
志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元(こうべ)を喪うを忘れず
志士たるもの、いつでも屍がドブや谷に捨てられて野垂れ死にすることは覚悟している。
勇士たるもの、いつでも自分の首を喪うことは覚悟している。
孟子をパラパラめくっていたら目に止まった。
吉田松陰も好きだった有名なこの言葉は孟子にあったか。
拳拳服膺しよう。
こういう「やせ我慢」が大事。俺はいつでもドブにいるんだ、だから恐れるものはないっていう。
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先日ある会社のインテグリティ研修で、「どうやったら勇気が出るんですかねえ」と聞かれた。
出世・保身よりも美学・信念を優先する哲学、人生観、死生観なんですよね、って話したら、とても納得されたようだった。
端的に言うと、私の場合、論語の
不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲の如し
なんですよね。論語で一番好きなこの言葉、つまり痩せ我慢。
悪いことやって出世するってのは、俺にとっては浮き雲みたいなチンケな話だ。
この強がり、痩せ我慢が、勇気の源泉。
これって、冒頭の孟子の、
志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず
と同じ。
溝壑ってのはドブです。自分はそもそもドブにいる。これ以上は下に落ちない。常に自分がドブにいることを忘れない。だから何ものをも恐れることはない。
その不正に黙って目をつぶって、自分だけ出世するのか。
それとも、勇気を出してNOと言って、出世を諦めるのか。
勇気は、後ろ指を刺され、白眼視され、孤独になる気概から生まれます。
孤独を恐れる者には勇気は出ません。
志士不忘在溝壑勇士不忘喪其元
いい言葉です。
※ 後記
よさげな文献ー文天祥も「溝壑」精神を継承している こちら