受ける、大家さんみたいな?人がいる。
必要がないのに、骨を折って尽力してくれる。
そこに「借り」ができる。恩義を感じる。悪いな、って思う。
そういうリスクをとっている人に対して、その人の顔を立てようかって思う。
だから、リスクを取る人に、その仲裁に、説得力が生じる。
日頃から水撒き、水やりをしている人の言動に、説得力が生まれる。
ってことを、内田樹が、「そういう<良いおせっかい>をしている人のみに仲裁者の資格が与えられる」という、内田樹っぽい表現で表している。
こういう文脈で「資格」なんて固い言葉を使うのも、内田樹が、若い頃にフランス語の翻訳で身を立てていた程の、外国語の使い手だからでしょう。
「⚪︎⚪︎しか△△できない」って言えばいいところを、「⚪︎⚪︎のみに△△する資格が与えられる」というスパッと切ったような、ちょっとキザにカッコつけた言い方をする。
英語とかにあるような表現ですね。
内田の文章に格調を与えているのは、内田の外国語能力からきている。
この「内田スタイル」は、私も無意識的に真似しているところがあると思う。昔、さんざん、内田センセイの本は読みましたから、、