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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

インテグリティとは「逃げない」ということ

2025年07月23日 | 経営・インテグリティ
藤島ジュリー景子がジャニー性加害を知っていたか?

「深追いして傷つくことを恐れて知らない方がいいと思っていた」

知らんぷり。しらばっくれ。事実を知ることからの逃げ。

「現実を直視する勇気」と定義される インテグリティ がなかった。
____________

知ってしまった者には責任が生じる。

知りながら害をなす(do harm knowingly)な、とドラッカーは言った。

知ることからの逃げ、知らんぷり、しらばっくれが元凶。

逃げてはいけない。

____________

平和は戦って勝ち取る。

そう言われる。

あるべき組織も、戦って勝ち取る。

 (だから私もインテグリティを言い出す前は「戦う」コンプライアンスって言っていた)

自分の心の中の、「逃げ」と、戦う。
自分の心中の、弱さと戦う。

インテグリティ とは、「逃げない」ということ。
勇気とは、「逃げない」ということ。

____________

令和になったあたりから、「辛かったら逃げればいい」という風潮に。

ダメ。

辛くても、逃げちゃダメ。

逃げ癖が付いちゃうから。

負け犬になるから。

卑怯になるから。
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インテグリティとは「現実を直視する勇気」

2025年07月22日 | 経営・インテグリティ
藤島ジュリー景子がジャニー性加害を知っていたか?

ジュリー景子曰く:

「深追いして傷つくことを恐れて知らない方がいいと思っていた」。

これは知らんぷり。しらばっくれ。

事実を知ることからの逃げ。

「現実を直視する勇気」と定義されるインテグリティ がなかった。

 
「殺そう」と思わなくても、「死んでも構わない」という未必の故意でも、殺人になる。

同様に、「知っていた」のではなくても、「知らない方がいいと思っていた/知ろうとしない」という逃げの知らんぷりでも、「知っていた」と同程度の非難が向けられる。

逃げちゃあいけないんです。

しらばっくれちゃあいけないんです。

現実を直視する勇気がない者にはインテグリティがない。
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8/23発売予定の新刊

2025年07月18日 | 経営・インテグリティ
8/23発売予定の新刊の書影ができました、お楽しみに!
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「養常」について  -『未生』執行草舟から抜粋

2025年07月16日 | 経営・インテグリティ
「養常」ってのは執行草舟さんの造語。

日常生活の中に非日常を組み込んで、成長する。

そんな意味。

~~~以下引用~~~

「養常」は、私の造語である。

読み下せば「常を養う」ということになる。

本当の日常というものを突き詰めていくことによって、日常の中に崇高なる非日常を現出せしめることを言う。

人生とは、何か特別のことをするためにあるのではない。人生は、自己に与えられた運命を生き切るためにのみ存在している。

自己固有の運命を真正面から生きることが、すなわち自己の宇宙的使命を遂行することに等しいのだ。また、そうなるような人生でなければならないと、私は思っている。

日常の中に非日常を突き立てる。

それは、今言ったように誰でも自己の運命に体当たりをすることによって成し遂げられる。

自己の人生に起こることは、すべて自己の運命である。それをすべて受け取るのだ。

どんなに辛く過酷なことでも、受け取る。敗れてもいい。斃れてもいい。逃げなければそれでいいのだ。

そうすれば、自己の運命が増幅回転を始める。その回転の中に、非日常が立ち上がって来る。

苦労と涙の中から、高貴な非日常が立ち上がって来る。日常の中に、美しさが立ち昇って来る。それを抱き締め、愛すること。

そのような生き方を「常を養う」と言う。

私はこの思想だけによって、自己の哲学と思想、そして人生活動のすべてを創り上げて来たのである。

私は私の運命を生き切りたいだけなのだ。

この「生き切る」という覚悟が、養常の思想を創り出した。自己の運命に潜む崇高に気付くために、人は自己の運命に体当たりしなければならぬ。

