大阪中央公会堂。
111年前に建築され、105年前に内村鑑三がイエス再臨運動で講演した由緒ある建物。
ここで、「信仰の価値を未来に紡ぐ」ためのONE OSAKA 10.14イベントに登壇してきました。
さすがにいい会場でした。宗教の力って何? って話をしてきました。
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こちら大阪の気の合うクライアントさんと話して解像度が上がった、最近気になっているネタ。
我々ビジネスマン、特に私は、「一瞬一瞬が勝負」だと思ってコミュニケーションしている。
初対面のクライアントから信頼を得るのは、一瞬。
クライアントから信頼を失うのも、一瞬。
その一瞬の緊張感の中に生きている。
例えば、クライアントから「⚪︎⚪︎についてどう思いますか?」と訊かれて、「えぇとぉ〜、それはですねぇ〜」的に、ダラダラと、そのクライアントが想定する答えよりレベルが低いことを言ったら、その瞬間、もうそのクライアントから一生仕事をもらえない。
足元を見られる。我々(国際弁護士、でなくてもレベルの高い弁護士)はそういう世界に生きています。
一方、宗教の方は、どうやら、それほど「一瞬」に対する緊張感がない方が多いようだ。
特に、その宗教内の、内輪の会話ばかりしている場合。「愛」と「赦し」が支配する、温かいカルチャーにいるから。
つまり、宗教者が、外部とコミュニケーションしていくためには、「愛と赦し」の世界から抜け出して、「一瞬一瞬が勝負」的な、コミュニケーションの緊張感を上げることが必要かもしれない。
ビジネスの世界で、ダラダラ的を射ない話をしていては、愛されないし、許されない。
一瞬でバカにされ、蔑まれ、葬り去られる。
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ちょっと別の切り口ですが、宗教者も、something of everythingで、つまり森羅万象についてアンテナを立てて多少は何かを語れるようにしたおいた方が、外部の人とのコミュケーションは進む。
家庭連合ではなく、宗教一般の話。
その宗教のことだけではなく、広く社会についても勉強しているのであれば、外部から見ても信頼性が上がる。
むしろ、「その宗教のことしか知らない」人に対しては、その宗教によほど興味があるのではなければ、魅力を感じない。魅力を感じない人とはコミュニケーションも広がらない。
こう考えると、宗教が、今後、「社会から理解される」ようになるためには、むしろ、進んで「自分たちが社会を理解する」ことが大切になってくる。
宗教者にはハードルが高いかもしれませんが、宗教の未来を考えて、厳しめにコメントしています。