~~~引用終わり~~~

要するに、不完全な人間が、完全を目指して、謙虚に向上心をもって歩み続ける。

インテグリティの定義そのものを、執行草舟さんが「養常」と呼んでいます。


 
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松下幸之助の「神」観

2025年07月16日 | 経営・インテグリティ
松下幸之助が『PHPのことば』って本(絶版?)で、えらい宗教的なことを言っている。

 人間は神に代わって自らを処理する 



彼が天理教のみならず生長の家からも宗教観を吸収した、ということを学ぶために読んだこの本で学びました。

令和の今、一経営者がこういうことを言ったらドン引きされそう、、、
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私のインテグリティ

2025年07月15日 | 経営・インテグリティ
中山さんが日頃心がけているインテグリティ事例を知りたい、って方がいらっしゃる。

一例を挙げますと、、、

ビルの清掃員のネパール人(50代、女性)の名前(ミナ)を覚えて、

「ミナちゃんおはよう、今日は涼しいね」

みたいに声を掛ける。

触れ合う人に「これでもか」と思うほど、リスペクトをする。

他者をリスペクトすることが誠実さ。

清掃員とか、コンビニの店員さんも、「人として」扱う。

コンビニの店員さんが髪を切ったときも、「あ、髪切ったね、さっぱりしたね」とか話しかけています。


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全部自分のせい

2025年07月13日 | 経営・インテグリティ
運の良い人はものすごく苦労する道を選ぶ。そして、失敗したら、その原因は自分にあると考える。

全部自分のせいにする。悪いことがあったら、全部自分が至らなかったからだと考える。

渡部昇一

____________

何の変哲もない言葉だが、渡部昇一が言うと刺さる。

私も、「全部自分のせい」と考えている。今の日本の政治も、世界の戦争も、全部自分のせい。雨が降っても自分のせい@松下幸之助。今年の酷暑もじぶんのせい。

霊感弁連がひどいのも、鈴木エイト氏が卑怯なのも、家庭連合が解散の危機に瀕しているのも、全部自分の不徳の致すところ。

絶対に他責しない。
1%の自責をして、自分の成長につなげる。


 
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倫理的な人間はいつも倫理的である

2025年07月12日 | 経営・インテグリティ
鷲掴み論語(ワシロン)を執筆中に、倫理や道徳の本をたくさん読んだ。

その中のどこかに書いてあった:

倫理的な人間はいつも倫理的である

特定の誰かの言葉ではなさそう。

普段は非倫理的で、ときに倫理的になるのではなく。
たまに不道徳で、たまに道徳的、ってのではなく。

そういう人は倫理的とも道徳的とも言わない。

倫理的な人間はいつも倫理的である。
道徳的な人間はいつも道徳的である。

本当にそうなのかどうかはともかく、そう思っておけばよい。

こういういい言葉には騙されておくのがよい。

人生は、誰に騙されるか。
どんな言葉に騙されるか、だと思っています。
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心理的安全性は知的誠実性と相反する

2025年07月01日 | 経営・インテグリティ
心理的安全性は知的誠実性と相反する

5月に出た『強い組織は違いを楽しむ CQが切り拓く組織文化 』に、心理的安全性は知的誠実性と相反する(負の関係にある)的なことが書いてました。

冒頭画像の4象限が提案されてました。

具体的にどう「相反する」かは言葉足らずで検証不足でしたが、一理あると思いました。

この「知的誠実性」(以下)は、インテグリティのことですね。



心理的安全性が独り歩きして、「ミスしても厳しく叱られない」的な、アマチュアな考え方に誤解されている中で、いい一石を投じています。

 
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『企業倫理の力』 K・ブランチャード N・V・ピール 小林薫

2025年06月30日 | 経営・インテグリティ
クライアント様に勧められて。2000年の古い本だろうか、Amazonでは取り扱っていないのでリンク張れず、、

■ 三つの倫理度チェック質問項目 

  1. その1 法にかなっているか
  2. その2 バランスがとれているか  …短期的にも長期的にも、関係者すべてに対して公平なものかどうか。
  3. その3 自分の気持ちはどうなのか
 …この3つめの「自分の気持ちはどうなのか」は、三井物産の「誇りは持てますか?」に近い。

■ キリストの山上の垂訓中の一節  

本来のゴールデン・ルールは、『人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたたちも人にしてやりなさい』

■ 地獄への道は、すべて善意ばかりで敷きつめられている  

 The road to hell is paved with good intentions.

■ 倫理的な人間とは、常に倫理的な行いをする人のことを言います

 …たまに倫理的なことをする人間ではなく

■ 「まず第一に、私たちには二つの自己の姿があることを理解してください。
 一つは外側の自己で、これは課題や仕事志向です。ひたすら何かをやり遂げることに関心が向けられています。

 もう一つは内側の自己で、もっと内面に目を向け、思慮深く内省的な面です。ものごとの意義や価値に関心を向け、人生での生きる意義を追求する。

 この内面的な自己は外面的な自己よりも、目覚めるのにはずっと時間がかかるのです。」

■ 松下幸之助・松下電器産業会長 当時すでに88歳 

 国際的な大企業の会長として、何が第一の務めだとお考えですか、という問いに:

 愛を形に表わし、その規範となることです。私はこの会社の“魂”なのです。私を通して会社の価値観は伝えられるのです。

____________

特に、最初の方の、「自分の気持ちはどうなのか」って根源的な問いが大事だと思いました。
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『正しさとは何か』

2025年06月19日 | 経営・インテグリティ
『正しさとは何か』って本を読んだ。

正しさは、相対的で脆いから、

 正しくあろうと努力し続けること

が正しさだ、と最後に定義していた。

それを言っちゃぁ、元も子もないよ、って感じですが、でもその通り。

正しくあろうと努力し続けましょう。

 ※ 以下の図はよかった





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戦争とインテグリティ

2025年06月18日 | 経営・インテグリティ
イランまで戦争になって、、、 

思うのは、

平時の殺人は罪。
戦時の殺人は善。

「正しさ」が相対的なことの典型例は、戦争ですね。

戦争はインテグリティをごちゃごちゃにします。だから非人道的で、世から失くさなければいけない。

「正しさ」そのものではないですが、戦争とインテグリティ的なネタで、パッと思いついたのは、山本七平

  1. 『一下級将校の見た帝国陸軍』
  2. 『私の中の日本軍』
  3. 『ある異常体験者の偏見』


 


 
 
の「陸軍三部作」です。

このどこかに、飢え死にする戦友の肛門に指を突っ込んで固まった大便を書き出して、「命の恩人」として感謝される場面があります。

死ぬ直前だと排便する筋力も衰えるそうです。

平時ではあり得ない光景。

会田雄次『アーロン収容所』でも、英国兵士が捕虜の日本兵を「人間便器」にして口を開けさせてそこに小便を流し込む場面が出てきます。

 
私が「正しさ」は危ういとか言っているのも、こういう戦史をよく読んできたからかも知れません、、、

世から戦争がなくならんことを。

そのために私に何ができるか。。
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2人の人 ー二重人格となれ

2025年06月06日 | 経営・インテグリティ
つい一週間前に、「二重人格となれ」と書きました。


私がいまやっている家庭連合案件に関してある論文を書きたくて、それは歴史に残る価値があるから、気合い入れて書こうと思い、家庭連合問題の本質といえる、「空気」「同調圧力」の代表作・山本七平の『「空気」の研究』を30年ぶりくらいに再読している。

びっくりした。

私が一週間前に書いた「二重人格となれ」と同じことが書いてあった。

自分の中に、目に見える世俗に塗れたヨコの人格と、目に見えない形而上・精神世界に生きるタテの人格を持て、みたいなことが。

あとがきの日下公人の解説では、

 中国から輸入した天の思想が、空気に対する批判精神になる

とも書いてあった。

自分の精神世界を持っていると、世間の空気に流されない。

世間の空気に流される人は、自分の精神世界を持っている。二重人格を持っている。

それを山本七平が、新井白石の例を引いて「二人の人」と書いていた。

____________

手前味噌で下品な自慢風ですみません、私が一週間前に書いたこととほぼ同じことを山本七平が名著『「空気」の研究』で書いていた。

これは大きな自信になりました。

更に精進を続けます!

 
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『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』 太田肇

2025年06月05日 | 経営・インテグリティ
太田肇さんの、承認欲求や同調圧力の本は読んできた。



 
 
その太田肇さんが、またいい本を出しました。


 
ポイントのみを取り急ぎ:

■ 社会には2集団がある

(1) 「基礎集団」
  家族やムラのように自然発生的で血縁や情によってつながる

(2) 「目的集団」
  特定の目的を達成するため人為的に作られる

■ 会社組織は本来は(2)の「目的集団」

■ でも、崩壊の危機に瀕した(日本型)組織は、目的集団と基礎集団の両方の性質を備えていた。
 …これを太田肇さんは 「共同体型組織」 と呼ぶ。

____________

■ どんな集団・組織にも、「受容」と「自治」がある。
 
 「受容」は、受け入れる。
 「自治」は、自律。統治。秩序維持。合わないヤツを排除する。

■ 「共同体型」組織では、「自治」の役割を果たしていない。
  「自治」的機能を失っている。「受容」だけ。  

■ これは、「受容」と「自治」の関係が、「受容」と「忍従」に変わった、とも言える。

____________

なぜか。

■ 経済水準が低かった時代、個人が、共同体の一員として組織に庇護されることに、多くのメリットがあった。
 組織を維持する必要性が高かった。だから「自治」機能も発揮されていた。

■ でも、経済水準が向上し、個人は共同体に必ずしも依存しなくても済むようになった。
 だから「組織」の必要性が低くなった。組織に対する責任感も低くなった。そのため、「自治」の機能も弱まった。

■ このようにして、「自治」が薄れ、「受容」だけが残った、、
 つまり、組織が自律的に自らを規律する(悪いことをしない)というコンプライアンス的なDriver(要素)が薄れた。
____________

このあたり、さすがの太田さんの論考って感じでした!

ただ、豊かになると、「自治」の要素が薄れるってのが、どれくらい一般化できるのか。

この「豊かになると自治が薄れる」を敷衍すると、先進国とかプロフェッショナルの世界では、みんな自治・自律機能が弱まるってことになっちゃいますからね、、、

この辺の分析はこの本をしっかり読んでからまたご報告差し上げます!
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貧すれば鈍する

2025年06月03日 | 経営・インテグリティ
貧すれば鈍する。

戦後の総中流社会と、生活保護の整備とかで、極端に貧しい人を昔よりは見かけなくなった。

昭和の時代には上野駅とかに傷痍軍人がいました、、、今40代より若い方はほとんど「傷痍軍人」を目にしたことがないはずだ。

だからだろうか、「貧すれば鈍する」という言葉も、昔ほどは使われなくなった印象。

また貧富の差が拡大傾向にあるのだとすれば、また使われるようになるのだろうか。

____________

いわゆる貧困層ではないけれど、富裕層に属する方々の、「貧すれば鈍する」事例を見聞きしたので、取り急ぎ備忘のため:

著書も多く聖人君子のように思われている方が、実は「金に汚い」との情報が複数筋から。

人間は一度「カネに汚い」と思われたら一巻の終わり。特に、大の大人として責任を持つことが当然と思われる30歳とか35歳以降に、「カネに汚い」と思われたら、もう一生その悪印象は消えない。

20代なら、世間を知らない若者の失敗として多めに見られることがあるかもしれないけど、、、 いや、20代でもカネに汚いのは一生の傷かも、、

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老大家が、若奥様と若い子どもを抱えて豪邸を建てたので、そのローン?かなんかで、身動きが自由に取れなくなっている。

これは「カネに汚い」事例ではないですが、端(はた)から見ると「貧すれば鈍する」事例に近いものとして、受け取られる。

人は経済的基盤がないと勇気が出ない。
経済的基盤がないのに勇気を出す人は、勇者を飛び越して英雄と呼ばれるに値する。
___________

かくいう私も、契約通りに受け取ったお金に対して「あれちょっともらいすぎたかもしれないな…」とやや罪悪感的なものを感じることがある。

同時はそれなりのパフォーマンスをした自負があったので、胸を張って受け取っていましたが、、

でも数年してまだ私の心に引っかかりがあるということは、そう思うようなお金は、今後はもっとディスカウントして受け取ることにしよう。

____________

こう考えると、契約通りのお金を受け取る場合でも、「今、胸を張れるか」と、「5年後、10年後、その後も、胸を張れるか」というのは、違った基準になるのかもしれない。

今度、それなりに大きなお金を受け取ることがあれば、この二重の基準を使ってみようと思う。
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